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HOME > コラム【黒潮ヒデの競輪道四十七次】 コラム【さとうゆみの輪くるライフ】へ
コラム

下記イラストは競輪絵師竹田氏の作品です。ホームページはコチラ>>  
 
今年のGPはやれる!
2007.12.19
 先週、イベントで京王閣に行ったときのこと。

オーバル予報会のイベントは正門を入ってすぐ目の前の池を越した先だ。 いつもだと、この池の脇を素通りしていくのだが・・

  車券が下降線をたどり、停滞気味でどうもいけない。 「こんなことではGPを勝って年を越すことはできね〜。
  ナントか(いやナントしても流れを変えたい)」と思っていた。 そこで例によって「困ったときの神頼み」。
  で池の脇のお稲荷さんが目に止まり、当然自己中のお願いをする。
  いつもだと111円をお賽銭にするのだが、持ち合わせがなく10円で済ませ気分一新。
  このときひとつの絵馬が目に飛び込んできた。

  たしかその絵馬には「競輪選手並みに稼げますように」と書いてあったようで・・
  「ゲッゲ〜!オレより欲深な御仁がいる」。

  このお参りが功を奏したのか、出だしは好調。車券も堅かったせいもあるがオーバル予報会はバッチリ。

  一回目が終わって控室にもどりくつろいでいると、隣の部屋で懐かしいローラーの音が聞こえる。
  気になりのぞいてみると誘導部屋である。
  参加選手でない誘導員は気楽なもので、部屋でゴロゴロしてたり、雑談に花を咲かせ和やかムード。
  普段の競走とはまったく違い、緊張感は10分の1程度。

  オレを見つけるとミカンを差し入れてくれ、お返しに場内から串揚げを買ってきてミンナに振舞うと、 誘導を引く直前なのにその串揚げを頬張りながら、バンクに向かう誘導員・・。
  競走選手ならゼ〜ッタイに緊張感でゲロを吐くのに・・・
まったくそんなそぶりを見せず、 規定タイムで誘導を完了しケロっとして戻ってきた。

  (いや〜、たいしたもんだ) と感心してる間に2回目の出番となり、これも人気サイドで堅く決まってOK!

  このシリーズはそれほど儲からなかったが、いいキッカケをつかみ流れをモノにした。 今年のGPはやれるッ!!

麻雀の虫
2007.12.5
 最近、麻雀の虫がうずき出してきた。  車券を買える立場になって、すっかり忘れていたのに。  先月になるが、松戸に用があったので、たまには練習でも見るかと競輪場に立ち寄ったときのこと、健坊がバンク練習を終えクールダウンをしているときに、「ヒデ、たまには(麻雀)やるか?」と声をかけてきた。
 「メンバーがいないからできねーだろうよ」と言うと、
 「大丈夫だよ、カモが来たからって電話すればみんな来るよ」
 と、馬鹿話をし、メンバーが集まるまで競輪場の近くのそば屋で昼食がてらみんなを待っていた。

 集まってさっそくワイワイガヤガヤと賑やかに2時から6時半まで楽しい一時を過ごし、車券の負けより怪我なく無事に帰ることができた。

 このことがオレの眠っていた虫を呼び覚ますことになり、その後もアンちゃんのいる町屋にまた足を運ぶことになってしまった。町屋でもオレを歓迎する雰囲気があり、「おー、よく来た。生きてたの」とカモぶりを発揮。しばらくぶりなので、「最近のカモは苦いよ」と毒をもったカモに変身したオレは、町屋では、その効果が遺憾なく発揮され、勝ち組で家に帰ってきた。

 そんなこんなで、熊本の全日本選抜でも、記者仲間のNさん、Wさん、Uさん、Tさんと卓を囲んで夜通し交流を深め、気がつけば朝…。

久しぶりの徹夜はキクー。

 50歳を過ぎると、こんなに体力が落ちているのかと気がつかされ、本業の車券購入にはイマイチ集中力が沸かず、ボーッとただ車券を買うだけの一日になってしまった。

 ボーッと買っていてもいいことはあった。マークシートを書き間違ってしまった車券が思わぬ高配当となりタナボタ。たまには徹夜で集中力をなくした方がいいのかも。
泡立たない思い出
2007.11.21

 一宮記念展望の仕事で、スピードチャンネルに通ってた。
 電車を乗り継ぎ5日間も通うと、サラリーマンになったような錯覚に陥る。
 ちょっと違う、午後から出勤するところぐらいか。
 最終日も展望をなんとかこなし、家に帰って晩酌をしながらテレビを見る。
 記念展望に映ってるおのれの姿を不思議に思いながら酒をあおり就寝。

 前の晩少し飲みすぎたようで、頭がボーと・・。
 頭をシャッキリさせるため風呂に入りうっすら汗が出たところで湯船からでて頭を洗う。
 いつものパターンで、シャンプーのついでにそのまま残った泡で顔も洗う。
 ところが、深酒が祟ったのか顔が脂ぎりスッキリしない。

 カミサンの洗顔石鹸らしきモノを見つけチューブからそれを取り出し顔を洗うとヌメヌメ、ヌルヌル・・・?
 泡が立たない? やり方が間違ってるかも・・再度チャレンジするも同じである。
 ラベルを読むと○○トリートメント(髪に潤いをあたえ・・)等々書いてあった。
 「ゲッゲ〜」やっちまった。
 気を取り直し湯船に浸かり、「あっそういえば昔・・・」とデビューしたてのことを思い出してしっまった。

 あれは確かデビュー4戦目か、5戦目に一宮へ参加したときのこと。
 おやじさん(師匠 須藤一男)と一緒の開催とあって心強い。
 (当時は競輪場の宿舎の風呂場にはシャンプーが置いてなく、石鹸で頭を洗う人や持参する人もいた)
 おやじさんに喜んでもらおうと、オフクロに頼んで携帯用のシャンプーを買ってきてもらい持参した。
(これが失敗のもととは気がつかず)
 前検日の夕方おやじさんと風呂を浴びに行き、頭を洗う段になりシャンプーを渡すと泡がでない。
 「ヒデ、どうなってんだ?」と「もっとシャンプーをかけたらいいですよ」と答えるもまったく泡が立たず・・。
 ラベルをみるとそこにはリンスと書いているではないか・・・。
 風呂場にいた先輩たちもこの光景を目の当りにし、大笑いをしたのは言うまでもない。

 30年も前のことを思い出せるのもこうゆう失敗があってのこと。
 たまにはこんな失敗も過去を思い出させてくれる、格好に失敗で許せるぜ!

ふるさと松阪を終えて
2007.11.07
 千葉記念が終ったと思ったら、翌日がふるダビ松阪の前検。
千葉記念では、ホントいい流れで3日目までが終わり、この調子なら「最終日は大ブレークで、松阪に乗り込める」と自信を深める…!

  この自信が過信となり、気がついたときには、時すでに遅し。最後に望みをかけ、翌日からの松阪牛を目指し最終レースで佐々木の逃げ切りから勝負。結果は井上のまくり追い込みに屈し、トホホでドボン!
(井上の頭、佐々木の2着は押さえてたんだけど…)

  帰り道は、カミサンからどうやって金をせびるか考えながら重い足取りで帰宅。長年連れ添ったカミサンだけに、オレの顔色を見ただけで結果がわかってしまう。オレもあれこれ言い訳せずに正攻法で「ヤラレタ!と…。明日から松阪に行くからお金を頂戴!」と拝むと、あっさり虎の子をわたしてくれて拍子抜け…(カミサン何か悪い物でも食ったか?)

  翌朝電車を乗り継ぎ松阪に到着。
例によって取材をしコラムも終了。ボサっとしてると、久保さんが
  「ヒデ、緒方とお伊勢さんに行くけどお前も行くか?」と。
オレも伊勢神宮はお初なので「お願いします!!」の一言で決まり。

 早速車に乗り込み、今シリーズの武運をお願いしに緒方さんと3人で出発。テレビなんかでは見たことはあるが、実際来てみると「オオっ、すげー」と敷地の広さにも驚かされるが、立派に立ち並ぶ木々や、お社に荘厳な気持ちにさせられ感激。
  薄暗くなった参道を玉砂利を踏みしめ歩いていくと不思議と背筋が伸び、よこしまな気持ちが無くなり、柄にもなく「選手や、競輪の発展」を祈る気持ちにさせられる。

 しっかりお参りもすませ、初日からふるダビ松阪でいざ勝負。ふるダビは地元地区の選手から狙え”。とばかりにいったが、2次予選で中部勢が
全滅。ついでに大介(武井)も初日の落車が痛々しいほどの状況で2次予選を走ったがクリアできず欠場。一緒に行った赤井の2日目に落車し千葉勢も全滅し、残ったのはオレだけ・・。

 オレも結果は散々で、逃げるように松阪を後にした・・・ガックリ。

かあちゃん、ゴメン。
2007.10.24
 カミさんと千葉に出かけたときのこと。 
  いつものようにカミさんの話を聞きながら出かけたんだが、最近ガソリンが値上がりしている話になり、車も省エネ走行しなければいけないと。
  「私も最近、車を運転するときはダリキ走行しているんだけど、アンタはどう?」
  「ん? ダリキ? なんだそれ?」
  「アクセルをゆっくり踏んでスピードが出たら、その勢いで走るのよ!」

  「ちょっと待て。そりゃダリキじゃなくて、惰力(ダリョク)って言うんじゃないの」
  「え、ダリキじゃないの。惰力って書いてダリョクって読むんだ?」

娘も「お母さん、いいかげんにしてよ、常識でしょ」と。
オレも「娘と3人だけだから、ここだけの話しにしておこうな」
  と、このときは言ったんだが、ウズウズして心の中に閉まっておけない。ちょっと、おもしろいのでバラしてしまった。

  ついでだから、もっとおもしろい話も書くが、何年か前にカミさんと娘とオレでスーパーに買い物に出かけたときのこと。娘は鶏が大好物なので、カミさんが「今夜は焼き鳥よ」と肉屋の前で言うと「オバちゃん、ケバサキください」と…。

  店員のオバさんは「ハァ?」と小首を傾げたんだが、「ああ手羽先ね」「そうそうケバサキよ」と両者間では会話が成立し、手羽先を紙に包んで手渡してくれた。
娘もオレも、顔を見合わせ「今、お母さん、ケバサキくださいって言ったよな?」。確認の意味で、カミさんに「今なんて言った?」と聞くと、はっきりと「ケバサキでしょ」と自信をもって答えた。
  娘も「ウォー、スゲー」と言いながら、「お父さん、手も毛も漢字にすれば右にはねるか左にはねるかの違いだから、お母さんにとっては大して変わらないんじゃないの」。

  「お母さんならあり得るな」と言いながら、何となく気恥ずかしい思いで車に乗り込み、カミさんに「その手羽先はケバサキじゃないんだよ」と言った。カミさんはすかさず、「今までずーっとケバサキだと思ってたのよ」。
 「何で?」と聞くと、「店の人がケバサキって言ってたから」と。
それはただ単に聞き違いじゃないんですかね。
  「そうよね。私もケバサキなんて変だと思ってたのよ」と、それから正気に戻ったようで「ああ恥ずかしい」と涼しげに言っていた。

  こんなことは、我が家ではしばしばあることだが、今回はネタに行き詰まって書いてしまって少々後悔しているが、よその家でもこんな勘違いはあるんじゃないのかな。

  またネタに詰まったら、この続きを暴露したいと思うんだが…。

  かあちゃん、ゴメン。
浪花節に感動
2007.10.10
 村上博幸の優勝で幕を閉じた向日町共同通信社杯では、すべてが村上博
に味方した。
 それには、本人の日ごろの努力のあるが、兄、村上義弘の存在なくし
ては語れないドラマだったように思う。

 2日目の「京の雅賞」で兄弟が初連携。
 「世話になった兄の役に立ちたい」と訴える弟に、オレの背中で勉強しろ、と言わんばかりに弟を後に回し主導権。
 ホントこれが兄弟愛。観戦していたオレも「久しぶりに筋書きのない浪花節のドラマ」を魅せられ感動した。

 決勝戦なんかも武田が早めに押さえ、何を思ったのかジャン発進・・。
「オイオイ、そんなに早く行ったら持たね〜べ」と。山崎も武田に前 に出られスローダウンさせられ4.00の大ギアの弱点がでて車間が大きく開いてしまう。
 武田が早めに押さえに来たんだから、すんなり下がって出直せばいいのに・・・と。
 見ていてヤキモキしてしまい、握りしめた車券もグシャグシャにならんばかり。
 落ち着きはらって村上がまくってチョン。村上からもいってたが、北川がない・・・・。

 前検日の晩、緒方さん、わが東京中日スポーツの工藤先輩、島田君と京都の居酒屋で一杯。
 「前回儲かったから」と島田君がオゴッてくれ「オオッついてる」と上機嫌。勢いがついて軽く2次会へと工藤さんと2人で祇園の御茶屋さんへ。
 サンザン飲んで「そろそろ帰るか〜」と言うところに舞妓さんが帰ってきて千社札をオレ達にくれた。

 舞妓さんの千社札を財布に入れとくと、「お金が舞い込む」というのに・・・。
 あ〜あ、今回も惨敗・・。
高知でアフター
2007.9.26
 先ほど終わった高知オールスター競輪が、飯島則之選手の優勝で幕を閉じたときのこと。

 高知には前検前日に入り、競輪学校時代の同期同班だったMさん(タバコ事件でクビ)の家へころがりこんだ。
 久々の再開で、お互いちょっと体形に変化は見られるものの、そのことを除けばまったくブランクを感じさせない。
 その晩は推して知るべしで、明くる朝は二日酔いの一歩手前…。
 名残惜しいが、またの再開を誓ってMさんの家を後に競輪場へと出発…。

 ポイント制の勝ち上がりだけに選手たちも悲喜こもごももドラマが展開された。
 特に準決勝Bでここのところメキメキ力をつけてきた永井に浜口の並び。小野は高城を目標にということだったが、コメント変更で小野は永井の番手へ…。高城の番手が空いて誠(鈴木)にオハチが回ってきた。
 その高城が永井の隙を突いて、かましまくりに乗って誠が直線抜け出しタナボタで決勝戦に駒を進める。
 オレもこれには小躍りするぐらい嬉しかったが、「ホ・ン・ト・に、この男は強運の持ち主だ。」と感心してしまう。
 この勢いなら、もしかしたら…と期待し観戦。

 小嶋の欠場で層の厚さを誇る北日本勢の自力型4車が決勝戦し進んだが…。
 並びがなかなか決まらずモタモタしていたが、ドーリームレースとは逆で山崎が先頭で佐藤友が番手戦。
 ここに北の並びが決まった時点であっさりと飯島は山崎の番手勝負…のコメントを出した。

 はたして最後まで佐藤は競るのか? と疑心暗鬼にレースを見ていたが…。
 道中は佐藤、飯島で並走も佐藤が1車下げ、山崎が新田の上昇にあわせ早めのスパート。
 すんなり番手回りの飯島が、らくらく直線抜け出しG1初決勝戦進出で初優勝をとげた。

 なんとなく?? とクビを傾げたくなるレースだったが…。

 この日は飛行機が満席で帰れず、誠、中村浩士、海老根、大介、も泊まり…。
 泊まりとなれば、オレも20年前の絶好調時代を思い出し、あのころの「芸風」を少し披露し、羽目をはずして大はしゃぎ。

 千葉の伝統は同郷の後輩たちにしっかち受け継がれており、成長ぶりには目を見張るものがあり大笑い。

 たまには、こんなアフターを頼むよ…ミンナ。
流れは変わるか!?
2007.9.12
 9月に入ってすぐの岐阜記念をスピードチャンネルで、記念展望の仕事をやっていたときのこと。

 いつものことだが、初日、2日、3日目は千葉で場外を楽しみ、夕方スタジオに入るのがオレの生活パターンとなっている。
 今月に入ってからは、どうも調子が上がらず、勝負したところは1着3着とか、2着3着になって「ア〜アッ」とガク・・。
 ワイドか3連複にしてればよかったと、ぼやきがでる。
 慰めにチョッと押さえたところがくるもんだから、取りガミ連発・・「ン〜ッ!」と、イライラが募る。
 まるで便秘気味で便所にこもり、眉間に皺をよせ真っ赤な顔をして唸るみたいな状態に陥ってしまい、どうしようもなくなっちまう。

 「どうもいかん。」と、この流れを断ち切るつもりで最終日はラピスタ新橋で車券勝負にでたが・・・。まったく流れを引き戻すことができず惨敗。

 しょぼくれながら夕方の「速報Gフラッシュ」をやりにスタジオへ向かうが、
「このまま本番に突入するわけにはいくまい」と、水道橋の駅前にある宝くじ売り場へ立ち寄りロト6を購入。
 2億円の膨大な夢を買って気分転換・・。不思議なものでロト6を手に置き眺めていると、
 すでに1等を独り占めにしたような気分になり、「ムフフ」とほくそえんでしまうのはオレだけか・・。

 まだつかんでもいない2億円をフトコロに、速報Gフラッシュを仕上げ、
 今回一緒に番組をやっていた、さとう ゆみさんとデイレクターの3人で焼き鳥屋で一杯やることに・・。

 初めて行く焼き鳥屋なので場所がわからない。そこでタクシーを拾い行く事にした。
 適当にタクシーを止め、運転手に場所を告げる。
 万全な体制を敷くためにナビをセットしてもらい、いざ出発。

 が、運転手もナビに不慣れなようで、焼き鳥屋を通り越してしまったようだ。
 東京の道は一方通行が多いので、通り越した先で降り歩いていくと、我々も方向違いをしたようで迷子の一歩手前。
 すると前からさっき乗ったタクシーが通って反対側だと教えてくれ、事なきを得て無事焼き鳥屋に到着。

 まずはお疲れさんで「生ビー」をのどに流し込み至極の一杯を味わい、「く〜ッ」たまらん。
 それから先はあれこれ好きなものを注文し、「何をしゃべってどうなったのか?」
 となる一歩手前まで飲んで、いい心持で解散・・。

 これで流れも変わっただろうし、オールスターでは心機一転、また爆発の予感が・・。
ハナの熱中症
2007.8.29
 今年の夏は地球温暖化の影響か、全国各地で猛暑、酷暑で熱中症にかかり病院送りになったり、死んでしまったりと大変な事態が起こっている。

 我が家でも一人(いや一匹)熱中症らしき症状で、ハナが朝方ゲロまみれになってグッタリしてしまった。
 カミサンがあわてて飛び起き「オトーサンたいへん」とオレを起こす。
 飛び起きたオレは雑巾を取りにいき、畳や布団を拭き様子をうかがってると・・。

 今度はソファにたんまりとゲロを・・ゲッゲエ!

 もしかしてこのまんま昇天か?と思われるほどの悲惨な状態に陥り、
 オレなんか、どうしていいのかさっぱりわからずウロウロ。
 そのときカミサンは素早くかかりつけの獣医さんへ電話をかけ、指示を仰ぎ診療時間まで自宅待機。
 診療時間になり獣医さんのところへ駆けつけると、そこにはハナと同じ状態の犬猫が列をなして順番待ち。
 「へえ〜ッ 、ウチだけじゃね〜んだ」と妙に納得。

 そういえばこの前も千葉の動物公園のレッサーパンダも熱中症で死んだんだっけと・・。

 何はともあれ診察が終わり注射をしてもらうと、いつもの元気なハナが復活し一安心。

 本音を言えば娘が気に入って飼ったハナだけに、ポックリいかれたら大粒の涙をあふれさせ悲しむに違いないし、
 なんてったて娘はまだ、ハナのローンを後1年半も払わなければならないので、ここで死んでしまうと娘は幽霊に支払うはめになるのだから・・・。

 まだまだ、残暑が厳しい中、熱心な競輪ファンのみなさんは競輪場の足を運んでレースに熱中してくれるのはホントにありがたいが、熱中症にだけは気をつけて選手を応援してください。

 選手のみんなもこんな暑さの中練習をしなければならないので、ホント大変・・。身体には十分に気をつけてくださいよ。

追伸
 さとう ゆみさんが作家デビューをしました。
「風のしま」というタイトルだそうです。オレも一冊購入して読むつもりです。
 ちなみに、まったく競輪に関係がない内容みたいなので楽しみです。
 皆さんも車券を儲けたら、買って読んでみてはどうでしょうか。
 たまに、競輪を離れるのも一向かと・・。
イベントはまさに大災難!
2007.8.15
 8月の初旬、ふるさとダービー函館に行ってきた。
今回はオレにとって試練(災難)ともいえるイベントが待っていた。
ナントそれは、OB解説者によるマスタークラッシクオールスターレースである。
日ごろ自転車に乗ることはほとんどない(たまに床屋へ出かけるときぐらい)オレにとって、このイベントはまさに大災難!何とか無難に終わってくれればと思いつつ函館へ出発。

前検日は朝一の飛行機で函館に到着。
朝が早かったせいもあり、ちょうどいい具合に腹も減って、函館名物の朝市に出向き、菊池圭尚選手の両親の店で朝飯を食い競輪場へ向かった。
競輪場へ到着し、一息入れ検車場へ取材に行くと藤巻先輩がいた。

しばらくぶりの再開で挨拶をかわすと「おい吉井、先行するんだろ!」と・・。
「えっ?」・・。藤巻先輩はもうすでに3日目に行なわれるレースのことを考えて戦闘モード。
(現役を引退したのに、北の闘将、いまだ健在!!)これにはオレもビックリ、タマゲタ。
自転車の練習なんかしてないオレに、先行しろなんて言われても・・。
心の内で「やっぱり少しは乗っとけばよかったか」とつぶやくが、時すでに遅し。

取材やコラムや車券購入やらで忙しく時間が過ぎて本番当日。
楽屋裏では、藤巻昇さんを筆頭に緒方浩一さん、久保千代志さん、中野浩一さん、木庭賢也さんオレと。
乗る自転車はママチャリなのにしっかり調整。
「おおッ!スゲーモ!」みんなやる気満々。
遊びのレースだから、と言ってたが、初めの話と違う。

緒方さんなどは、サドルの角度までいじって、「吉井にだけは負けるな!と嫁に言われた」と鼻息をあらくしてる。
負けず嫌いの面々だから、こんなことになるんじゃないか。と心配していたが・・。
入念なウオーミングアップにおのおの作戦会議。ナンテコッタ!!

本番直前になるとみんな目が吊り上り緊張の色を隠せない。

いよいよレースが開始されるとオレは最初の約束どおり2コーナー先行を敢行するつもりで押さえ先行にでたが・・・。
日ごろの怠惰な生活がたたり押さえに行っただけで脚も息もいっぱい。

まずいことに後ろの中野さんがジャンの4コーナーで「ヒデ、行って」と心の叫び。
「ゲッゲ、もうですか」とオレ・・。しかたなしに発進するも、出ただけで後は好きに行ってと・・・。
結果は散々、もうこんなイベントやめて。と泣きが入った。

車券の収支もレース同様散々なことになり負け組み。
連日積極的な力強い走りで、ふるさとダービー初Vを果たした山崎の爪の垢をもらい煎じて飲みたいぐらいだった。

それにしても山崎の強さには驚かされるばかりで、剛脚小嶋にも匹敵するか、あるいはそれ以上の強さであった。
神様、仏様、アリガトー!
2007.8.1
 ちょっと前になるが、松戸サマーナイトフェステイバルで大儲け。
弥彦の神様がそのままこっちまで出張してくれたのか、はたまたご先祖さんが応援してくれたのか…。
 話は6月の月末に遡るが、弥彦記念の前に長男から一本の電話があった。
「お墓が水浸しになり、ご先祖さんのお骨が水没してしまい溺れてるから一回きれいに手直しすると…」
「ほー」ズボラな兄貴にしては殊勝なことを言うではないか。

  新規に立てるんであればベラボーな値段になることぐらいはわかっているが、まあ、手直し程度なら大してかかるまいと思い、「オレがなんとかするよ」と軽い気持ちで言ってしまった。
途端に「おうっ、じゃ頼むな…。」と明るい声で返事が返ってきた。
「ンッ…もしかしてやっちゃった?」と思いつつ「いくらかかる?」と聞けばナッナント数十万…。とんでもない金額をいいやがった…。
「オレひとりじゃあ、これムリ!」金のない兄貴に「どうするの」と言えば、
「他の兄弟にもそれぞれ事情があるし、お前なら何とかしてくれるだろうと思い電話した」と。
 
  ゲゲゲ〜またかよ。
「それに今、お前が何とかすると約束してくれたしな!」と強気な兄貴。
なぜか形勢逆転されてしまったオレは「おいおい頼むよッ、大人なんだから話の前後がズレただけで、そんなこと言うのはやめて」と…
結局この件を安請け合いをしてしまったが、金策の当てもなく(あるにはあるが、相手は相当手強い)、「まっ、それまでに車券で儲けりゃいいっか」と相変わらず前向きなプラス思考!。
いよいよ切羽詰まってダメなら、オ・モ・イ・ッ・キ・リ…土下座してカミサンに頼むしかないなと。

 そうこうしているうちにお墓の方は着々と進み、観測史上最大と思われる台風4号の直撃を受けた7月16日にご先祖さんの遺骨を掘り出し、坊さんにお経を上げてもらい骨壷に収める。オレも必死に手を合わせ墓代をナントカと、ご先祖さんに拝みたおす。

  この願いが通じたのか、サマーナイトの2日目、2Rで補充の富田を絡めて狙いズバリ!!。オレの車券歴に残る金字塔と、言ってもいいだけのお宝をゲット。

 その夜は山ちゃん、アイちゃんにポン友M達と一杯やりながら自慢話を延々と。みんなも喜んでくれ大満足。

 上機嫌で帰宅しカミサンにもお裾分けすると、「どうしたの!」と目をまん丸にし、ビックリたまげた顔をし、いくら儲けたとしつこく食い下がってきた。(相変わらず厳しい取調べである!)が、ここはいつもの言い訳三昧に終始する展開とは違い、余裕をもって交わす。

  次の日、兄貴の実家に行ってお墓のお金をすませ、仏壇に手を合わせ、バアサンにも小遣いをやって「ホッ」と一安心。(なにより墓代をカミサンに土下座し、頂戴しなくてすんだのが一番)
もし、カミサンに土下座し金を出してもらっていたら…と、ゾッするから考えるのはやめとく。

  気がつけば、吾が懐の中身は残りわずかになったが、大当たり記念にと念願のノートパソコンを購入。充実した何日間だった。

  人生、悲喜こもごもあるが、ホント、こんなサプライズがたまにあるから競輪はやめられね〜。

  やられた過去の痛手なんか、す〜っかり忘れ…次はもっと…と夢を見るオレだった…。
弥彦の神様
2007.7.17
今年も弥彦記念に行ってきた。

 毎年イベントで呼んでもらい、酒も魚も極上に美味くありがたいかぎり…。 厄介なのは、梅雨時で雨が多く、湿気があり汗っかきのオレには、それだけがこたえる。

  初日からイベントの合間を縫って車券購入に精を出すが、ノーホーラー…!
気がつけば財布の中は残りわずか…残り3日間を考えると、「ナントカしなければ、やべ〜…」と、自然と体中から油汗がタラ〜と出てきてしまう。

「こうなりゃ困ったときの神頼み」と考え、翌朝一風呂浴び身を清め、弥彦神社にお参りした。
これが功を奏したのか、2日目は一進一退を繰り返す。
イベントが終わり最終レースを買いに記者席へ一目散。優秀競争の11R十宝賞を買うことに。
そのとき、吉田名人のアドバイスを受け後閑からと…。
車券を握り締め、弥彦神社の方に向かい手を合わせ、固唾を呑みレースを観戦。
ゴールしてみればナント、これがずばり的中!!。
弥彦神社サマサマ、吉田様サマ…ウツシツシ。

これに味をしめ次の日も…。またまた最終レースをゲット、乗れてきた。

  このことを吉田名人につげ「明日も神社にお参りする」と言うと「ヒデちゃん、お礼だけでいいんだよ」と。
「なんで?」と聞くと「神様に対し欲ばるといけない。おくゆかしくお礼だけで十分」と。
「フムフム納得」。

 この日の晩もささやかに居酒屋で祝勝会。心地よく酔いもマワリ、居酒屋のオヤジと包丁の話になる。
カミサンの土産を包丁にしたいのだが、と話をすると居酒屋のオヤジの親戚が刃物屋の問屋に勤めていると言うので、早速オヤジに頼んでカミサンに包丁のお土産を注文。
ついでにアイちゃん、山ちゃんにも土産を購入し上機嫌で宿に帰って就寝。

  最終日も早起きをして弥彦神社に…。
前日言われたように、おくゆかしく昨日のお礼だけ述べて競輪場へ。

  だがしかし、欲が捨てられず「もっと儲けて帰るぞの気持ちが先走り、前日までのプラス分から何からそっくりやられ、気がつけば包丁とアイちゃんたちの土産が残るのみとなってしまった。

  弥彦神社へのお参りはお礼だけじゃなくお願いもやってけばよかったかも…。

  ちなみに「小欲をもって足るを知る」を旨としているつもりなんだが、まだまだ無理かも…!
実はダイエットマニア
2007.7.4
趣味 競輪の次にダイエット。効果リバウンド。

 今、巷で流行っているビリーズブートキャンプを通販で手に入れた。実は隠れたダイエットマニアである俺は、こういったものにはついつい手を出してしまう。過去にもキャベツダイエットや、豆腐ダイエット、ゆで卵ダイエット等々、数えればきりがないほどやってみた。このダイエット方法は全て続かず失敗。

 今回は体を動かし痩せるダイエットなので、やれるんではないかと密かに期待し、このDVDが来るのを待ち焦がれていた。6月20日頃にDVDが届き、さっそくカミさんとお試ししてみたが、二人とも怠惰な生活が祟り、10分と保たずダウン。翌日は節々がギシギシと鳴り、体験入隊は取り止め。

 また挫折?

 だが、ゆみさんのコラムを見て奮起。6月27日からの平塚ナイターで再入隊。朝一番で、このDVDを見ながら、隊長のご指導の下、始めてみたが…。10分ともたねぇ。これをまともにやっていたら、太る奴は誰もいないと実感した。俺が30数年前、競輪選手を目指し、初めて自転車にまたがったときの感触に似ている。いや、もしかして、それ以上かも。あの頃は、選手になるという大目標があったが、今の俺はさほどのモチベーションがないので、かなりダメかも。

 しかし、鏡に映る己が醜い姿を見るたびに、まずはメタボを何とかするためには、続けるしかないだろうと自分にむち打ち、とりあえずハーフ(腹筋は15分ぐらい)をやり遂げようと努力している。
 おかげで久々に車券でやられ冷や汗をかいたり、サウナで汗をかくのとは別格の心地よさがあり、ビールがうまい。

 ともあれ、平塚ナイターの3日間も何とか頑張れたし、前橋親王牌にもDVDを持ち込んだので、ホテルのテレビにつないで朝イチからやっているものの、ふと我に返ると、「この姿は人には絶対に見せられるようなものではないな。きっとこれを見た人は大笑いするだろう」と思ってしまう。実際、スピードチャンネルのスタジオで俺がビリーの真似をすると、周りからは笑いをかみ殺したような声が聞こえてくる…。静かに一人密かにやるしかなく、まるで鶴の恩返しのようだ。

 まあ、飯とビールがうまいのでしばらくは体が壊れない程度の、軽度のキャンプを張っていきます。秋ぐらいに成果が出ているのか、はたまた「ビリーってなあに?」となっているのか、少々不安ながら、今のところは頑張りますよ。
ウンが向いた
2007.6.20
 かねてからカミサンと約束していたオレの仕事着を買いに、千葉まで出かけていったときのこと。
 ついでにハナも伸び放題の毛を刈りに床屋の予約をして、万全の体制で2人と一匹で出発。オレの仕事着は量販店で買って早々に終了のつもりだったが…。
カミサンが許してくれず、あれやこれやと試着に次ぐ試着。
「オレはアンタの着せ替え人形じゃね〜ぞ」と思いながらもゴックン。(午後からはそれぞれ自由行動の約束となっていた)

この日は千葉競輪場でF1の2日目が行なわれており、朝から新聞を見て検討、いや前の晩からレースダイジェストを見ながら、A級の準決勝が勝負レースと決めていた。
 なんとか早く済まして競輪場に行きたい焦りの気持ちを押さえ平静を装い、カミサンへの忠誠心を出しまくりハイハイと言いなり。
 オレの買い物も無事終了し開放かと思われたとき、「アンタお腹が空いたから昼食よ」と。
時計は12時を回ってオレのレースが終わってしまう。焦りは頂点に達し
「昼飯はいいから金くれ!」と。
カミサンしぶしぶ財布から1万円を取り出しこれを握って一目散で競輪場へ…。

だがしかし、とき既に遅し。お目当てのレースは既に発売を締め切ったあと。
仕方なしに見ていると、これがなんと思わぬ展開となり2車単11,210円の大穴、間に合わずにセーフ!
さっきまで「チクショウ、バカおっかあメ」と思い、カミサンを恨んでいたが…。
一転「オオっ、こりゃあツイてる、アンガトかあちゃん」と気を良くして次のレースから参加。
流れが向いてプラスで終了。カミサンを迎えに行き、帰りは佐倉の天ぷら屋でカミサンに一杯奢って上機嫌で帰宅。
とここまではよかった……。

 ほろ酔い気分も手伝って、寝ていたハナを起こし夜の散歩に連れ出す。グダグダと千鳥足で歩く姿は、ハナを連れてなければ徘徊オヤジそのもの。
ハナも面倒くさいな〜とばかりに用をすませ、引き返す段になり、来た道と反対側の歩道を歩いてると「グニャ」と…。
咄嗟に足をどけたが…暗がりでもわかるこの感触は犬のクソ。
ゲゲゲ…やっちまった。恐る恐る履いてたゾウリを脱ぎニオイを嗅ぐが、ヤッパリ…。
ここで一気に酔いがさめ、長年履きなれ親しんだゾウリとも、この夜をさかいにおさらばをするはめに…。
ああっ、オレのゾウリよ、アンタとも今生の別れだ。くさい仲だったがサラバだ、
とポリ袋行き。

それにしても犬が悪いわけではないが、忌々しい犬のクソ。
しっかり飼い主はマナーを守れっつーの!
わざわざ他所からうちらの地区に散歩する輩もあるまい。
町内会の皆さん、たのむよ…。
自分ん家の犬のクソぐらい始末をつけろよな〜。
同期会
2007.6.6
 先月の松戸吉井杯に数少なくなった同期が希望配分で参加してくれた。
オレ達の同期は30数年前に競輪学校で問題を起こし、退学者や停学者が出てちりじりに卒業した曰く付きの期である。その分、絆も堅く競輪場で合えば当時のまんまのあだ名で呼び合い旧交を暖め合う。
オレなんかはゲンちゃん(当時は原始人に似てる)と呼ばれる始末だ。
年少組だった群馬のKなんぞ今だにロバ君と呼ばれ、みんなに未成年者扱いをされてしまう。

 そんな中、同期会を一番楽しみにしていたのは、学校を退学させられ選手になれなかったMで当時のまんま、時間が止まってしまっている。
選手になれた者には忘れてしまっていることを、こと細かく覚えておりそれを聞かされるとちょっと寂しい気持ちにさせられるのはオレだけか・・・。

 ともあれ全員が無事最終日を迎えて楽しい同期会にしたかったのだが・・・。
健坊(山口)が初日に気合を感じさせるレースをし突っ込んでいって落車。挙句に鎖骨、肋骨を骨折と悲惨なことになってしまい同期会は欠席。

 同期会当日の午前中に、入院先の病院にお見舞いにでかけたが、本人はいたって元気で歩き回っている・・。いやあ、これには驚かされみんなも病室にいることを忘れ、大声になり話が弾む。
すると婦長らしき強面の人がドアを開け「病室ですよ、静かにしなさい!」 と一括されシュン。

 名残惜しいが、病院を後に同期会の目的地である茨城県の波崎に向かう。
道中腹が減り昼食をとる事になりラーメン屋に立ち寄った。
すでにお遊びモードで昼間から酒を頼み軽く一杯。
現役組などはラーメンのほかに大盛り飯をぺロッとたいらげる。
さすがに、これには面食らった・・。 この食があるから現役を続けられるんだなと・・。
サプリメントを主食と勘違いしている若手選手が多い昨今、「大飯を食って練習をする」基本のこの姿をみせてやりたい。

  ともあれ現地に到着して風呂に入り、同期会を挙行。
そこには当然コンパニオンさんも呼んで予定通りに。
その晩は当時にタイムスリップしハシャギまくり大変な盛り上がりであった。
紙面で内容をお伝えすることができないのが残念だが、久しぶりに大笑いの連発で腹筋がツルかと思うほど・・。

 翌日は「来年も!!」と約束をし、元気に何事も無かったようにそれぞれが家路に返っていった。



全プロのこと
2007.5.23
 いわき平の全プロ記念競輪へ行ってきたときの話し。

  本来なら世界戦を見据えた自転車競技がメーンのはずなんだが、全プロ記念競輪が先に行われ、競技の方が後に行われる。

  素朴に感じ思うのだが、これって逆の方がいいんじゃないの?
  全プロ自転車競技大会にだけ出場する選手はしっかり競技に向けの調整でき万全だが、 全プロ記念競輪を2走した選手はそれまで競技用にトレーニングをして調整してきても、かなり疲れが残ってしまうのではないのかね。
  競技種目によりかなりキツイ競技もあると思う。
  現に全プロ記念競輪を走る選手の中にも、競輪と競技の日程を逆にしてほしいと言う選手が何人かいた。

  車券を買うファンにとってそういうことはあまり推理をしないだろうが、中にはこんなこともあるだろうと展開を読んで楽しむ人もいるが、
レレ??いつものレースとちょっと違うんじゃねーの? と感じる人もいる。 それはそれで選手やファンのそれぞれの思惑が入り乱れ面白いのだが…。

 全プロ大会の趣旨を考え、アスリートとして最大限に力を発揮させてあげられる日程を考えてもれえれば、選手としてはありがたいと思うがね〜。
  それで日本の競輪選手の力を世界に知らしめられればバンバンザイなのだが…。

  なにはともあれ北京オリンピックまであと1年。
  世界との距離を少しでも縮めアテネオリンピックの感動の再来を望みたいもんだ。

  ところで車券の収支はどうなったかというと、去年の全日本選抜で、わがトーチュウの精鋭記者全員がオケラとなり帰り道は、ドッと疲れ果て別れぎわに「お疲れ様でした」を搾り出すように言うのが精一杯、という苦い経験がモノをいい堅いところは堅く攻め、何とかイーブンで終了。
  ここのところ道中へこんでしまっても最後で帳尻合わせができて
「ヤバイ。カミサンに言い訳を考えねば…」ということがなく安心して帰宅することができてる。
  カミサンも「オレからいつ小遣いせびりがくるのか」と構えている様子だが「アンタ、お金あんの?」と切り出すも「まだ大丈夫」と答える。
  すると顔色がぐっと明るくなり「そんなら久しぶりにデパートに行ってこよう」と本来ならオレの小遣いになるはずのお金をつかんで、デパートに一目散にダッシュ。
  「いっけね〜、もらう物はもらっておけばよかった」と悔やんでも後の祭りだが、なぜか気持ちに余裕を感じる…!
ゴールデンウイーク顛末記
2007.5.9
 世間ではゴールデンウイークを、家族で行楽に出かけたり家でゴロゴロとしてたりと、それぞれがそれなりに大型連休を満喫してる。

 オレの場合は、ゴールデンワークと相成った。4月27日からの松戸ナイターから始まり京王閣ナイター静岡の4日間解説と10日連チャン・・。カミサン大喜び、オレも競輪解禁でそれなりに楽しかったし、嬉しいことや笑える出来事も結構あった。

 その一番手は、5月の後半に出産予定だった慎太郎の嫁さんが、ウッカリ4月30日に赤ん坊を生んでしまった。
カミサンからの電話でこの話を聞き「ヘエ〜」と。
なんでも計画をきっちりたてるタイプの慎太郎にとってこの出来事は予定外。
まあ世の中自分の思い通りには中々いかないものだが、嬉しいハプニングは大歓迎である。
ちなみに男の子で名前は朝飛(アサヒ)君と付けたと・・またまた「へえ〜っ」と以外であった。

 そんなことがあったかと思えば3日が最終日の京王閣ナイター。
 車で行くことにしていたので渋滞を恐れ早めに家を出て、時間つぶしに深大寺温泉に立ち寄る作戦に出た。

 この判断が功を奏し定刻に深大寺温泉に到着。

 ゆっくり風呂につかり身支度を整え、「いざ京王閣へ」と気持ちを引き締め男湯の暖簾をくぐり廊下に出ると・・。

 そこにはとんでもない、見てはいけない光景が待っていた。
 ナント!スッポンポンの産まれたままの姿をした老婆が女湯から出てきたではないか・・・!。
 周りにも何人かの人がいたが全員”絶句!”。
 無言の空気の中、老婆はあたりをキョロキョロ見回し何事もなかったように女湯へ戻っていった。 この間わずか数十秒足らずだが、オレの脳裏にはくっきりと、、あのなんとも言えない光景が焼きついてしまった。
これで雑念が取れたのか、もしくはあの老婆が神様だったのか定かではないが、京王閣の予想会イベントは、ビシビシ決まり上々の終了。その後は車を飛ばし静岡に向かった。

 静岡で解説をやってる最中に友人のアイちゃんから「当ってるか?」と電話がたびたび入る。
「千葉競輪場で楽しんでいるアイちゃん、山ちゃんには静岡競輪は買えないし関係ないのに・・」
と思いつつも「どうしたの」と尋ねれば、「また当った、今度は山ちゃんも当った」と大当たりを連発。
「ここにいないのが残念だよ」。とオレの気持ちを逆撫でするような発言でオレを挑発。
 オレも負けじと頑張って10日間のロングランを奇跡的にプラスで帰ることができました。

  面白かったけど疲れました。
祝、自粛解除だが
2007.4.25
 今月に入り、ようやく自粛を解除した俺にとって、待ちに待ったふるさとダービー観音寺の現地取材だ。

  いざ勢いよく出かけようとしたら、棚においてあるはずの飛行機のチケットが見当たらない。カミさんに聞いたら「アンタがだらしないからだ」と罵ってきたが、俺は絶対にその棚には手を触れていない。

  胸元の高さにある棚なので犬のハナが届くはずもなく、犯人は俺かカミさんしかいないのに…。俺が絶対に触ってないと言ってるのに、カミさんはシラを切り通す。いつもだと追い打ちをかける勢いでまくしたてるのに、何やら思い当たる節があるようで、一歩も二歩も引くではないか。
 そこに町内会の伊勢崎が迎えに来てくれたので、「チケット代あげるから早く行きなさいよ」と追い出された。

このあたりから観音寺では何かとんでもないドラマが待ち受けているんじゃないかと覚悟していたが…。

  そのことを忘れかけていたときに、やってしまった。
  二次予選が終わった晩に、宿の近くの健康ランドで風呂に入り、軽く一杯引っかけて、勢いで吉田名人、米内、俺、某社の記者と麻雀をやることになった。久々の麻雀で盛り上がり、気がつけば朝の3時半。明日も仕事だしヤバいということで、宿に帰ってきた。
  ところが、フロントには誰もいず、鍵もない。路頭に迷った俺は、思案の末、とりあえず自分の部屋まで行った。
  なんと部屋の鍵が開いているではないか!
  「おおー、やっぱりツイてる」
  麻雀でもツイていたから、ここも展開が向いてるな。ところが、部屋に入ってみると、なんと知らない人が寝ている!
  寝ていた人もぶったまげて飛び起きた。

  ??

  慌てて「あっ、間違えました」と部屋を飛び出し、部屋の番号を確認。間違いなく朝出かけたときと同じ部屋だ…?
  もう一度、フロントまで出かけていき、ベルをならすも、フロント係は起きてこず、諦めてソファーで寝ようと行ってみると、そこにフロント係がいびきをかいて寝ているではないか。
  叩き起こして事情を尋ねると、「初日に途中で部屋をかわってもらいますと言ってありましたよね」と言われた。
  そう言えば、そんなことも言ってたな…。それなら朝出がけに一言言ってくれればいいのに。なんとなく納得いかない。
まあ、眠いし、騒ぎにならなかったからヨシとし、新しい部屋の鍵をもらい爆睡。

  考えてみれば、部屋に押し込まれた人は俺のビックリの10倍はたまげてたんじゃないのかな。最近、物騒な事件が多いので、その人も、その後は一睡もできずに朝を迎えたんじゃないのかな。申し訳ないことをした。
(ちなみに、寝ていた人が女の人じゃなくて良かった。たぶん、女の人だったら大事件となりこのコラムは書くことはできなかっただろう)
 こんなことをコラムに書いてしまっている俺もどうかしてるけどね。

  ふるさとダービー観音寺は山田裕仁が復活の優勝。車券的にも今回はトントンで帰ることができた。

ハプニング大賞?
2007.4.11
 ゆみさん、スペインに行ってきたのか。いいな〜、うらやましいなー!それに引き換えオレなんか平塚ダービーの後遺症が残り、自粛中の身で家に引きこもりグータラグータラ。
 
  ときたま浴びせられるカミサンの冷たい視線をかいくぐり、たまにハナと散歩にでかける日々が何日か続く。 こうなると、金の掛からない遊びを見つけるしかなく、思いついたのはタケノコ堀りだ。
  そこで金欠病のいつものみんなとトーチュウの若手記者米内ファミリーの特別ゲストが集まり、タケノコで有名な大多喜に出発。 死んだ姉の友達が持ってるタケノコ山なので、金も掛からずとり放題・・・といくはずだったが・・。

  現場に着くと、まだ山にはタケノコの姿が見えない。 ? 出かけにカミサンに「車に積みきれないほど取ってくるから」 と特大のダンボール箱2個を積み込み勢いよく出て行ったのに・・・。
  現場に到着するとまだ早かったせいかタケノコの姿が見えない。 落ち葉をどかし地面を探って、かすかに頭らしきものがのぞくそんな程度。
  毎年堀りに来てるオレにはある程度のコツはわかっているつもりだったが、 シロート衆のみんなは「アララ、こりゃ〜タイヘンだ」と四苦八苦。 それでも初物に挑戦し、見つけると「あった〜」と、年甲斐もなくはしゃぐ。
  掘れると「やった〜」またはしゃぎ、期待した成果は上げらなっかったが、久々に汗をかき充実の一日を過ごした。

  なんやかんやと暇をつぶしていき、やっとスピードチャンネルの川崎記念展望の仕事をする日がきた。今回から展望番組の趣向が大きく変わり、オレはボードを使い解説することとなった。
  今までとは勝手が違い戸惑いながらも初日、2日となんとか無難こなしていったが・・。
  3日目準決勝にとんでもないアクシデントが起こってしまった。
ボードを回し次のレースに行くときに問題のアクシデントは起きた。なんとボードを逆回ししたためオレの頭にボードのカドが直撃。
 
  「アッ、痛テ〜」と心で叫びながら、それでも痛さをこらえつつ展望を進めたが、カメラさんやスタッフが大笑いしNG。 オレの頭を心配げに見るゆみさんも、目に涙をため笑いをこらえていたが、ガマンしきれず・・・大笑い。  オレも痛い頭をなで耳まで赤くしながら大笑い。
  「このシーンは映像に残しNG大賞に売れる」とスタッフがいいだし保存してしまった。
  これからも記念展望では、なんかコワオモシロそうな出来事がありそうで、他の解説者さんもくれぐれも気を抜かぬようにしてちょ。


湘南ダービー開幕
2007.3.28

 東京で20日に桜の開花宣言がでたと同時に平塚競輪場を舞台に、湘南ダービーが開幕。こりゃめでたい。
  6日間の長丁場を勝ち抜いて栄えある60代の王者に輝くのは誰なのか? と気持ちの昂ぶりを押さえながら大介と連れ立ち前検日に平塚競輪場へと向かった。

  道中で近況などを聞きながら向かったが、話も尽きしばし無言…。 退屈しのぎに「そういえば最近彼女とはどうだ!」と突っ込みをいれると…。 「ケンカをしてしまい、謝りのメールを入れたが、返事が返ってこない」と 落ち込みがありあり。
  「ウ〜ン、こりゃふられたな」と。
  このまんまの気持ちでダービーを走ってはタイヘンと、気合の入れ直しをはかり 戦闘モードが復活。
  そのかいあって1次予選を誠と乗り合わせ2,3着で突破し一安心。 二人とも2次予選で終わってしまったが、当人たちは不満だろうが、オレとしてはレース内容に満足。
  
 注目の準決勝は10Rで小嶋、武田、新鋭・北都留の好調者が乗り合わせ波乱含み。 小嶋と武田が北都留の先行と読んで赤板から、前々に踏んでレースをぶち壊した。 結局両者とも共倒れでチャンチャン。
  結果はどうあれ、もう少し美しいレースをしてほしかったよ。
まあ、この番組が出た時点で、力の両者で決着か木っ端微塵の大波乱とは思っていたが…。 結果論だけど、小嶋なんか今年に入って人が変わったようなバツグンの強さを見せていたしもったいなかったな〜。
決勝戦を面白くするんなら、この二人は準決勝で当ててもらいたくなかったね〜。  

  山崎も初日から4.00回転の大ギアで挑んだが、準決勝でとうとう村上の術中にはまり 圏外に去った。
村上クラスだと、大ギアの弱点を知り尽くしてるだけあり、叩いてスローペースにもっていき、そのまま先行。さすがにウメ〜モンダ。(もっとも力がねーと、あっさりまくられちゃうけど・・)

  決勝も平原の1着、2着で流し勝負! バックで生の観戦をするも…。 最終バックをチェーンのはずれた平原が…… まるで買い物カゴでもぶらさげたお兄さんのようにペダルに足を乗せたまま、 こぐことさえできず…、 桜の花びらがヒラヒラと舞うがごとくに力なく通り過ぎていった。 その時点でオレの車券もヒラヒラと…。
  はるか彼方でゴールを駆け抜けた有坂がこん身のガッツポーズ。 あ〜あ、世間は花見だと言うのに…
  気が付けばオレの春はまだまだ遠いようで、しばらくは自粛を余儀なくされてしまった。
輪界の人間国宝
2007.3.14

 先月の静岡記念で滝さん(滝沢正光)が落車し現地の病院に担ぎ込まれていた。ケガの状態もひどく肋骨6本、右鎖骨、肩甲骨を骨折し,おまけに肺までツブレ、しばらくは動かすことができないとのこと・・。
落車したレースを見ていてオレもあのコケかたは・・・やばいかも!と思ったら翌日に欠場。

 4〜5日たって痛みが落ち着いたころを見はかり電話をすれば、「しばらくは現地の病院でおとなしくしてる」とのこと・・。電話の向こうの声はいつもの元気な滝さんで、一安心。
ややしばらくして千葉の病院に転院したと聞き、お見舞い方々様子を見に出かけていった。すると、まもなく退院すると・・「ヘ?もうかい?」まだ一ヶ月も経ってないのに??
あんな重症を負い、鎖骨の手術も終わったばかりなのに・・。 すでに練習のことを考え口走り、頭の中は競走のことでいっぱいのようだ。
冷やかし半分、本気半分に「これだけ頑張ったんだから、もういいべ〜」と引退をそそのかすも、意に介さず「貴重なご意見ありがとうございます」と返されてしまい二の句が…。
年齢的にも脚は落ちたが、競輪に賭ける気力と情熱はまだまだ、怪物健在!あきれるやら関心させられるやら、まったくブッタマゲさせられる。

 そういえば、昔こんなことがあった。
滝さんが千葉ダービーを初制覇した年(23年前?)だと思うが、その年の正月に千葉競輪場で恒例の初顔会わせ方々、初乗りの後シャンシャンシャンの手締めで解散。滝さんが車で帰宅途中に脇から出てきた車と激突し、そのまま救急車で病院に運ばれ入院。 顔面を50針ほど縫う大ケガをした。この話を聞きつけ見舞いに行ってみら、 フランケンシュタインよろしく、ぐるぐる巻き状態の包帯の隙間から見える顔はパンパンに腫れあがりそれでも、ケロッとした様子で縫ったオデコを撫で回し、「ダイジョウブ、ダイジョウブ」と1週間足らずで退院し練習をしていたっけ。 この男には痛点てものがないのか?もしかして魚か?ゾンビか?君は?・・と思わせる桁違いの回復力には、常人の域を超え首を傾けたくなるぐらいタフな男だ。

 満身創痍の身体を気力と親から受け継いだDNA一本でカバーする滝さんには、ホントに頭が下がる。輪界の人間国宝として、まだしばらくはガンバルようなので、復帰したときにはあたたかく応援してくだされ!”

東西王座戦 番外編
2007.2.28

 新制度になりポイント制が採用された東西王座戦だが、
いや〜西王座に輝いた小嶋敬二はホント〜に強かった。
東王座で優勝した佐藤友和だって強いんだが、まったく次元が違うように見えたね。

 今年になって小嶋は人が変わったような走りを随所で見せていたが、
「F1開催のつもりできた」ので当然と言わんばかりだった。
強いことは承知していたが、ポカも多く??と首をかしげたくなるレースもたまに…。
しかし今年の小嶋は違う!
37才にして本格的に覚醒したようだ。
ここに達するには何かとてつもない心境の変化があったんじゃないのか?
それにしても衰えを知らない恐るべき中年パワー…。
(オレも少しあやかりたい今日このごろだす…)

 肝心の成績の方はどうだったかというと、伊藤克信さんとの「もしもし予想会」をやりながらボチボチというところでさほどの沈みもなかったが…。
勝負は最終日に持ち越しとなり8レースの山内の頭から流して狙いゲット。
「乗れてきたぞ」と確信し、次9レース山崎の先行1車なので堅いと思い勝負。後ろを気にするあまり流し過ぎて藤原にまくられ、万事休す…。
決勝戦は東西かたいレースと思いながらも、穴狙いに変更する羽目に。

 結果は無残なトホホでチョン。
脱力感に駆られながらも我が家にたどり着き、アイちゃんに電話すると山ちゃんとカメ屋で一杯やってると言うから金主もとのカミサンと連れ立って覗いてみるとすでに4コーナーを回りゴール寸前の状態。オレも追いつかねばと、意地汚くがぶ飲みしながら反省会。

 ややしばらくして脇からカミサンが、例によって話に割って入り
「チョット聞いてよ」と毎度のことだから聞き流そうとしたが、ナント!
カミサンがオバの所へ行った帰りのこと。オバの家からすぐそばで、
後ろから来たオバちゃんの車にクラクションをビービー鳴らされたので止まったと。 そしたら相手が降りてきて、いなりムナグラをつかまれ一発食らったと…!
「オーツ!世の中ツワモノもいるんだ」と「その後どーした」と聞けば、
ここからがアクションを交え独演会(カミサンは昔合気道をやってたので) 次に2発目がきそうになってブチ切れ反撃、利息付けて2発プラス浴びせ倒しでやっつけたと。
「この暴力女!!なんてことすんだ」とまくし立てていたらオバが出てきて試合終了!
アイちゃん山ちゃん大笑いでお開きとなり、東西王座戦の番外戦も終了…

一夜の出来事
2007.2.14

 青天の霹靂、「雲一つない青空に雷は鳴る」予想外の出来事、事件が起きること。 とネットで調べたら書いてあった。その青天の霹靂が我が身に起きた。いや、正確に言えば、我が親族一同の身に起きた。

 競輪祭が終わった次の日の夕方、あんなに元気だった姉が急性心不全でポックリ亡くなってしまった。姉のダンナはラーメン屋をやっており、午前1時過ぎに仕事から帰ってきたらすでに亡くなっていたそうで、真夜中に電話が鳴った。    「アッ電話だ」と飛び起きたが、すでに切れてしまい仕方なく着信履歴を見ると、長兄と姉のダンナからのものだった。「アラッ、バアサンが逝っちゃったかも・・」と思いながら電話を掛け直すと、姉が死んだと言う内容の電話だ。エッエ〜?慌てて着替え姉の自宅へ向かうことに・・カミサンもビックリで自分も一緒に行くといったが自宅待機にしてもらう。いつもだと1時間ぐらい掛かる道のりなのに40分足らずで到着した。自宅ではすでに警察の検死も終わりかけてるところだった。兄弟全員が集合していたが、何をどうしたらいいのかわからずウロウロ。オレも変わり果てた姉の姿を見ても実感がわかず、ただ呆然とするばかり・・・。その後色々話し合い、姉のダンナがお通夜と葬儀の日取りを決め、夜明け前にいったん帰宅。

 世話になった姉さんの通夜には、生前の付き合いの広さをうかがわせるだけの多くの弔問客が訪れてくれた。通夜のしめやかなBGMは姉の好きだった北島三郎の演歌が流れていた。(こんなんでいいの?)
と思いながらも、まあ姉らしくていいかと。

 一通り通夜振る舞いも終わり、線香の番をするのに長兄が「オレとヒデが泊まるから、後は帰っていいよ」と言い、残ったのは姉のダンナと友達の牟田さん、佐藤さんとあわせて5人。寝ずの番をする事にした。弔問客も一段落し、通夜振る舞いの残り物と姉の思い出話を肴に酒を飲み、時々線香を上げる繰り返し。

 途中夜中の1時ごろ眠くなってきた長兄が、酔いも手伝い「交代で仮眠を取ろう」と言い出し、床へ就くとそのまま朝まで熟睡。相変わらずノーテンキな兄貴である。そういうオレも3時間ぐらい仮眠をとり4時ごろ姉のダンナと交代。佐藤さんは姉のマージャン仲間であり、生前の思い出話を聞かされ「勝負強かった。女にしておくのは惜しい人だった」とひとしきり話をしてくれた。何だかんだで話も尽き、オレが何気なく「こんなところにはドロボーも入ってこないよね〜」と他愛もないことを言い出すと、佐藤さん「こんなところにドロボーが入ったらバチ当るべ〜」などと言い始めた・・。そこから佐藤さんがまた話し始め「オレはここの専務と友達だし、事務所の中や金庫の場所まで知ってる」と。

 ややしばらくして夜が開け朝の7時過ぎにボーっとした頭を冷たい空気にさらそうと外へ出てみると、パトカーが数台事務所の前に止っていた。ナンダ?と近づいてお巡りさんに尋ねると、夜中に金庫ドロボーが入ったと・・。それも2階にある大型の金庫で大人4〜5人でもやっと持てるかどうかの代物だそうで、佐藤さんとのバカッ話が現実にオレたちのすぐ傍で行われていたとは・・・。仏さんのことなどすっかり忘れ好奇心むき出しであたりを捜索。しかしこんなところに入ったドロボーは、なんともバチ当りな連中である。
しかし、こんな事件があっても葬式は滞りなく終わり、姉をあの世に無事送り届けることができた。「生きているうちが華」とは言う言葉があるように、ホントその通りだと思う。

  これからも元気で楽しいことをいっぱいして、姉の分まで人生を謳歌したいね。姉ちゃんまだまだオレ達を呼ばないでちょ。合掌


ゲン担ぎ
2007.1.31

 この前、車をコロがしていたら、ラジオから「ゲンを担ぐ」というテーマでリスナーに体験談を募集していた。

 これを聞いた俺は、そういえば現役の頃はよくゲンを担いでいたっけと思い出した。レースに出る前は必ず左足からレーサーシューズを履き、清めの塩をまき、手を合わせてからレースに挑んだ。こんなことはたいがいの選手がやっていることだけど、ぶったまげたのは今も走っている某選手が自分の出走するレースの出走表に載っている選手の名前をヤギのように一つずつ食っているのを見たときだね。アンちゃん(山口国男)が、発走前に必ずレーサーシューズの紐を几帳面に調えるのにもびっくり。毎回見たけど、あんなズボラな男がこんな細かいことをするのかと驚いたよ。挙げればきりはないが、今も選手はいろんなゲンを担いでいるのを目にする。

 俺も現役を辞めて車券を買う立場になってもゲンを担いでいるけれども、ポン友のアイちゃんもすごいよ。まずはコンビニで某紙をゲット。競輪場までの道のりも必ず同じ道筋を遠回りしながら行く。その日負けると、道順が変わっている。これは俺にも言えるんだけど、今は霊柩車を見ようと葬儀場の前を通って競輪場に向かう。霊柩車に会ったときなど、なんとなく車券も当たるような気がするんだよね。

 それと、死んだ親父が「勝負師の左肩は触らせるな、触るな」となぜそうなのか分からないが良く言っていたもんだ。これは現役の頃からゲン担ぎの一つとして今でも信じてやっているよ。

 今回の競輪祭も、宿から競輪場に向かう道順を毎日とっかえひっかえやってきた。が、さほど効果は上がらず。決勝は手島を本命に勝負をしたが山崎の逃げ切り優勝で幕を閉じてしまった。

  正月までのツキを競輪祭で落としてしまったようだ。また新たなゲンを求めて、今年もいきそうだ。
うなぎサマサマ
2007.1.17

今月の10日に大介と、ラジオ日本のバンクオブドリームスの新春企画で師弟対談の依頼を受けて出かけて行った。

 例によって我が家まで迎えに来てもらい11時ごろ出発。 現地に到着後、収録の方はたいした打ち合わせもなく、アッと言う間に済んでしまい、 昼飯にでかけた。この昼飯がまた豪勢な処で、局の近くにあるウナギで有名な野田岩である。 なんたって天然ウナギを使用しているそうで、滅多にお目にかかれない代物だ。
それに新年だからといって樽酒を振舞っていたので、ちょっと気が引けたがせっかくなので 一杯ご馳走になり、うな重の出を待つ。 昼酒が利き少しポーッとしてきたところでお目当てのウナギ様の登場。 すこぶるつきに美味く完食。

  この後、大介の運転でラピスタまで送ってってもらい、和歌山記念の準決勝を楽しむことにした。
お目当ては8レース準決勝Cの飯野祐太で(夜の記念展望でも注目選手として上げてたし) 金子貴志のできも今一だったので狙いどころと決めてせっせとマークシートに 塗り絵を施し自動券売機へと向かうが、投票締め切りでアウト・・。 こうなると狙ったところが「来るなっ」と呪文を唱えてしまう。(ホント勝手なもんで)

呪文が利いたのか買いそびれた狙い目がこなく次につながりホッ・・。 9レースでは山崎のできに不安ありで有坂から行くことにしたが、オッズを見たら有坂、山崎で 9倍もあり晩飯代と思いここからいくが、ややしばらくしたらガクガクとオッズ下がって3.4倍。
ヤバイなーと思い薄めを買い足す事に決め、有坂から、野田岩でウナギを食ったことを ヒントに元秋田の野田へ・・。

これが功を奏し2車単の大穴10.940円をゲット、へへへ・・・。 これを明日葉の大将が目撃してたもんで「へ〜、秀さんもコンナン買うんや〜」と。 「和歌山記念展望が終わったら飯食いにいくね〜」と別れ、さっそくポン友Mを誘って7時半に明日葉へ。 大将「今日は高いで〜」といいながらも良心的な値段で、オレもターイヘンご満悦で帰りました。

今年のオレは、なんだかイケルかも・・。

新年あいさつ
2007.1.3

 プロスポエキスプレスをごらんの皆さん、新年明けましておめでとうございます。
  皆さんの去年の車券の収支はいかがでした?オレは全日本選抜から流れの悪さを引きずり、GP06でもボロボロで鼻血も出ないんじゃないかって言うぐらいヤラレ、年を越してしまいました。

  そのGP06では有坂がGP初出場で最年長優勝を果たしたが、この出来事が霞んでしまう大事件?が起きた。
  F1先行で鳴らした吉岡稔真選手がレース終了後、突然の現役引退を発表。有坂の表彰式後に吉岡のラストランが行なわれるというので、バックストレッチで見ようといってみると、すでにそこは選手や関係者で埋め尽くされていたが、Sキャスターを見つけ近づくと、Sさんはすでに涙腺が緩みっぱなしになっていた。これにはオレもかける言葉もなく、吉岡の最後の勇姿をながめ、ただただ「ご苦労さん、お疲れさん」の拍手を送るのが精一杯だった。この出来事が去年の競輪界最大のニュースとなり年末を締めくくった。

  いつも思うのだが、大きな大会が終るたびに、祭りの後の寂しさに似た感覚に襲われる。これは、ハズレ車券を手にしてしまった事とは無関係だとは思うのだが…。今年はアタリ車券を握っても、祭りの後のあの気持ちになるか、試して見たいが…。まあ、オレのことだから終って見たら、反省、後悔の連続で「後の祭り」の繰り返しだったりして…。

  オット、正月早々縁起でもない。俺らしくもなくマイナス思考で新年を迎えては一年が面白くない。気合を入れ、福を呼び込み大当たりを連発、ゼ〜ッタイに勝ち組で今年を終らせるぞ!

 皆さんも身体に気を付け、楽しい一年をお過ごしください。
吉井秀仁
よしいひでひと
昭和31年千葉県生まれ。
昭和51年10月、38期生として選手登録。同51年11月千葉競輪場にてデビュー戦を完全優勝で飾る。二年後の53年に新人王、翌年の競輪祭では競輪王の称号を獲得し一気にスターダムをのし上がった。55年前橋ダービー、59年西宮オールスターを優勝。通算出走数2073走、1着464回、記念競輪優勝数30回(歴代15位)。華々しい成績を残して平成14年7月現役を引退。現在は東京中日スポーツ専属解説者、テレビ、イベント等で活躍中。
吉井秀仁
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