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コラム

下記イラストは競輪絵師竹田氏の作品です。ホームページはコチラ>>  

黒潮ヒデ5年間ありがとね。
2010.12.29

2005年から書き始めた「黒潮ヒデの競輪道四十七次」の
コラムも今回を持ちまして最終回となりました。

当時の担当者だったA女史に「兄さん、コラムをかかない」と誘われ
たのだが、自信のかけらもなく・・。
小中学校を通して作文は大の苦手分野。

高校のころ警察学校に受験をした際には作文に、
「白バイに乗りたい」と2〜3行書いて、ものの見事に落ちてしまった。
以来オヤジに「お前は汗をかいても字は書くな」と言うエピソードを
A女史に話すが、「大丈夫、そのまま書けばいいのよ」とそそのかされ
今日に至った次第でして。

毒にも薬にもならない私のコラムを、じっと我慢し書き続けさせてくださった,

日刊プロスポーツの方々にも大変感謝いたしております。

読者の皆様におかれましても、5年間の長きにわたり、
お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。

今後も日刊プロスポーツとともども、暖かいご声援をいただければ幸いに思います。



追伸 
オレの競輪活動はほとんど病気でして、競輪活動家としては全国各地で、
これからもバンバン続けていきますから、ヨロシクね。

競輪祭・顛末記
2010.12.15

先週になるが、今年も小倉j競輪祭へやってきた佐倉の3バカ!!
1バカ(オレ)は一足早く新幹線で前検前日に現地入りしスタンバイ・・。

2バカ+1人が準決勝から参戦する手はずとなっていた。
予定通り朝一の飛行機でやってきたアイちゃんが、
開口一番「どうだい、当たってる」と・・。
ムム、あまりよくない・・・。そう答えると、「そっか、まってろ!」とニヤリ。

去年のアイちゃんは、神がかり的な大当たりを連発!
連チャンでゴチとなったわけでして・・。

今年もゲンを担ぎ、大儲けしたバックストレッチ付近に陣取り勝負・勝負!!
が、どうも乗り切れないとのこと・・。

オレも同様にテンコシャンコを繰り返し。
ここは勝負と突っ込めやられ、チョビッと押さえたところが当たる!。
「負のスパイラル」に陥っていることに気がつかず、頭に血が昇りカリカリ。
ハッと我に返り気がつけば、状況はすでに取り返しのつかない崖っぷちまで来ている。(いや、崖を越えてしまっていたりして)
ヤバイをと〜っくに通り越す始末。

準決勝を終わり、居酒屋で合流しお互いの戦績を聞けば、
佐倉の2バカも今回はメタメタ。肩を落とし背中を丸めまるでお通夜・・。
今日のことはスッパリ忘れ仕切りなおしの
カンパイといくところを、献杯と発声し、しんみりと飲みだした。

あとはヤケクソの憂さ晴らしとばかりに飲みまくり、一気にハイテンション!!
最終日はお宝ザックザクといこう!と気勢を上げお開きとなった・・!

ところが、前の晩の献杯がよくなかった。
決勝戦を待たず本葬を迎えてしまった・・。
オレ・どうする?どうしたらいい・・?

佐倉の2バカ+1人もまったく当たらず、全員枕を並べ討ち死にする始末!
戦い終えて帰路に着く車でも、引きずってはいたが・・。
結論は我々は死ぬまで競輪は辞められね〜ということ。
世間で言うウツ病とは違うが、紛れもない打つ病だわ・・チャンチャン!

やっぱり天然だ!
2010.12.1

浩ちゃんに冬眠の前に千倉へランチツーリングに行こうと誘われた。
カミサンに明日、千倉まで行ってくるからと言うと、「3時までには帰ってね」と言われ、 「3時まではムリかも・・」と告げると、「3時までに帰ってくれば1万円あげる」 オオッ!こりゃありがたい。
ところで3時に帰ってなにをするのかと尋ねてたら「ナイショ」!だと。

が、道に迷い約束の時間には帰れない状況となってしまった・・。
恐る恐る電話を入れるが、1万円をくれる約束が流れたのが嬉しかったのか、まったく怒っていない。  何だか怪しい・・。

3時からあるはずだった予定を聞いてみるが教えてくれない。
そうなるとますます聞きたくなるってもんで・・。
突っ込んでみるが、ガンとしてしゃべらない。
明日付き合ってくれればわかるから・・・と。それだけ言い残し台所で晩飯の支度をし始めてしまった。

翌日になり、尋ねると娘の所へ乗せてけという。たったそれだけのことをしゃべらないとはどうかしてる!
なんかあったのか?電話にもでないし、メールを送っても帰ってこない。
怪しいでしょ。これは何かある・・男ができたかもと女の感をフルに発揮させている!!。

そうか、了解隊長!!というわけで娘のアパートの部屋に突撃を開始。
何も知らない娘はポカンとしているだけで、なにが起きたのかまったくわからない。
来るなら来るで連絡をしてよと、寝ているところを起こされ不機嫌なご様子・・。

しかも男の痕跡さへなく勇み足であった。
娘に事情を説明し、あやまりお詫びに回らないすし屋をねだられた。

たまには、家に帰ってくればということで車に乗り込み走りだした。
ややしばらく談笑しながら運転していると、反対車線からトライク(三輪車)がやってきた。

カミサンがすかさず「アンタ耕運機がすごい勢いで走ってくる」だと・・。
娘と顔を見合わせアングリ!!

「耕運機があんなに早く走っていたら、お百姓さんはみんな暴走族だべ〜!」
とオレ・・。車内は爆笑の渦!

やっぱり一人いると居ないでのは、これほどの違いがあるんだよね。

一人暮らしもいいけど、たまには親に顔を見せに帰ってもらいたいもんだ。

健康に留意し、楽しみましょね!
2010.11.17

久し振りに平塚の解説の仕事で出かけていった。
猛暑酷暑の8月ナイター以来だから3ヶ月ぶり。

相方は久々にさとうゆみさんとなり、初日の晩は軽くイッパイとなる。
前々から約束していた地元のSさんも、 この日を待ち遠しくしていたようで、迷惑メールか、ボケが始まったのではと?と思うほど頻繁にメール攻勢をかけてくる。

初日の中継が終わり翌日の段取りもすませ、ゆみさんとともにSさんと待ち合わせた居酒屋っぽいすし屋さんに向った。(ここはオレが平塚に来ると毎回寄る競輪好きの溜まり場的場所である)
「少し遅れるから先にやってて下さい・・」。とメールを送ったので、いい頃合いかもな・・。と思っていたのに・・・。
ナニも頼まず律儀に待ち続けていた。世にも珍しい堅物である。(少し変わっているのかも!)

そんなSさんも酒が入ると一変、べランめ〜とインチキ江戸弁を使い話し始める。
カウンターでは競輪好きのお客が我々の会話を聞き耳を立て、たいらナイターを見ながらチビチビ飲んでいる。

その競輪ファンのお客も酔っ払っているのか、気楽にわれわれの会話に割って話しに参加してくる。
当然昼間の平塚のはなしと、翌日のレースについての検討と対策についてになってくるのだが・・。

奥のカウンターにいるもう一人のお客さん(61歳の男性)は「グランプリの優勝は誰だと思う!」とすでに暮のグランプリに気持ちが行ってしまっている。
まだ小倉競輪祭も終わらずGP選手が出揃ったわけでもないのに・・。
気の早いファンだ・・。

これにこたえオレは市田が前なら村上義弘の優勝でいいのでは?というと、 ゆみさんはどんな並びでも村上兄で行くとキッパリ。

すると「そうか、そうか村上か」とうなずき、「今日で酒もタバコもやめるし飲み納めだし、GPまでには戻ってくるよ」とわけのわからない事をおっしゃる。

はて?どういうこと?

首をかしげ聞こうとすると、向こうから内臓を取る手術をするとの・・。
エッ、顔を見合わせ、一言も発することができない。
どういった内容かは触れなかったがその一言で一大事ということが十分わかる。

おそらく患部を全部摘出してしまう大手術だろうし、 本人も命を賭けた大勝負に違いない。

術後はリハビリにをしっかりこなしグランプリまでには復帰したいという。
これを聞きほろ酔い気分も一気に醒め、思わずその人に激励の握手とハグをしてしまった。するとおじさん「腹が出すぎ」だと・・。
痛いところを突かれ返す言葉もでない。


Sさんも、ゆみさんも同様の気持ちで固く握手をし、再開を誓い会い店を後にした一人の競輪ファンを直立不動で見送っていた。

いつかまたこの店に立ち寄ったさいには、元気な姿を見せてもらい。
そして競輪談義に花を咲かせワイワイやりたいものだ。

人間、生まれたら必ず死を向える事となるし、元気な時に好きな事をし、 悔いのない一生を終えることに努めようと思う今日この頃でござる・・。

読者のみなさんも健康に留意し、人生を楽しみましょね!!


オレも健康に気を付け?これからも楽しくバンバン過ごしますよ!!

 滝澤校長様
2010.11.3

校長先生になった滝さんが千葉記念滝澤正光杯に登場!

しばらくぶりで滝さんと会ったが、現役を離れても実直で真面目ぶりは健在。

競輪に対する思い入れは立場は変わっても、全く衰えることがない。

滝さんの話を聞けば聞くほど、ますます生徒たちをなんとかしてやろうという意気込みが伝わってくる。

校長となってからは訓練方法も今までの科学的トレーニングを見直し、 乗り込みを中心に切り替え、基礎をしっかり作る事に重点をおいて訓練を行ってきたそうだ。

その成果は99回生のタイムを見ても明らかに出ており、「滝さん効果」がありあり・・。

毎週行う月曜日の朝礼でも毎回「乗り込め」とゲキを飛ばし、やらせてきたとのこと・・。

このことは99期生が卒業するときの記念植樹にも反映されたそうで、 何と「乗り込み桜」と命名された桜が植えられたそうだ。 (こりゃ、伊豆にツーリングがてら競輪学校へ見に行かなければ)。

競輪で強くなるには「乗れば良い」という事を実践してきた99期生。 デビューしてからの活躍が大いに期待できそうで待ち遠しい。

全国各地で99期旋風が巻き起これば、先輩選手たちも練習を考え直すことだろうし・・。

そうなれば校長先生様が指導してきた”乗り込み”練習も増えるはず。

基礎固めが出来上がれば競輪選手個々の底上げとなり、
競輪界の悲願であるオリンピックや世界戦ケイリンで金メダルをものにする日も近い将来に現実のものとなってくれるだろう。


滝澤校長様、我が競輪界とファンのためにも尽力され、第2第3の怪物選手の育成をよろしくお願いします。

 若い職員が通う松戸は安泰!!
2010.10.20

松戸ファンタジーナイターも、今年の開催も後わずか・・。

そんな仕事帰りの人たちが競輪場に集結するころには、すっかり日が落ちナイター気分に一段と拍車がかかる。

たまに、スーツ姿の集団がいたりして・・。
先輩らしき人に従いついていく若い人たちを見かける。

はて?関係者か?と思うが、車券を握り締めているのでそうでもないらしい。

気になる・・。

レース終了後に公営競技事務所でこの話をすると、松戸市の職員だと。



競輪好きのベテラン職員が若手に「競輪は市の大事な事業だから」と言うことで仕事が終わったオフタイムにつれてくるとのこと・・。
へ〜、売り上げが低迷している我が競輪界において率先して競輪普及に努めてくれるとは立派なことだ。

そのおかげで最近は競輪の魅力にはまった若い職員たちだけで、積極的に競輪場へ足を運んできているそうな・・。


売り上げの低迷で花月園が消え、来年には大津びわこの廃止が決定している今、
内需拡大を図らねばならないのでは・・。

そのためにもJKA職員や競技会、施行者の競輪関係者は車券購入が出来ないという法律があるが、この際この法律を取り払い選手以外は全員が買えるようになればいいと思うのだが・・。
なんとか国会で法案を上げてもらい通していただくことは出来ないものかね。


この世界で飯を食ってきた選手OBも、
今こそ車券を購入し現役選手の応援をしてもらえばありがたいのだが・・。

オレも競輪活動家として家庭内仕分けに屈せずに、少ない軍資金だがガンバル!!


 スーパーおジジを発見!
2010.10.6

K君から写メ付メールが送られてきた。
スーパーバイクの「ライトをHIDに変え、すごくいいよ」と。
それに今月は仕事も早々に終わり、毎日暇をしていると・・。
暗にツーリングのお誘いである。

それじゃ久々にロシナンテにまたがり行くか!
と計画を練る。
今回は飛騨高山の平湯温泉〜能登半島1周し、
北陸道から帰路に着く2泊3日の行程で行くことに決定した。

出発当日は天気もよく秋のツーリングには持ってこいの日曜日。
夏の猛暑がウソのようにさわやかな気候に恵まれ、
示し合わせたかのようにライダーが群れを成し、中央高速をわんさか走行している。
パーキングでヘルメットを脱げばほとんどが同年代前後のオヤジライダーばかり・・。

山梨を抜け長野の八ヶ岳パーキングでトイレタイムの休憩を取ると、 ここにも大勢のオヤジライダーがたむろしている。
中には颯爽と若々しい中年もいるが、たいがい背中を丸めホットコーヒーをすする、どこにでもいるくたびれたオッサンがほとんど!
(オレらも人事ではないが・・)

用をたし缶コーヒーをすすっていると、ベンチに4人の70を超えたジイサンたちが腰掛けていた。
ジーパンにジャンパー紛れもなく”バイク乗り”って姿のジイサンたちだ。
オレの好奇心が頭をもたげだし、人生の先輩たちに興味津々。
話を聞かねばと声をかける。

「おはようございます」挨拶をすると、「おう、先輩!」だと・・。
「エッエ、ナニ言ってるですか?先輩」。
バイクですか?と尋ねると、「おお、そこの単車で出かけてきただよ」とハーレーを指差すではないか!
歳を聞けばリーダーが昭和10年生まれの75歳、後の人たちも似たり寄ったりの高齢でいらっしゃる。

どこからですか?と聞けば、富士山の麓からきたと・・。
長老と思われるリーダーは毎年夏には北海道へ単独ツーリングに出かけるとのこと・・。

かれこれ14〜5年も行っているのだそうで、
達者なジイ様だ。

「青年よ、単車は良いよな。これにまたがると一気に若返るし、 少しぐらいどこか具合が悪くても元気になるから不思議だ」と・・。
この言葉には全員がうなずき納得のご様子。

オレはカミサンに60才でバイクは引退するからとゴネて購入した経緯があるが、 これは白紙撤回!
生涯バイクに乗る方向に転換することにした。


しかしこんなスーパーじいサンたちが世の中にいようとは、
タマゲル。
ジイ様たちのおかげですっかり元気もらうことができた。

気分も一新、目的地の平湯へ向け元気に出発進行。

途中ビーナスラインを走破し松本から平湯温泉に到着した。
心地よい疲れをゆったり温泉に浸かりほぐすと、
お待ちかねの湯上りビールでカンパイ!

昼間は快晴に恵まれていたものの、夜になると雲が湧き出し土砂降りの雨となってしまった。
天気が崩れることは予想外、天気予報でも晴の日が続くと言ってたのに・・。
翌日も関東地方は雨の予報となっており、我々の予定は大幅に変更せざるおえなくなってしまった。
2人の首脳会談の末、明日は雨の中を帰ろうと言うことになった。

1泊分浮いたわけで、せっかくだから少しだけ豪勢にやってしまう事となり、
飛騨牛のステーキやらもろもろ注文し大満足の一夜を過ごして帰宅となった次第・・。

スーパージイ様たちのように、我々も人生を楽しまにゃ〜ね!!

 お彼岸はバナナで風邪予防
2010.9.22

何をやってもダメ!
こうなりゃ504通り買わなければ当たる気がしない。
何かに祟られたのかも・・。
それほど佐倉の3バカが、絶不調に陥ってしまってる!

いや、オレと山ちゃんが最悪だったりして・・。
アイちゃんは輪歴40数年のキャリアと、持ち前の博才に物を言わせ ナントか踏ん張っているようで。

オレと山ちゃんにおいてはドツボに嵌って抜け出すことができず、どん底をモガキあえいでいる。
レースが終わるたびに溜息が漏れ、嘆きも底をつき言葉にすらならない。
こんなことの連続だったりして・・。

打たれ強くタフな山チャンもさすがに肩を落とし意気消沈。
何も言わず姿をくらましてしまった。

その日の夕方、「アジ釣りに行ってきた」と気分転換を果たし山ちゃんが帰ってきた。

が、「アジを釣りに行ったが、アジは居らずチダイを釣ってきた」と・・。
ここでも思惑がはずれ流れを取り戻すことができず、いつものカメ屋で反省会の一杯をやることに・・。

競輪の話題をする雰囲気は微塵もなく、他愛の無い話に終始するが、しっくりこない。

ボチボチ彼岸が近いこともあり、話題はお墓にまつわる話になると・・。
オレがガキのころ彼岸やお盆になると小学校から墓場に直行・・。
お供え物の争奪戦を繰り広げたことを話し始める。

とりわけ今では珍しくもないバナナだが、当時は貴重な食い物だったりして・・。
これがお供え物として上がっていると、それはそれは激しいバトルが展開された。
一番小さなオレなどまったく参加できず、残り物の団子などを頬張り 缶詰とかは紙袋に入れ、みんなの秘密基地で分配したりするのが慣わしだった。
と話をすると・・。

山ちゃんもお墓のお供えを食ったというし、昔は食べ物もあまりないから、 お墓はこ子供のおやつをゲットするところだったと。
たまに、変なおじさんが出没し横取りされることもあったりして・・。

するとアイちゃんが、オレも墓場でお供え物を食べたけど、
「墓場でバナナを食うと風邪を引かない」と教えられたそうで・・。

これは初耳・しばし顔を見合わせ「え〜っ」と言った後アハハと大笑い!!

秋のお彼岸だし、今年は墓参りのついでにバナナを食べ、風邪の予防に努めようかね・・。

まあその前に、ご先祖様に手を合わせ呪いを解いてもらわねば・・。

 グランドスラム見えたぞ山崎(オレも見えたかな?)
2010.9.08

第53回オールスター競輪の覇者は地元の山崎芳仁選手の優勝で幕を閉じた。

9月に入っても猛暑は衰える気配さえなく、連日過酷なバンクコンデイションの中で行なわれた今大会。
カーニバルリングの内側では阿部道さんの予想会やB級グルメの屋台がズラリと軒を並べて場内は活気に満ち溢れといた。
雰囲気につられ蕎麦屋でもりそばを注文・・。これが屋台とは思えない本格派の蕎麦で驚くやら美味いやら・・。。
若いカップルや子供連れのファンなどもB級グルメに目がないらしく喜びイッパイの笑顔を見せていた。

そんなファンの中に全国各地を旅打ちで回っているKじいを発見。
近寄っていくと、Kじいさんもオレに気がつき挨拶を交し、しばし競輪談義をし別れた・・。
が、いつも不思議に思うのはKじいさん、普通のジイサンにしか見えないのだが、全国を行脚する資金源をどこから捻出するのか?
もしかして資産家の大金持ちだったりして・・。それか天才的な車券師だとか、
妄想は深まるばかり・・。
Kじいさんも競輪を愛する一人として、近頃の売り上げの低迷を嘆き心配をしてくれていた。

そんな心配をよそに太陽の日差しに負けず劣らず白熱した好レースを展開。

圧巻は10R準決勝で見せた山崎の大まくりだ。
8Rの10秒7の好タイムでまくった海老根のレースがかすんでしまうような、
上がりタイム10秒5のバンクレコードをたたき出し、日本記録タイ・・!。

踏んだ瞬間周りが止まっているような強烈なまくりは久々に見た。
まるでバイクが走っているの?と勘違いするようなスピードでアッという間に前団を一飲み・・山崎らしいと言えばそれまでだが、タマゲタ!!。

こりゃ決勝戦も兄弟子佐藤慎太郎に佐々木雄一を従え、
地元の大舞台でお膳立てはそろいオールスター初Vに向け視界良好。

決勝戦は吉田敏洋の先行を7番手から異次元のスピードでまくり楽勝ゴ〜〜ル!!

山崎が優勝したことで暮のGPが益々面白くなったきた。

オレも今年こそはGPをゲットし、グランドスラムに王手をかける??

 夏の日の遠い思い出
2010.8.25

オレが小学校の1年に上がった年のことになると思うのだが・・。
夏はすぐ上のアニキといつも一緒であった。

今は海や川には遊泳区域が決められ、監視員が怠りなく海水浴客の動向をチェックしてくれている。
が、当時はそんなものは一切なく、手っ取り早く裏の川で水浴び程度で済ませるのが普通だった。
泳げないオレはいつも浅瀬で車のチューブの浮き輪を使い遊ぶのが常だった。
そんなある日のこと、「ヒデ、今日は兄ちゃんが泳ぎを教えてやるぞ」とすぐ上の兄(7才上)がニヤリ。

何の疑いも持たず兄ちゃんに従い、
浮き輪にオレを押し込め対岸の深みまで連れて行ってくれた。
不安と期待に胸を躍らせいよいよこれから泳ぎの特訓か?
と思えば岸に上がれとのこと・・?

浮き輪をはずされ訳も分からず言いなりに岸に上がって待っていると・・・!
「今から向こうの浅瀬まで泳げ」と言う。
どうやって泳ぐのか?と聞けば手足をばたばたやれば大丈夫!!
それだけ言うと後ろからいきなり突き落とされ、後は死に物狂いで手脚をバタバタ。
向こう岸までは途方もなく遠く突き落とされた場所からまったく移動していない・・。

その場脚踏み状態で浮き沈みを繰り返し、おぼれまくり川の水が干上がるのではと思えるぐらい飲んじまい、やっとの思いで引き上げてもらうが、ゲホゲホ、ゴボゴボと・・・。
涙目となりすっかり怖気ずき泣きべそをかいていると、間髪入れず第2弾が待ちかまえていた。

兄ちゃんいわく「大分水になれたから、次は泳げるはず」と。
いうや否や、今度はオレの身体を持ち上げ川の真ん中へドボ〜ンと放り込んだ・・。

どうやって岸までたどり着いたのか、まったく覚えてないが、川の水を飲みながらゲホゲホやり必死に岸を目指した記憶がかすかに脳裏に残っている。

今の時代なら虐待、虐待とさわがれTVニュースで取り上げるところかも・・。
それでも愛の鞭?に耐え、やっとの思いで犬掻きが出来るようになると嬉しくてうれしくて、毎日川に行き、手が皺皺になり唇が紫色になるまで泳いでいた。


すると・・今度は飛び込みを教えると・・。
橋の上からジャンプをするのだが、これがまたおっかないわけで。
川を覗くとその高さにビビッてしまう!

兄ちゃんが手本をみせると頭から飛び込むと子分が5〜6人と次々と跳ねる。

橋にしがみつきおびえていると、手をつかまれそのまま手をはなされ放り込まれる有様。
腹から突っ込んだり、頭から突っ込んだりを繰り返すことを何度もやってるうちに段々慣れコツを覚えるとこれが面白くなってくる。

こんなことを強制的にやらされながらも兄ちゃんをマークしていたもんだ。

先日この話を兄貴にすると、オレも2男のカズ兄にやられたし、カズ兄も長男にやられたとのこと・・!

だからオレも順繰りにやってきただけ。
「オレのおかげで泳ぎを覚えたんだから、感謝しろ!!」だと・・。

 灼熱の全日本選抜
2010.8.11

今年の夏は全国各地で熱中症で倒れる人が続出。
そんな猛暑の中で、宇都宮競輪場を舞台に第26回全日本選抜競輪が行なわれた。

決勝戦は神山拓を引き出し役に栃茨ライン4車の結束で絶対有利と思われたが・・。
ナント佐藤友和が前受けからイン粘りの奇襲攻撃を仕掛ける展開。
すると武田が神山拓をたたいてホームから先行することとなり、これで2段掛け阻止に成功。
後はまくり勝負だけの展開に持ち込んだ。
たとえ88期の同期といえども「勝負に妥協なし」の姿勢は見事と言うしかない。

この勝負に賭ける佐藤友和の執念が、G1初タイトルをもたらした一戦だった。

まさか88期の同期の佐藤がイン粘り仕掛けるとは・・。
村上がやるならまだしも、佐藤がこれをやったことには驚かされた。

昨今、生ぬるいレースが目につくことが多い。
先行しまくられて死に体となっても追い込み選手が切り替えもせず、
まくられた選手を入れ、共倒れに終わったりするケースを見るたびにガックリ・・。
一体全体どうなってるの??とファンと共に首を傾げてしまう。
レース後当事者に聞くと「アレだけ頑張ってくれたし・・」などと言い訳にもならない事を言ったりして、「エッ」と釈然としない思いをさせらることも・・。

が、佐藤のこの一戦は車券のアタリハズレを抜きに、一服の清涼感を感じた。
勝利を目指し練習を重ね、暑い中、寒い中ひたすらペダルを踏み切磋琢磨するからこそ厳しいレースもできるはず。

今後もこういうレースを見たいし見せてもらいたい!

おそらく大方のファンが望んでることだし、走る選手のみんなにも厳しいレースを期待したいね!

佐藤友和選手、本当におめでとうございました!!

 いつも気になる名人
2010.7.28
今年の夏をはとんでもなく暑い。
体力の低下がそう感じさせてるのか?と思うがそうではないらしい。
全国各地で猛暑が続き熱中症で倒れる人もけっこういたりして・・。

夏は好きな方だが、この暑さは堪える。
こんなときは松戸ナイターがいい・・。
が、日中の日差しがきつ過ぎバンク内の温度は中々下がらず茹だるような暑さ・・。
ようやく太陽が沈みいくらか気温が下がってくる。

それでも熱心なファンは本場にきてくれ、ホントにありがたいかぎり・・。

最近ちょっと気になる人物がいる。
ナイターに限らずいつも2階のスタジオ前の一般席にやってきて愛想のいい笑顔で挨拶を交わしてくれる一人のファンがいる。
年齢は60前後で恰幅がよく身なりもきちんとしている。
タイプ的には特別観覧席にいそうな人なんだが、いつも2階からレースを観戦し物静かに車券に講じている。

オレがオッズタイムにスタジオから外にでて車券購入に走ると、
その人と競輪談義をするのだが、名前は未だにしらない・・。

だけど急所急所で勝負を賭けるときは、メガネの奥に潜む目が一瞬鋭く光る・・。
それも、2車単、3連単、3連複まで500円から1000円単位で抜け目なく購入し、しっかりと決めてるスゴイ人でして・・。
勝っても負けても淡々としているところが実にカッコイイ!!。

オレとはまったく正反対の性格なようで、出来ればオレもああなりたいと思う人物なのだ。


話は変わるが、つい最近とある内職がカミサンにバレ、
家庭内仕分けが入ってしまった。
競輪活動の休止は免れたが「活動資金の大幅に減額」を通達されてしまった・・。

したがって活動は細々とせざる負えない状況に陥ってしまったが・・・。

こういうときに限ってチョコチョコ当たったりして財布の中身は少ないが減ることもない。

何だか複雑な気分だが・・・。
これが現在のオレのキャパと思えば腹も立たない。

ああ、オレも少しは大人になったな〜と、実感!
 スパイ大作戦?
2010.7.14
ニュース番組でロシアのスパイがアメリカで捕まり、ロシアで捕まったアメリカのスパイと交換したと報道されていた。
何気なく見ていた番組だったが、「全世界に結構な人数のスパイがいる」と池上彰さんが解説するのを聞き「ハっ」させられた。

現役時代に遡るが、オレにも確かに思い当たる節がある!
まだ今のようにインターネットや携帯電話が普及するはるか前の昭和50年代のこと。
関東地区を走っていれば新聞で結果はわかるのだが・・。
競輪パパだったオヤジは常にオレの成績をチェックするストーカーだった。
かといって、競輪場に足を運びオレのレースを観戦する事は一切なく家で待機していたようで・・。
遠征に出かけたときなど成績はわかるはずもないのに・・。
競走が終わり家に電話を入れるとすでに成績がわかっている。

??いつも??と疑問に思っていた。
ある日、業を煮やし尋ねてみるも、のらりくらりとはぐらかされてしまう。
もしかして現地まで来ているのでは?
そんな疑いを持ってしまうほどレース展開やら詳しく知っていた。
まぎれもなくオヤジはスパイを使いオレの身辺を嗅ぎまわっている。

「たまには遊びにでも出かけよう」とこっそり出発しようものなら、すぐにスパイがオヤジに通報・・。オレの所業がばれてしまう。

そんな疑心暗鬼の心が、あるときパっと晴れた。
どういうことかと言えば同期から一本の電話であった。
「お前のオヤジからオレのオヤジに○○競輪場に参加したお前の成績が気になって電話がかかってきたぞ」と。
タネがわかってしまえば何のことはない。
全国に散らばる同期の親に連絡をしオレの成績を聞き出していたとのこと・・。
全国各地の親たちもそれぞれに密偵を抱えているらしく、
情報交換を繰り返しているとのことだった・・ゲゲッ〜である。

まあ、それも今ではいい思い出となったが・・。

こういうのを連鎖というのか、今度はオレがこの流れを引き継いでしまったようで・・。
頼みもしないのに、密偵となった某君から忘れた頃にホットラインで連絡が入る。

弟子の●●クンがどこそこで××をしてるとか、最近は○○に出没してるとか、いろいろ内通をうけたりする。

某君以外にも内通してくれる人物がいたりして・・・。
別段オレは気にしないのだが、親切に教えてくれる。

競輪選手の動向は競輪ファンにとっては、好奇心を煽るらしく絶好のターゲットになっているようで・・。
世間というのは無関心を装いつつ、ターゲットになった人物を観察しているようだ。

オレの身近でもこれだけの事が日常的に行われているし、オレも含めウカウカしてられん・・。

普通の人が突然なにかに興味を示すと、そこから諜報活動を開始・・。
興味が増してスパイとなるのかも?

世の諺に「壁に耳あり、障子に目あり」はホントだ!!
 幼なじみとの一杯
2010.6.30
「手ブチとハマグリを掻いてきたから、夕方取りに来い」とぶっきらぼうに幼なじみのミノルから電話をもらった。

ミノルからの連絡はたいがい仲間内や親類に不幸があったとかいう電話と相場が決まっているので電話がかかると身構えてしまうのだが・・。
今回は違った。

久し振りでもあるしゆっくり飲むか!と、冷蔵庫の奥に後生大事にしまってあったダッチャンの日本酒を携えミノルの家に・・。

思えばミノルとの付き合いも保育園から小学校、中学、高校と一緒でもう49年にもなる。

前回から1年ちょっとだと思うが、なんら違和感なく家に上がりこみ挨拶もソコソコに一杯やりだした。
話すことは学生のころやった思い出話が主な会話となり、一升瓶もカラになり、 大分いい心持になってた。
そろそろ里心も芽生え帰るか、という段なり幼なじみのヨシユキがトマトとキュウリをぶら下げやってきた。
ミノルと同じ境遇のサラリーマンと農家を二股かけ実家の跡取る長男坊だ。
この男も酒が強く、その昔オレと2人でノド湿しにビールを飲み、その後は日本酒を2升五合とウイスキー一本をカラにしベロベロに酔い潰れ二日酔いならぬ3日酔いをした記憶がある。

そんな飲ベイがそろってしまったのが運のツキ。
もう帰ることは諦めひたすら飲み続けることに・・・。

すでに記憶は飛び飛びになり、話も迷走している。
飛んだ記憶をたどって思い出すと、白子の2人はもう定年後を見据えた話をしていたようで、オレが割って入ると俺にも一緒にお百姓さんをやらしてやると言っていたようで・・・。
オレも乗り気になっていたみたいで・・!。

翌日ガンガンする頭でカミサンにこの話をすると
田んぼも畑もないアンタにできる分けないでしょ!

いや、たしかに一緒にやるか?と言ってたような?

するとカミサンいわく、アンタを小作人として使い年貢を取り老後は安泰作戦じゃないの!だと。

ゲゲっ!そう言えば小屋を貸して住まわせてやるような事も言ってたような??
まさしくあいつらの考えそうな事かも?
危うく小作人で人生の終焉迎えてたかも!
と勘ぐってしまうが、チャリロトを当てたらそうはいかない。

オレが白子の土地を買占めあいつらをコキ使ってやるか!!
な〜んちゃって!!
 青梅で手を切り俺真っ青
2010.6.16
カミサンにせがまれ、ドライブがてら梅を買いに越生まで行くことになった。
ところが車は給油ランプが点滅する寸前の状態となっている。
慌ててもよりのガソリンスタンドに立ち寄り給油をすることに・・。

セルフサービスの機械に3,000円を投入し給油を終え車に乗り込む。
カミサン「ナニやってんの。何で満タンにしないのよ」と言ってきた。

オレは「手持ちも少ないし、いつも3,000円を目安に入れエコ対策をしてるから、いいんだよ」と説明する。

すると「満タンにするのがエコにつながるのよ」と?訳の分からん事を言い出す!
ナンデだよ!と尋ねると、
これまた面白い持論を唱えだした。

カミサンが言うことには、「ガソリンゲージがFまで達しっていると、針はしばらくそこに留まって動かない」とのこと・・。
「針が動いてないということはガソリンは消費してなく燃費は良くなる」だからエコなんだと?力説。
新発見をしたと言わんばかりに自慢げに話す。

ガソリンのゲージが動かないのは、ただ単に車の構造上の事だとは思うのだが。

このことを信じて疑わないカミサンに逆らっても仕方ないし、
理屈をこねて反論するものなら道中が長くなってしまう!!

目指した先は梅の里埼玉県の越生。
ここには、早々引退し蕎麦屋「甚五郎」を営んでいる同期の井上さんもいるし、 蕎麦とうどんはかなりいける。

だが、火曜日が定休日だったのを忘れウッカリしてしまいカミサンの機嫌を損なうことに・・。


近くの蕎麦屋で腹ごしらえをすませ、いつもの梅屋さんから青梅を購入し家路へ。
今回は梅干より梅肉エキスにチャレンジすべく多めに梅をかってきたが、
種をとりこれをジューサーで絞ることを延々と繰り返す・・。

集中力も途切れいい加減になってきたところで、とんだアクシデントが!!
ナントナントオレの親指から真っ赤な血が滴り落ちてきた。

親指がざっくりパッカリ指紋を突き破って裂けている。
あ〜あ!!久々に脂汗が出るぐらいの痛さに梅を投げ出しギブアップ!

来年はもう、こんな事、絶対に・・・や・ら・ない・!イテ〜よ!!
ツーリング
2010.6.2
「久しぶりにまとまって休みがあるからどこかに行かない?」と、
OB浩ちゃんからメールが届いた。

お散歩ツーリングには出かけるけど、今年はロングツーリングにまだ行ってない。

しばらくメールでやり取りしていたが、面倒くさくなり、手っ取り早く千葉競輪場に集合することに・・!!
場外開催もやってるし浩ちゃんの住いも近いし競輪活動家としてはうってつけの条件。

5分ぐらいイロイロ議論し山形に行くこととなった。
(ほとんど一方的にオレの意見通り・・)。

10時に守谷Pで待ち合わせ、初夏の風を感じながら一泊の予定で常磐高速から東北道を北上し一路山形へ・・。
3時半過ぎに山形は大の目温泉に到着。
何だか観光地というよりも回りは工業団地となっており普通の旅館という趣に戸惑いを感じるが、仕方ない。
泊まり客はたぶんオレらだけのようで、あとは地元の人が温泉に浸かりに2〜3人いるだけ。

旅に疲れを癒すべく温泉に入ることにしたが、この温泉の湯がべラボーに熱い。
カンバンには源泉掛け流し50度と明記されている。
こりゃ熱いのは当然・・。が地元の人たちは平然と湯に浸かっている。
我慢して浸かっても長くはムリ、のぼせる前にとっとと上がりキュ〜っとヒエヒエのビールをノドに流し込み至福のひと時を満喫。

晩酌をやりながら浩ちゃんに相談を持ちかける・・。

このまますんなり明日帰るのは勿体無くない!!と。

浩ちゃんは「エっ」という顔でマジマジをオレを見ている。
すでにオレの気持ちはここに来る前から決まっており南会津の桧枝岐を視野に入れていた。

このことを話すと浩ちゃんも快く?OKとなり2日目に突入!

エコーラインを走り蔵王のお釜を見物、まだ雪が残っているがさほど寒くはない。

目的地の桧枝岐へは東北道の白石インターから磐越自動車道会津若松で降り、1時間半の距離。
この時点で我々はムリしているのでは?と気がつくが時すでに遅し!
腰は痛くなってくるは、肩は張ってくるはで、かなりつらい状況に・・・。

去年はこの程度は許容範囲だったのに・・体力の低下を実感。


やっとの思いで目的地の桧枝岐に着くと、何にもないが清流と温泉が待っていてくれた。これだけで大満足。
さっきの疲れも一気に吹き飛びナットクの景観だった。


宿は途中で桧枝岐観光協会に電話でお願いした民宿。
老夫婦が2人でやってる今にも倒れそうな年季の入ったところ。
主のオヤジさんと話すと言葉が変?会津弁にしては奇妙な方言で話してくる。

たまらずオヤジさんに尋ねれば夫婦そろってここの生まれで他所へは行ったことがないと・・?
だまって聞いていれば関西弁と間違えてしまうほどなのだ。
これが桧枝岐弁とのこと・・。
なんだかキツネにつままれたような変な感じなのだが・・。


ここは平家の落人伝説があることを聞かされ納得。
夜はオヤジさんの話と山菜料理に岩魚の刺身を肴に酔心地も最高な一夜を過ごさせてもらった。

シブシブ付き合ってくれた浩ちゃんも満足した様子で一安心!!


追伸  ここのオカミサンが打ってくれた十割蕎麦が絶品でした。
松戸ナイター
2010.5.19
5月の立川F?U戦で特進を逃した根田空史が松戸ナイターに登場。

3月花月園ファイナルで地元の山田慎一郎選手を連れジャン先行で逃げ切り優勝を果たして以来、生の根田を見れる機会に恵まれた。

立川は2日間好タイムでまくり勝ち!
こりゃ間違いなく特進だわ!松戸ナイターにはこれないな〜と思っていたが・・。

決勝戦は北日本6車にマンマとやられ特進失敗!
前検日に取材に行ってみるとあまり落ち込んだ様子は見られず、淡々としている。

突っ込んで話を聞くと、特進は特に狙ってはいなかったが、出来ればしたかったぐらいの程度だったと。

もろもろ話をしていくうちに練習のことっとなり、聞けば聞くほどのめりこんでいく。

対戦相手に根田の印象を聞くと口々に歯が立たないと言うではないか。
さっそく初日のレースを楽しみに観戦。
勝つには勝ったが、相手を引きずり回すほどの迫力に欠けている。

あれが根田?かい。という内容に少しばかり拍子抜け・・。
2日目も強いのは強いのだがナンダか納得いかない。

中継後に取材をすれば脚がパンパンで7割程度しか力がでないけど日に日に軽くなってきたというではないか・・。

それじゃあ最終日は大いに期待できる。
その決勝戦だが、初日、準決勝とはまったく別物の強さを発揮・・。
2周先行で他を「おいでおいで」といわんばかりの逃げ切りV。

上がりタイム9.7秒で楽勝。
が、もっと驚いたことは、2周先行で39秒台をたたき出したこと・・・!

これは桁違いの強さ!!
競輪学校校長の滝さん2世といっても過言ではない!

身体にも恵まれ練習熱心。
性格も素直そうだし久々に”すげ〜”選手が出たぞ!!と期待大。

早くS級に上がって対戦相手を引きずりまわす先行を見てみたい。

根田君!!同郷の先輩として、いや、一競輪ファンとしておおいに期待
してるので、楽して勝つレースではなくジャン先行で上を目指してくだされ!!
タケノコ
2010.5.5
ゴールデンウィークの初っ端、タケノコ堀に出掛けて行った。
今年は今回で5〜6回目の出陣となるが、オレの誘いに乗ってくる者が段々と減っていくような気がしてならない・・。
断崖絶壁のあのタケノコ山なら仕方ないかも知れないが・・。

前回もヤマケンさんと浩ちゃんを誘い行ってきたが、帰り道で浩ちゃんに「また行くか」と尋ねるも、口を貝のように閉ざしたまんま。
(後日噂に聞いた話では、命がけのタケノコ堀など2度と行きたくないとボヤイていたらしい)

さて、天気も上々、タケノコ堀にハマリまくっている兄貴と兄嫁と、
タケノコデビューの加藤君を伴い竹山に向う。

いつもながらあの山道に入る瞬間はワクワクする。
それもビギナーを連れて行ったときの驚く姿を見るのがまた快感・・。
加藤君も例外なくいいアクションを起こしてくれ、フフフ・・ああ、快感!!

現場に着きいざタケノコ堀に崖を降りていく。
が、肝心要のタケノコは大きく育ち竹に変身しつつあり、小ぶりのタケノコを探すのがタイヘン。

しかたなく大振りのタケノコを掘り出し、運ぶことになったが・・。
ここからが本格的な肉体労働の始まり。

背負いカゴにタケノコを詰め込み山を登っていく。
これがハンパねえぐらいのきつさである。

この時期が唯一オレの運動する期間だし、自然と一所懸命になる・・。
運動時間は約1時間半、頭の上から足先までビッショリと汗をかき下山したときには精魂尽き果てグッタリ・・。

戦利品のタケノコは等分に分け持ち帰るが、我が家ではあまり喜ばないし、オレも食い飽きたし、慎太郎の家に寄り置いていく。

残りは近所に配ったり、赤井学君にもお裾分けすることにし携帯に電話をすると、夕方取りにくるとのこと。
 
約束の夕方に練習を終えた学君が我が家に来てくれ、オレがタケノコのウンチクを一通り話し終えると・・。

学君が、唐突に「吉井さん、娘のスポンサーになって」と訴えるではないか。

ナニナニ?
聞けば娘さんは小学生で5年もトランポリンをやっているとのこと。
習っているクラブは市内のテン・フォーテイーというところ。
千葉県でも相当なレベルだそうで、学君もそうとう入れ込んでいる様子・・。

あまりメジャーなスポーツでもないし、練習する場所もトランポリンがなければどうにもならないし・・と訴えてくる。

気持ちは分かるが、スポンサーなどとうていムリな話。
そこで、
娘が頑張ってオリンピック候補ぐらいになれば佐倉市も応援してくれるのでは?
と提案し事なきを得たが・・。

思えば選手の子供たちは、結構優秀な子が多いのに驚かされる。
こういう優秀な子が競輪選手を目指してくれれば競輪も盛り上がるのに・・!

お散歩ツーリングで
2010.4.21
巷ではオヤジライダーがツーリングを楽しむ姿が目立ち始めてきた。
オレのロシナンテもそろそろ冬眠から醒め、お散歩ツーリングでも行こうか考えていると、「武器学校へ行きませんか」とOBの浩ちゃんからメールがきた。
すでに現役K君には連絡済で行く気満々とのこと・・。

武器学校?あまり武器には興味はないものの、日ごろはオレが主導権を握り、
あっちこっちと連れ回しているだけに、今回は浩ちゃんに付き合うことにした。

目的地は茨城県の土浦にある「陸上自衛隊 土浦駐屯地 武器学校」だ・・。
午前10時に東関東道の富里Pで待ち合わせ成田インターを出て、一般道を約1時間ひた走る。

現地へは11時に到着したが、初めての場所にどうしたらいいものかと大の大人が3人でウロウロ・・。
これに見かねた門番の若い自衛隊員が声をかけてきた。
キリっと引き締まった体格に迷彩服を着用、髪型は短めの角刈りときている。
これがホレボレするぐらいにカッコよく気持ちがいい・・。
(それにくらべ今どきの若いモンは・・・・!と言いたくなるが)
この隊員がキビキビと応対してくれ、正門の横にある受け付けで見学許可を頂いた。

駐屯地の中に入り隊長の浩ちゃんの目の色が変わっているではないか・・・。
展示室には第1次大戦の戦車だの大砲だのが展示してあり、
これが浩ちゃんには大変な宝物かオモチャに見えるようで、デジカメを駆使し写真を撮りまくっている。
K君もかなりこういうモノが好きとみえ浩ちゃんと話がはずむ。
両者ともイタク戦車が気に入ったようで、オタクぶりを発揮しオレに説明してくれるので「何でそんなに詳しいの?」と尋ねれば、小学校の時から戦車が大好きだったとのこと・・。

浩ちゃんの専門用語を交えて話す姿は施設のガイドさんか現役の隊員そのものである。が、この専門用語が曲者でナニを言ってるのこの人?とチンプンカンプンである。

一通り施設内の展示場を見学し、満足したと思ったら隣の敷地にある予科練平和記念館に行こうと言い出す。
へ!まだ行くの!と思いながらも仕方なくついて行くことに・・・。


予科練平和記念館はまだオープンしたばかりの施設だが、
平日にも関わらず戦争経験者のジイサン、バアサン達が大勢訪れている。

館内には特攻で散った若い兵士の遺書や遺品に写真が飾ってあり、戦争のドキュメントビデオも上映されている。
これを眺めるにつれ、気持ちはドンドン重く切なくさせられる。

もし、自分がこの時代に生まれていたら、どうだったのかと考えさせられる。
柄にもなく、若くして日本のために散っていった先人たちに、心の中で手を合わせずにはいられない。

そして平和な今の世の中に生まれたことに感謝・感謝・・!


追伸

記念館から出て昼飯を食い帰る段になり、メカオタクの浩ちゃんがロシナンテのフロントフォークを指差すではないか・・・。
どうしたと、オレ!
すると浩ちゃんがフォークのオイル漏れを指摘・・。
浩ちゃんいわく、結構かかるかもね!と脅すものだから、
オレは冷や汗たら〜+ガックリと落ち込む・・。

そこにK君まで加わり「吉井さん乗り過ぎだもんね。それにその腹出過ぎでしょ」と・
追い討ちをかけてきやがる・・。

こうなると、もう気分はツーリングどころではない。
早く帰ってデイラーに修理に出さねばモード!

翌日慌ててロシナンテをデイラーに持ち込み恐る恐る修理代を見積もってもらうと・・
ウーン、微妙な値段をはじき出してきた。
だが、修理しなければならないしカミサンにゴマすり作戦を敢行するか、車券で払うかと思案・・。

結果は車券でゲット!!

さよなら花月園
2010.4.7
3月30、31日に最後の花月園に行って来た。

天気もよく正門へと上っていく傍らには桜が開花し”花見には持って来い”の季節だ。 何年も通いつめた競輪ファンも、 これが花月園で見る最後の桜に誘われ大勢押しかけてくれた。 こんな光景を目の当たりにするとホントに、これでここがなくなってしまうのか?と思えるほど・・。

30日は同期の山口健治さんとトークショウをやり、花月園の思い出話や地元の選手たちのことやら、持ち時間をオーバーするぐらいの勢いでしゃべりまくり、 残りわずかな花月園をしのんだ。

明けて最終日の31日は前日にも増して、熱心な競輪ファンが押し寄せF?U戦とは思えぬ人ごみに驚かされた。

おそらく2006年に井上昌己が優勝したオールスターか、それ以上ではないのか・・・。

ファイナル当日は朝から地元の選手たちのファンサービスで最後の花月園を楽しんでもらおうと頑張っている。

我々も及ばずながら中野さん久保さん木庭さん内林さんら解説陣と、 地元のOB白石章さん、白石章二さん兄弟に池田猛さん天笠真さん山下康裕さんで第7レース終了後に、スーパーレースが催されることに・・・。

だが、こまったことにこのメンバーでは先行選手がいない。

そこで、木庭さんが3分戦で戦おうと提案・・。

おのおのラインで作戦会議・・?

が、気だけが先走り脚力が伴わない。
そりゃ、現役を引退し誰も練習をしていない方たちだし・・・。
作戦通りに事が運ぶはずもなく、レースが終わって降りてくる面々は息も絶え絶えの状況だった。

ちなみにオレはレースには参加しなかったものの、人生初となる打鐘員を勤めさせてもらい「オッ、いけるかも」と、思える小槌さばきに我ながらホレボレする一幕もあったりして。

にぎやかな中にも今日で花月園の火が消えることを思うと、寂しさは隠し切れない。

すべてのレースが終了し、開放されたバンク内をファンとともに歩き、 記念撮影をしたり話をしたりと、短い時間ではあるが、それぞれが花月園の思い出に浸りしんみりとした時間を過ごし59年間にピリオドを打った。

首都圏の競輪場が消え行く展開になるとは、誰も思ってはいなかっただけに厳しい競輪の現状を考えれば、OBもたまには競輪場に足を運び車券を購入し、 お世話になった競輪界に恩返しをしてくれることをお願いできれば・・。

ドリフのコント
2010.3.24
先週の頭に「明日、千葉競輪に行った帰りに暗い寿司屋へ行くかい」と山ちゃんからメールが届いた。

その日は岸和田記念の最終日と千葉F2戦の初日。
平日なのに、会社をサボってまで行くとは。(有休が有り余っているとのこと・・)
しかもアイちゃんまで会社が休みだと・・?
こうして佐倉の3バカがそろって千葉競輪場に出向いていった。

アイちゃんは岸和田を、山ちゃんは両方で、
オレは本場のF2戦チャレンジを主体にそれぞれが攻める。

やっぱチャレンジは当てやすく、連戦連勝!!
ボックス車券を主に買うので配当は取りガミもあったが、
並びが違うとソコソコ美味い・・。

全レースが終わり、それぞれの収支は定かではないが、
山ちゃんのお気に入り?の”暗い寿司屋”へ行くことに・・。

店に着き引き戸を開けると、戸車のすべりの悪さがいかにも年季が入っていることを物語っている。
店へ入り中をぞけば奥に年代モノの大女将(86歳)がゆっくりと首だけを動かしヌ〜と、こちらに目を向けている。
店の大将は2代目だそうだが、まったく威勢がない・・。
たいがいの寿司屋なら「へい、いらしゃい」と威勢良く声をだすところなのに・・。
ここのオヤジときたら小声で「どうぞ!」だって・・

ウ〜ン、山ちゃんが絶賛するだけの暗さだ。

カウンターに腰掛けようとすれば、ナント椅子には黒いビニールテープで補強が施されている。
マスマスもって暗い雰囲気に追い討ちがかかる。
まるで昔のドリフのコントを見ているようだ。

ちなみに客はオレたち3人だけ。

ビールとつまみを注文し飲んでいると、嫁とおぼしきカミサンが裏から入ってきて、
大女将と小上がりで夕飯を食い始めるではないか・・。
それもごく普通の家庭で飯を食うような雰囲気で、四方山話をしながら・・。

この店では、これが当たり前の日常生活なのだろうが、タマゲル光景だ。

後ろで起ている出来事に戸惑いを感じながらもビール、焼酎と酒が進み、
なんとなく落ち着きを取り戻すが、ナンダか??と合点がいかない。

が、なんか不思議な異空間も、なれるに従い普通に思え居心地もマズマズ。
山ちゃんの言っていることが、なんとなく理解でき、大将の仕草や会話を聞くにつれ「フ・フ・フ」と、くすぐられるようなおかしさに笑いがでてしまう。ナンデだろ??

しばらく大将ウオッチングをしてると若女将?が寿司桶を出してきた。
出前かな?いぶかしげにたずねると、大将がニヤニヤと寿司桶の中を見せてきた。
意味も分からず中をのぞけば○○屋と書いてある。
へ?ナニナニこれ?ここの店とは屋号が違う?

どうなってんのと・・。すると○○屋に出前をするとのこと・・。
「○○屋も食事処なのに?へえするって〜と、大将のところは○○屋の下請けかい」
ということでナットク。

よくわかんないが、この業界も分業制が敷かれているのか、
はたまたワークシェアリングなのか・・。

いずれにしても、暗い寿司屋は千葉の某所に存在する。

思い切り落ち込みたくなったら、ここに立ち寄れば確実に望みはかなうかも・・!
心に誓いを立てた
2010.3.10
今年初のG?T、松戸燦燦ダービーは村上兄が押さえ先行で弟博幸の初優勝。
兄弟ワンツーを決め感動のシーンで幕引きとなった。
ダブル解説で内林久徳さんと決勝戦を見ていたが、村上兄弟がゴールした瞬間、隣の内林さんを横目で見ると、目がウルウル・・。

村上兄弟との思いが一気に湧き出て感激のあまり声もでない様子。

オレもつられてヤバイことになりそうだったが、グッとこらえ一人で受け答えをすることにした。


が、決勝戦のレース内容は、なんだかこれがG?Tの決勝戦・・?
とクビを傾げたくなる単調なレースで終わってしまい残念。
もうちょっと激しい攻防があってもいいのでは・・。
と釈然としない気分にさせられたのは、オレだけだろうか・・。

4日目のゴールデンレーサー賞で市田に4・17の大ギアの弱点を突かれスローペースからの先行を許し、山崎は学習済みのはずなのに。

ふたを開けたらまた同じ轍を踏むとは・・・。
せっかく準決勝でいいレースをしたのにもったいない。

山崎にとって2回もしくじったことは今後のレースに大きな課題を残したのでは?

次回からどうレースを組み立てるのか興味津々となってきた・・。



放送終了後、主催者の川井敏久市長ら関係者が集まるレセプションに出席させてもらったが・・。

市長の言葉は「競輪が大好き」という気持ちに溢れ、延々と情熱的に語り回りの人たちもこれに感銘を受けうなずく場面も。

日ごろも忙しい時間を割き、松戸競輪場に脚を運びF?T戦の優勝者に賞状をわたしたり、自らレーサーに跨りバンクを疾走?したりする熱血漢。

近頃の競輪低迷を心底心配し、声高らかに「競輪の火を消してはならない」とに訴えている。

おそらく川井市長は日本一競輪を愛する施行者にちがいない。

オレも競輪に携わる一員として、「マスマス競輪活動に拍車をかけて行きたい」と心に誓いを立てた。
もう一度あるかも!!
2010.2.24

東西王座は見ごたえあるレースが続き3日間があっと言う間に過ぎてしまった。
自動番組で初日から村上兄弟が乗り合わせたり、
S級シリーズも若手起動型の激突で大いに盛り上がった。

そんな盛りだくさんのシリーズでも圧巻は、
準決勝でぶつかった愛知の深谷知弘と青森の坂本貴史とのレースだ。

大方の予想通り両者がジャンから壮絶なもがきあい・・。
深谷には岐阜の浜口高彰がマークし、坂本にも斉藤登志信と強力な追い込み陣
それぞれ続くが、2人はまったく後ろのことなどお構いなくもがきにもがく・・。

チャレンジならまだしも、これじゃ持つわけあんめ〜。
三ツ石のまくりでおしまいだ・・。
3-8 5,970円 (20) 単 3-8-7 58,170円
と思いきやナント・ナント、もがき合った両者でワンツー、オマケに三ツ石までまくってきて前前前の起動型でゴールを占めてしまい3連単58,170円と高配当。
チャレンジならよく見かけるケースなんだが・・・!


オッズチャンネルでしゃべっている磯さんも山健さんがしゃべり過ぎて、
この車券を買いに走ったが、すでに締め切られチョン・・とぼやく。

あ〜あ気の毒に・・。
と少しだけ同情したが、「他人の不幸は蜜の味」とばかりに
買いそびれたマークシートを片手に冷やかすと、磯さんは真っ赤になって悔しがる。
(実はオレも狙っていたんだが・・・。磯さん以上に悔しかったよ)

だけどあの浜口、斉藤のベテラン勢を手玉に取るとはタマゲタ連中だ。
決勝戦も激しいレースの末、深谷が逃げ切りS級初優勝を果たした。

近い将来、このヤングたちが競輪界を背負って立ち、数々の名勝負を残してくれるにちがいない。


東西王座戦もS級S班の武田、市田がそれぞれがしっかりチャンスをモノに優勝をはたした。

3月の松戸ダービーもSSでしょうがない?!!

いやいや、弟子の誠が今年に入り絶好調!!

2005年3月21日を忘れては困る。
(ちなみにこの日は滝さんの誕生日であった)
滝さんも「オレの誕生日にいいものを見せてもっらた」と感激していたっけ・・。

伏見の先行で番手からVロードを突き抜けた、あのシーン・・。
もう一度あるかも!!

 

長いものにはまかれろ!
2010.2.10

渡邉晴智の優勝で幕を閉じた静岡記念へ今年も行ってきた。 去年の暖かさとは打って変わり今年の静岡はとんでもなく寒い・・。
強風のオマケ付きで体感温度はテレビの天気予報で発表している以上だ。

が、初日から地元ファンはこんな寒さなんぞものともせず、静岡応援スタンドに陣取り熱い応援をしている。

しかも初日は平日にも関わらず朝から結構つめ掛け「あれ?今日は祭日だっけ?」
と勘違いしてしまうぐらい場内には人がいて活気にみちている。

空き時間に一緒に出演してくれた予想屋さんのヒロちゃんのところへ出かけ、競輪談義をしたり、近くで店を出してるヒロちゃんのお父さん「チャンピオン」さんとも話したりしたが、昔から付き合いをしているかのような雰囲気になってきてしまう。

これって県民性なのだろうね!


静岡選手応援スタンドに戻り相方のDJカツヨシさんと応援をしていると
「ゴメン下さい、ヒデさんです」でお世話になったカリスマ社長こと遠藤さんがやってきた。

ヒデさんの収録をしていたときもパワフルだったが、競輪場で会う遠藤さんはひときわエネルギッシュで生き生きしている。(この人、心底競輪が好きなんだ)

「ヒデさん、今日あいてたら晩飯を食おう」と誘われ、仕事が終わってから遠藤さんの経営している焼肉店にでかけていった。

そこには久し振りの焼肉に、我を忘れてガツガツ食う自分がいる。

遠藤さんも進め上手でついつい箸が進んでしまい、気がつけばオレの腹はますますメタボに・・・。

たらふくゴチになり店を出ると繁華街は絶好調・・。
ここは不況しらずの別天地か?と思われるような光景がひろがっている。
日本中が不況であえいでいるのにどうなってるの。

翌日この話をすると、ボッタグリの店がなく低料金で安心して飲めるからだと分かり納得。

栄養をつけ寒さに負けず仕事に精を出し、なんとか4日間を乗り切ることができ、車券的にもトントンで終了・・。

しかしS級S班は強いね。
今年に入り立川記念で浅井康太が優勝し、続く熊本記念は武田豊樹、大宮記念でも地元の平原康多、和歌山記念は永井清史、向日町記念は地元村上義弘、そしてここ静岡記念も地元の渡邉晴智と、SS旋風は留まる気配がなく格の違いをまざまざと見せ付けている。

間近に迫った東西王座戦も松戸ダービーもSSの牙城を切り崩すことは難しそうなので素直にSS様から狙うことにしよう。

格言・・長いものにはまかれろ!作戦でいきますよ。

 

ボランティア活動
2010.1.26
ようやっと風邪も治り、いつもの生活に戻ることができるようになってきた。

そんなある日、山ちゃんからオニカサゴを釣ったからと電話をもらった。
が、その日はどうしても都合がつかず合流することが出来ない・・。

食いたいな〜と、思いつつも諦めムードとなりその旨をつたえると、
「大丈夫、イッパイ釣ったから後日またやろう」と山ちゃんからありがたいお言葉を頂戴。

あらためてカミサンと御相伴に預かる事になったオニカサゴ様・・。

一口食うといや〜・このヤローがとてつもなく美味すぎる!
久々に超美味いモノに出っくわし、自然と笑みがこぼれ酒も進み話も弾む。

しばらく無言でオニカサゴを貪り腹が落ち着いたころオニカサゴの話になった。
山ちゃんいわく、この魚は見た目もグロテスクでそうとう獰猛な魚だと・・。
釣り上げても油断してると噛みつかれタイヘンなことになるのだそうだ。

普通の魚は釣られしまうと観念して大人しくなるが、これはバケツの中でも
隙あらばと相手をにらみつけているらしい。
ゲンに山ちゃんも油断して指をかまれ傷ついていた。

ホウホウそりゃヤバイ魚だわ。
と言うとオレも同じ事を考えていたが、オレより先にカミサンが、
「アンタそっくりね」だと・・。
オレもカミサンにそっくりそのままのことを言うつもりだったのに・・やられてしまった。
一同オレよりカミサンの方を見てアングリ・・。

たらふく食って飲んで時間も立ち、山ちゃんに感謝しつつお開きで散会。

家にたどり着きカンボジアから仕事を終え帰ってきたばかりの娘に話して聞かせると・・・。

「ふ〜ん」と冷たく聞き流されてしまい、挙句には娘の演説(お説教かも)が始まった。

「何かお父さんたちを見ていると、カンボジアの人たちとのギャップを感じ切なくなるの」だと。
「カンボジアでは貧しくて学校に行きたくても行けない子がいっぱいいるんだよ」
「日本は学校に行くことができるのに登校拒否をしたり、引きこもったりと、どうなってるのかね?」
「伸介(島田)さんなんか学校を建てたりしてるんだよ」

「少しはお父さんも見習ったら!」と・・。

せっかく美味しいオニオコゼをご馳走になったのに、すっかり酔いも醒め黙って聞くばかり。

返事をしないと「聞いてるの」とカミサンが乗り移ったように威圧してくる。
間違いなくカミサンのDNAはしっかり受け継いでしまっている。

子供だとばかり思っていたが、彼女もいつの間にか大人ジャン。

が、ここから少しばかり反撃にでた。

我々競輪ファンは、日ごろからボランテア活動に従事しているのだと・・。
車券を買うこと自体がすでに立派なボランテア活動であって、
この売上金の一部は社会に還元されてるのだ。
我々は間接的に社会貢献をしているのだと力説・・。

「屁理屈を言ってないで、鉛筆でもノートでも買って今度私がカンボジアに行くときに持たしてよ」と・・。

「わかったよ、車券で儲けたら気持ちよくその申し出に答えましょ」と言えば・・。
「車券を買わなければ簡単なことでしょ」と言われ、

「だから、車券を買って日本に貢献し、それからカンボジアでしょうよ」と心でつぶやく。

まあ、何はともあれ今年も大義名分ができたことで、大手を振って競輪活動ができる!!へへへ。

好事魔多し
2010.1.14
「寅年は飛躍の年!」とラジオで言っていた。

それならと、元旦そうそういつものメンバーがそろって千葉競輪に出勤し運試し。

「元旦千葉の第1レースは荒れる」を合言葉に3連単504通りを買い払い戻
し金を待つばかり・・。
ところが結果は本命・対抗で決まり1、660円と真っ青・・。
やっぱF?のチャレンジじゃ荒れないのだ。

が、これで目が覚めたのかF2本来の堅い買い方を実践。
コツコツと回収作業に終始、終わってみれば少々プラスで終了・・。
カミサンにもお年玉を上げ幸先よいスタートをきることに成功!

2日目は休んで大師匠のお宅へ年始に伺い、最終日に出かけたが、
この日もコツコツと車券を買いプラスで今年は負けない・・。

年が変わってこれほどまでに流れが向いてくるとは・・・。
なんだか今年はやれる!!と立川記念も勝負にでた。
中途半端な荒れ模様のレースで道中は一進一退が続くき
ヤバイやっぱりオレのツキもここまでか!
と思いきや、ここでもナントか踏ん張り最終レースを制し
サイフの中は久々にホクホク・・。

う〜ん・キモチイイ!!


だが、調子こいてロシナンテを転がし出かけたのが祟ったのか、
どうも帰りが熱っぽい。

酒でも飲んで寝れば治るとタカをくくり一杯やって寝たが・・。

2日たってもまったく改善されず節々はキシムしカミサンに促され病院へ・・。

すると新型インフルエンザではないが、感冒と診断されあえなくダウン・。

今コラムを書いてるときにも咳・鼻水・頭痛の3病苦に悩まされている。

好事魔多しのたとえのごとくうなっているしだい・・。


思えば引退して8年!
まったく自堕落な生活で相当体力も落ちている。

今年は本腰を入れ身体を鍛えようかな!

吉井秀仁
よしいひでひと
昭和31年千葉県生まれ。
昭和51年10月、38期生として選手登録。同51年11月千葉競輪場にてデビュー戦を完全優勝で飾る。二年後の53年に新人王、翌年の競輪祭では競輪王の称号を獲得し一気にスターダムをのし上がった。55年前橋ダービー、59年西宮オールスターを優勝。通算出走数2073走、1着464回、記念競輪優勝数30回(歴代15位)。華々しい成績を残して平成14年7月現役を引退。現在は東京中日スポーツ専属解説者、テレビ、イベント等で活躍中。
吉井秀仁
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好事魔多し


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