KEIRIN EXPRESS|日刊プロスポーツ新聞社
HOME
特別競輪
記念速報
コラム
お問い合わせ
リンク
プロスポーツ
赤競Cnet
赤競.NET
永久保存版オールガイド
FAX-NET赤競
HOME > コラム【黒潮ヒデの競輪道四十七次】 コラム【さとうゆみの輪くるライフ】へ
コラム

下記イラストは競輪絵師竹田氏の作品です。ホームページはコチラ>>  
ことしもやっぱり…
2008.12.31
井上昌己選手の優勝で幕を閉じたグランプリ08・・。
またしてもオレの野望は見事に散ってしまった・・・!
その布石は前検日まで遡ることになるが・・・・。

いつものようにバタバタと取材を済ませ、
コラムを書こうとパソコンの準備にとり掛かると。
ナント、持ってきたハズのパソコンのアダプターコードが見当たらない!!
アレ〜??バックの中を探したが無い。
チョイ焦りだすと、専門紙の記者さんが「近場に量販店があるよ」と教えてくれた。
あわてて量販店に駆け込むとお目当てのコードは無い。
店員に聞いてもオレの使ってるパソコンは扱ってないとのこと・・ゲゲ〜。

だが、親切な店員さんがゼロ円のパソコンがあると教えるではないか?!
「へえ、じゃあそれチョーダイ」とオオザッパに話を聞いて購入し前検日のコラムは無事終了。

さあ、後はみんなで軽く一杯やろうということになり、ボストンをタクシーに積んで緒方さんと出発。
現場は近場の居酒屋なので、あっけなく到着。
早く飲みたい一心でさっさと車を降り、店に入るとタクシーも引き上げていった。

が、「おい吉井ボストンは?」と緒方さんに指摘され、「あ”っタクシーに積んだまま・・。」
「お前もそそっかしいが、運転手さんも相当なアワテ者だな」と笑われてしまう始末・・。
この時点で不吉な予感が脳裏をよぎるも、一杯やってテンションが上がればそんなのも忘れる。

初日は少しプラスで幸先よく終わり、怒涛の反撃開始と思いきや・・。
2日目は波乱のレースが続き「惜しい、惜しい」の連発で、気が付けば大きく沈んでチョン・・トホホ状態。
この日は我がトーチューの先輩記者Kさんも財布を落として大災難となり、放心状態で帰宅するはめに・・。

「大変なことになっちゃったですね」と声をかけると、
さすがに大人の発言、「これで厄落としになった」とプラス思考でグランプリで勝負!!
オレも負けじと勝負にでたが・・。


やっぱり、さっぱり、きれいサッパリ轟沈!!
今年も負け組で終了!

そういえば、ブランド王ロイヤルの社長さんが言ってたっけ・・・競輪で一喜一憂しない。

2009年はオレもこの言葉を胸に競輪活動家として成長するぞ!!
勉強になった!
2008.12.17
 今年も早いものでもう12月の中旬になり、年賀状の準備や何やかやと忙しく動きまくっている。 競輪の収支も例年通りの結末を向えつつあり、暮のGPに照準を合わせ一発逆転に望みを賭け勝負、勝負!

 と、その前に久ぶりにバイク仲間でオレをバイクに誘い込んだ選手OBのT君、現役のK君で 今年最後のツーリングへ・・。

 目的地は伊豆の雲見温泉で、忘年会を兼ねた夕日と富士山をみながら一杯の段取り。 天気予報では曇りのち晴れ気温16度と、絶好のコンデイション、寒さ対策も万全。 道路事情もよく快適なはずだったが・・・。
 小田原の手前で雲行きが怪しくなり一気に雨が降り出す始末。
慌ててパーキングに潜りこみ雨のやむのを待つ羽目になってしまった・・。

 こりゃ先が思いやられそうと、不吉な予感を感じながらも雨が上がって再出発。

 案の定、伊東から先が混雑していて道は狭いし半分はノロノロ運転。 到着時間を大幅に過ぎ、夕刻にお目当ての温泉民宿に到着したが、体は冷え切って夕日を眺めるどころではない・・。
 荷物を降ろして温泉に直行、普通はこれで「いい湯だな」、となるのだが、若干ぬるい・・・。 じっと浸かって体が温まるのを待つことにした。
 しばらくするとじんわり暖まってきた、さすがに温泉だけあると納得!!? が、どっこいそれは沸かし湯であって、温泉は外の露天風呂ということが判明。 こっちはてっきり温泉とばかり思っていたのに・・トホホ。

教訓、先入観でモノを見ると失敗する、勉強になった!

 だが、夕食は民宿の女将さんが豪語するだけあって豪勢なものが出てきて食べきれないほど。

 今回のツーリングで今年は走り納め、すっきりリフレッシュできたことだし、今年のGPはなんとしても勝ち組で終わるぞ!!
(なんか毎年同じことを言ってるような気がするが・・・。)
これぞ競輪選手の結婚式!
2008.12.3
 先月の23日に同期の息子で、92期の卒業記念チャンピオンの寺田信彦君の結婚式へ行ってきた。
  式場は大分県の別府ということで、前日の夕方に現地入り。(ちなみにポン友Mも一緒に同行)大分空港に着くと父親である栄二さんが迎えに来てくれていた。

  久々の再会だが、ちょっと歳をとったかなと、感じる程度だが、それ以外は全く変わったところもなく安心した。
  空港を後にし、別府市に向うと、「アッ、そういえば昔乗せてもらったときも…」と思い出したが、いい感じで飛ばす!後部座席では少し冷や汗がタラ〜! そうこうするうちに別府湾の夜景が目に飛び込んでくる。
  中々の景色に、外国に来たような錯覚を覚えながらも、寺田家が用意してくれた高級割烹へ到着。用意されたフグ刺しは分厚く盛りそろえられ豪勢で圧倒される。さすが本場のフグ刺しだと、感激!

 前夜祭を堪能し、本番の結婚式では、若夫婦の誕生を祝しにぎやかな宴となったが…。

  何かが物足りない!こんなはずはない。
 
  自問自答を繰り返すも、やっぱりナットクがいかない! 選手の結婚式には例の余興がなければいかんだろう…と。

  同席の三好林太郎選手に「最近の結婚式は例の余興はないの?」とたずねると…。
  どうなってるのか聞いてくると席を立ち、若手と話し始めた。
  すると若手の何人かが外に出て支度を始めたらしい…。
  「オッ、もしかして?」と期待感が高まる。

  しばらくして茶碗を両手に生まれたままの姿で若手選手たちが登場。カラオケに合わせ、茶碗を上下にテーブルを回り鍛え上げた裸体を披露。
  選手の結婚式はヤッパリこの余興がなければ盛り上がらね〜!

  なんか自分だけが納得できたようだったが、出席していたオバサマ連中も携帯を片手に写メを撮ったりして大喜びで大満足したようだった。

  寺田信彦選手、結婚おめでとうございます。 これからは夫婦二人三脚でS級に駆け上がり、特別競輪での活躍を期待してますよ!
緊急・兄弟会議
2008.11.19
 しばらくぶりに長男の兄貴から電話があった!
 最初にカミサンが電話を取り、いぶかしげに、「アンタ、兄さんから!」と受話器を手渡された。

  毎度のことながら兄貴の話し方はテープレコーダーを2倍速で早回ししたぐらいの早口…しかも白子弁丸出し。
  他の人が聞けば、まるで訳の分からない外国語を話す人のように見えるだろう。
  このオレでさえ聞き返すこともしばしばなのだから、カミサンにとっては、なにがなんだかサッパリ??したがって,オレが通訳することになることが多い。

  さて、その兄貴が「兄弟、全員集合してもらう!」ということとなり、恐る恐る会合当日に集合場所へ…。

  感の鋭いカミサンはピーンときたらしく「おバーサンのことじゃない」と触覚をヒクヒク振るわせる!!
  「そんなことなら前もって話があるべ〜」と、話しながら頼もしい助っ人のカミサンと一緒に現場に到着。早速イロイロ話し合い?となるはずだったが…。
  なんてことはない。オレが到着したときにはすでに、カミサンの予言通りバーサンはオレが面倒みることになってたようで…。

  兄弟たちは、だれがそのことを口火を切って話すか、になっていたようだ。

  おかしな空気を感じて全てを察したカミサンが、鶴の一声を発し「オバーサンのことでしょ!!いいわよ、あたしの家しかオバーサンも来るとこないもんね」「どうせ一人みるのも、二人みるのも一緒よ」と快く引き受けてくれた。 (ちなみに、今年の5月からカミサンのお袋が、家で生活している)
  兄弟達は一安心、というようにホッとした表情になり解散。

  かれこれ20数年前になるが、兄嫁たちが恐れおののいていたバーサンに、敢然と立ち向かい「お母さん、陰口をたたかないで、言いたいことがあったら直接言って!」と真っ向勝負を打って出たカミサンであったが、まさかアッサリ承諾してくれようとは…。
 
  日ごろからカミサンには頭が上がらないが、これでますます頭が上がらなくなってしまった。
 アンガトね!かあちゃん!!この借りは車券で儲けて返すから…。

  後日このことを肴に飲みながら、やまチャンに話すと、「ナニ?それじゃ養老院じゃない。じゃあウチのバアサンも頼むかな!」とポツリ!
  はあ?と…笑ったが、この先いかなることになるのか、面白いやら、怖いような!!
武田のこれからが楽しみ
2008.11.5
 武田が最後のふるさとダービー広島で念願のビッグ初優勝。
 鳴り物入りでスピードスケート界から競輪選手に転向。
  出たてのころは、力で相手をねじ伏せる豪快な走りで一躍脚光を浴びながらも、後わずかなところでタイトルには手が届かず、同期の山崎芳、佐藤友が先にタイトルを手にすると・・。

  今度は追われる立場から、追う立場に逆転となった武田の心中を推察すれば、決して穏やかなであろうはずがない。 そんな目で武田を見ると、益々もって悲壮感すら漂っているように見えてならなかったが・・。

  が、ようやく・・、ふるさとダービー広島で悲願のビッグ優勝を達成!!  これで同期の山崎や佐藤友と肩を並べることができ、ひと安心というところだろう。
  今年はGPへの出場は、タイトルホルダーの4人と北京オリンピック銅メダリストの永井以外の上位陣はまだまだ気が抜けない。 もちろん武田のもチャンスがある。

  最後の大一番、全日本選抜では一皮むけ進化した武田の走りが見られそうで大いに楽しみだ。

  そういえば、ふるダビ広島の前検日に武田はオレに声をかけてくれ、 「今、街道で先頭交代の早いのと距離を乗ってます」と。
  それを聞くと「あ、あそこだな」と、ピ〜ンときて、いろいろと突っ込んだ話になった。 武田いわく、「この練習が功を奏して、レースでは押さえ先行が楽になったと・・・」。明るく答えてくれていた。

  やっぱり競輪は乗り込みをやって地脚の強化が基本。その上にスピード練習ってことのようだ。
 
  これは車券戦術にも通ずるものがあるみたいだ・・・?
  車券の地脚・・すなわち、やられても諦めず、コツコツと根気よく買い続けることか?

  資金があれば・の話だが・・・!

  バンセンになるけど「ごめんください、ヒデさんです」次回はすっげ〜面白いかも・・・^^ 良かったらみてくだされ!!
流れにあやかりたい!
2008.10.22
 皆、ちょっと聞いてくだされ・・!
 ちょっと前の久留米の共同通信社杯のこと。どうも調子が上がらず3日目で資金不足の事態に陥り、早々に引き上げてきてしまった。(これはいつもの事)
 が、やっぱり血が騒ぎおさまらない。 じっと家でテレビ観戦など・・とんでもない。

  そこで軍資金ゲット大作戦を開始!
  朝からカミサンのご機嫌を取りセッセとゴミ出しをし包丁研ぎをやり、
山ちゃんと千葉場外へと出発。今回は一人ゲストが参加。
  隣のF先生である。「たまに電投をやってる」と言ってたので誘う。

  後からアイちゃんも午後の仕事をサボって参加!
  アイちゃんは勝負レースは5Rを勝負と決めて駆けつけたが間に合わず。
  大概はこの時点で今日はダメかも・・と思うのだが。
  この日はナント・・・・アイちゃん絶好調!7Rの市田の頭を3連単ゲット275、460円なり。
  8,9Rも・・。10Rでは「乗るか?」と誘われ4人で吉田流しにでて大成功、3連単527、660円をゲット!
  思わずミンナでハイタッチ!!
  他力本願ながらこんな高配当が始めてなので大興奮。
  この晩は宴会、宴会、これでエ〜ンカイ!!と。

  この勢いで、S級S班が10人も集結した豪華版の京王閣記念に行ってきた。
  ここでは仕事で4日間検車場レポートを担当。
  初日はそこそこ頑張って勝ち組に・・。2日目も何とか踏ん張ってトントン。 その晩、山ちゃんからメールがあり、「アイちゃんが優秀戦をゲット!」と…。

  エッ。またやったのあの男!
  すっげ〜。どんだけ儲けたのか知りたくて、すかさず電話をすれば、電話の向こうでにぎやかな声!!
  「簡単だよ、群馬、群馬、元群馬の三人のボックスです」と、あっさりしたもの。山ちゃんも他力本願で乗ったのか?と思いきや乗らずにドボン!

  アイちゃんに競輪の神様が降臨したようで!!
  しばらくは乗れてるアイちゃんの感を頼りにしようかと・・。
  弱気の虫がゾワゾワしだしている自分が情けない。

  もうすぐ千葉記念「滝沢正光杯」が始まる。
  第1回大会を良き思い出にするためにも、気合を入れ直しアイちゃんに頼らずガンバル!!
ゆみさんおめでとう!!
2008.10.8

10月3日、競輪キャスターでありKEIRINEXPRESSのコラムニストと小説家のさとう ゆみさんの結婚披露パーテイに行ってきた。
日ごろから付き合いの広いゆみさんらしく全国、いや全世界から仲間が集まりにぎやかな、いいパーテイでした。

オレはこの日、観音寺記念の展望だったので少し遅れて参加・・。
現場に行ってみると、すでにみんなはいい感じで盛り上がりをみせており、 こりゃオレも早く追いつこうと、とりあえずビールで新郎新婦におめでとうの挨拶をしカンパイ・・。
あとは焼酎の水割りをマイペース飲み、ようやくみんなに追いつき、 回りを見渡せばステージではバンドが音楽を奏で、居ながらにしてハワイのムード満点。

司会はゆみさんとダンナで勤めていたが・・。
どうもゆみさんに押され気味のダンナ。そりゃ本職相手に対抗しようとしても無理がある。
オレの目からは(ダンナはプロスポの写真家)で寡黙なタイプに見えるので当たり前なんだが・・。

見方を変えれば、ダンナは必死にゆみさんの上に立とうとモガイているように見えるが、そう見えるのはオレだけか?

おそらく、これから何回か衝突を繰り返しながら学習し、最後は尻に敷かれ従順なダンナになるのでは・・!

ダンナ・・老婆心ながら結婚生活の長いオレからのアドバイスです。
カミサンとは戦わない方がいいよ。
早く自分のポジションを認識し、尻に敷かれたほうが楽かもよ・・。

今ではオレなんかすっかりカミサンに飼いならされ、手の中でウロウロするのに慣れっこになってるし・・。

人間、慣れればどうってことないし、居心地もいいよ・・それなりに!!。

あらためて、
ゆみさん、ダンナさん結婚おめでとうございます。
末長く仲良くお幸せに!!


無題
2008.9.24
 オールスター競輪の初日に、不慮の落車事故で栃木県の内田慶選手が命を落としてしまった。
  追い込み選手としてこれからというときに、このような結果になってしまい非常に残念でたまりません。 内田選手の死を悼みつつ、思いついたままにコラムを書こうと決めました。
 
 その昔、かれこれ32年前にオレが選手になり始めたころは、プロテクターや肘当てなどはなく、レース中は半そでTシャツか下着で競走をやっていた。
  当然、転べば体中に擦過傷や打撲を被ることになってしまう。そこで自分の体を守る術を先輩選手がイロイロと教えてくれたもんだ。

  まず第一は、絶対にハンドルから手を離すな!
  これは耳にタコができるぐらい色んな選手から聞かされた。
 
  落車するときは体を丸め、ヘソを見るように。
  これは頭を守れ!ということで師匠に徹底的に頭に叩き込まれた。

  たったこれだけ、この事を忠実に守ったおかげで、今日ここにオレは存在していると言っても過言ではない。
 
  最近のレースでは、落車すると手を離す選手が多く見られます。
  選手諸君!自分の命は自分でしか守れません!
  競走だから落車は避けて通ることは出来ないと思います。  
  二度とこのような悲劇が繰り返されないためにも、自分自身のため、家族のためにもハンドルから手を離さず、体を丸めて防御の姿勢を貫くことをお願いします。

  あらためて内田慶選手のご冥福を祈りつつ、今回のコラムは閉めさせてもらいます。 合掌。
楽して痩せたい!!
2008.9.10
「滝沢君を囲む会」が東京ドームホテルで9月4日に行なわれた。
発起人は千葉市長、松戸市長を始めとするそうそうたるメンバーが名を連ね、 滝さんファンを交えた総勢300人を超す盛大なものであった。

会場では滝さんの人柄がそのまま出た和やかで愉快なパーテイ・・。 そんな中、時間が進み壇上に東京太師匠が登場し、師匠の 司会のもと競輪が熱く燃えてた当時のフラワーライン対中野さん率いる九州ライ ンの面々が滝さんを囲み
イロイロな話で盛り上がりアッと言う間に楽しい時間が過ぎ去りお開きとなった。

「さあ帰るか」と席を立ちロビーに向うと、健坊から「飯でも食うか!」と誘われ、 大介、OBのYさん、ポン友Mや吉岡の6人でもんじゃ屋に行った。

ちなみにオレ自体はもんじゃを食うことは少なくもんじゃを焼くのは経験不足。
そこで下町ゆずりの健坊がナベ奉行よろしく、もんじゃを焼いていく。

うかつに手を出そうもんなら怒られそうな気迫でもんじゃを焼く姿は、今だ現役 を感じさせる。
それにしても手際のよさには年季が入り見事なもんで、アッという間に出来上が りペロリと完食。

オレの隣のOBのYさん、現役をはるか前に引退してるのに負けじと大食漢ぶり を発揮・・。
傍で見ていて腹がいっぱいになるオレ・・。

オレなんかもメタボだが、あらためて他人の所業を見せられるとヤバイと思い、 今またダイエットを真剣に考えている。

ちなみにまだ実行には至ってない・・・。

どなたか食べながら楽して痩せる方法を教えてくだされ・・・!!お願いします
^ ^”

大介(武井)、でかした!!
2008.8.27
 ふるダビ福井で決勝戦に進出。1月の競輪祭以来ビッグ2度目の決勝進出を果たした。いつものように前検日に迎えにきてもらい、羽田に向う車中でイロイロ話をしながら出かけていった。
  「4年前のふるダビ福井は準決勝までいったから、今回決勝だな」と…。
 あのころとは身体もレースでの動きも雲泥の差だし、 「初日は予選スタートだし楽にクリア出来るだろう。ダメなら輪行(自転車)で帰宅するしかないな」とハッパをかけてた…。
 
  ところが初日はまくり不発で4着…。かろうじて首の皮1枚で2次予選にいったが、大介の中ではレースが見えてたし、脚には余裕があったと・・!  ヘエ〜そう、大介が展開から流れを一通り解説、なるほどとナットクするオレ。
  2次予選は金子貴がいて強力なメンバー。どんな組み立てをするのか?と興味深々。何とか準決勝まではと、祈るような気持ちで声援すると、何とか3着で滑り込みセーフ。準決勝に進めば当たり前のことなんだが、ますますメンバーが強烈になり小嶋、浜口に対し佐藤友、有坂ときた。
  大介の番手はどうみてもなく単騎でいく展開となり「あら、ヤバイ」と思わずマイナス思考が沸いてきてしまった。
 
  が、本番では冷静沈着なレース運びと読みで4コーナー大外一気に迫って2着で決勝戦へ・・。
 いやー検車場で観戦していたが、思わず絶叫! ゴールと同時にガッツポーズが・・・!
  バック9番手と最悪な展開的で正直「あ〜あ、終わった」と諦めかけていたが、 佐藤のまくるスピードをもらい、そのまま大外強襲。 いや〜タマゲタ!!
 
  気がつけば大介の成績は4・3・2と着は尻上がり…。ムム、これは吉兆。決勝戦は平原率いる関東勢に対し、86期で仲良しの稲垣ラインの3番手回りだが、 稲垣の主導権なら3番手から伸びてVがある。
  しかし結果は平原が先行し、番手の飯嶋が優勝!!
  今回はなんだか一緒にレースを走ったみたいで、疲れましたよ!!


追伸:大介の4日間を振り返っても、確実に成長しているし、強くなった。今後の活躍がまた楽しみになってきた。
消えた記憶と財布
2008.8.13
 猛暑が続き大気温も物価も軒並み上昇する中、北京オリンピックが始まった。
日の丸を背負って頑張るオリンピック選手たちは体調管理もさぞや大変なことだと思うが、是非一つでも多くメダルを取ってもらいたい!!

と。そのオリンピックが始まるちょっと前に、いつもの佐倉の3バカが集まり蕎麦屋で軽くイッパイ。
その蕎麦屋は以前は酒とビールしかなかったが、山ちゃんの話術で焼酎を置くようになり、オレたちだけの居酒屋となってしまった。
そこで酔いにつれ山ちゃんが「たまには津田沼の焼き鳥屋で暑気払いをやるべ〜よ」と・・。
「そういえばしばらくA女史の尊顔を拝んでないし、たまには誘って一緒に暑気払いをやろう」となり連絡をとる。

約束の当日にA女史よっぽどのどが渇いてたのかフライング気味に一足先の焼き鳥屋へ向うとメールが入った。
この日は広島に原爆が落とされて63年目の8月6日。
少しばかり戦争の話になり(ちなみに誰も戦争経験のない者ばかり)戦没者の冥福を祈り・・。
後はひたすらビール、焼酎、焼き鳥を食っちゃ、飲み、なんだか久し振りにヘベレケ・・・。

帰りの電車の中ではうたた寝を決め込み、臼井駅に降り立ったときには酔いは絶好調で記憶喪失状態!!
山ちゃんとタクシーを拾いさきに山ちゃんを下ろして帰宅したようだ。朝起きたら家で寝ていたし・・。

翌朝、寝ぼけズラで床屋へ出かけサッパリし、お金を払おうとバッグを開けた ら・・サイフがない。
アレ、アレ??と探しまくるがない!タラ〜とっ額から嫌な汗が出てきた。
急ぎ家に帰ってカミサンにたずねると、「そんなの知らないわ、また失くしたんでしょ」と・・「早く警察とタクシー会社に連絡しなさいよ」。
さあ、それからがタイヘン。
交番に駆け込み遺失物の届けを出し聞けば「サイフは80パーセントぐらいは出来ません」と期待薄な答え・・。
もうこの時点で「終わったな!」と諦めムード。

後は駅の構内で待機するタクシーの運転手さんに聞くしかない。
が、肝心な乗ったタクシー会社を覚えてない・・・。そこへ知り合いのタクシー運転手のKさんが入ってきて、どうした?と。事情を話すとテキパキと段取りよく運転手仲間に連絡を取ってくれ、諦めかけていたオレのサイフは、昨日乗ったタクシー会社の事務所に保管されてることがわかって一安心。

これに懲りて、今度は酒には飲まれないように、酒を飲むことにしようと、堅く心に誓ったオレでした・・!

黒潮ヒデ夏
2008.7.30
 ゆみさんがフラワー合宿を行なったと聞いてびっくり。 今年の暑さは各地で猛暑を記録し、毎日うだるような中で、自転車に乗るとはた いしたもんだね・・。 今のオレではとうていまねできましぇん・・・。頭がさがります。

 少し早い夏バテぎみでフーフーいってるある日、お中元を持って大介(武井)が 嫁とともに長男坊を連れ我が家にやってきた。 ちなみに長男坊の名前は「虎之介」と命名。まだ生まれて2ヶ月あまりで小さく てかわいらしい。 名前は嫁が妊娠したときすでに決まっていたそうで、「虎之介じゃないと生まな い」と一方的に決定・・。

 父親になった責任感と自覚をどことなくかもし出してる大介を見ると、 当時「競輪選手になりたい」とオレのところへきたときの大介からは想像もでき ない光景だ。 大介がデビューして7年。 順調に成長し自在型としてのスタイルを確立した今、もう一つ上を目指せる位置 にきてる。
 そこでいまの練習内容や環境を聞いてみると。 海老根や94期の岩本や加賀山、吉沢らと街道練習を中心に鍛え上げてると。
 つっこんで話を聞けば岩本などは、もがきもそうだが先頭交代も強く海老根と互 角かそれ以上だと・・・。 オレの中では大介もそうとう強いイメージを持っているが、その大介がまったく 歯が立たないそうでびっくりだ。
 練習の話や競走の話になると時間を忘れ熱が入ってくる。やはり競輪選手だった 性か・・!

 なんだかワクワクしだし今度、練習しているところへおじゃまして見学すること にした(当然バイクでだが)。
ツーリングで放浪の虫が…
2008.7.16
 先日梅雨の晴間をぬってスピードチャンネルのスタッフ3人と、選手OBのTさん、現役のK君を伴って日光へツーリングに…。
  前々から約束してあったが、延び延びになっておりやっと皆のスケジュールが会いこの日を迎えた。当日は早朝5時半に家を出発する予定にしていたが、遠足にいく幼稚園生よろしく、朝の4時には起きてしまいソワソワわくわく。
  やっと予定時刻になり、第一待ち合わせ場所の幕張でわが千葉県選手団と落ち合い、第二待ち合わせ場所の羽生でスピードチャンネルのスタッフと合流。団体行動を初体験することとなったオレは少々緊張気味であったが、なれるに従い景色を眺める余裕も出てきて快調快調…。

  昼飯はオレがインターネットで調べた山の中の蕎麦屋へ行くことになっていたが…
  目的地は秘境探検にでも来てしまったのか?と思われる、くねくねとうねる山道。おまけに対向車がきたら万事休すというほど細いときている。あたりには人家の影すら見えず、心細くなりながらも突き進むと5,6軒の集落が…。
  不安になり民家の人に目指す蕎麦屋を聞きやっとこ到着。苦労してたどり着いて食べた蕎麦は絶品!!ナットク。(場所は西小来川の山家?というお店)

  その後はいろは坂をめぐり帰路に着くはずだったが・・・。あまりにも天気がよく気分も乗ってきたから、さあ大変。昔の放浪の虫が湧き出て「仙台まで行こうか?」と提案。
  Tさん、K君は「エっ?日帰りでしょ!」というが、「日本は狭い」と、半強制的に仙台へ発進!スピードのスタッフたちとは日光で別れ、オレたち千葉組は仙台方面に向ってしまった。
  当然、後でカミサンに怒られることは覚悟の上。が、翌日家に帰ると変にニコニコ…。
  「やべ〜、かなり怒ってる」なんか怖い。どやされる前に「ゴメン」とカミサンに謝ると「なにも謝ることなんてないのよ、ご自分だけ楽しんだだけなんだから」と。
  聞きなれない「ご自分」の言葉が耳につき、(ヘルメットをかぶって寝たほうがよいかも!)と思いながらビビリながら就寝。

  このコラムを書いてる自分が、無事にいることが不思議な気分だ。いつか何倍にもなって返ってくるのかも・・・!
滝さん、引退
2008.7.2
 6月27日に滝さんの引退記者会見が行なわれた。
滝さんに会うと色々と話をするが、決まって最後は引退についての話になる。
が、いつも答えは一緒で「まだ頑張る」と一向にそんなそぶりを見せない。
6月の松戸ナイターの前検でも「7月からA級に降格しても走る」ときっぱり。
 「おい、ホントかよ、じゃあ千葉に応援に行くよ」と言うといつもの滝さんスマイルで「勘弁してください」と。

 レース内容をみても自力で戦っているし、てっきりA級にそなえての準備だろう?と思っていた。
 ところが25日、6月27日に記者会見があるって連絡が入りそれからが大変。

 当の本人とは連絡がつかず新聞各社はテンヤワンヤだったようで・・。
 オレも滝さんの実家まで出向き、お袋さんとオヤジさんに話を聴くも、オヤジさんは「辞めるとは思うが、はっきり言わない」と。
 閉口令をしかれてるようで、後は昔話に終始し滝さんの実家を後にした。

 当日の引退記者会見では、湿っぽい涙はなく「競輪人生をやり遂げた」すがすがしい笑顔だけが印象に残った。

  オレとしても滝さんのデビュー当時から一緒に練習をやってきて、強くなりタイトルを総なめにしグランドスラマーになったときの瞬間も立ち会えたし、同じ時代に選手として一緒の走れたことは誇りにさえ思える。

 それだけに、歳とはいえ弱くなってきた滝さんを見ていると寂しく感じて仕方なかった。

 引退を正式に発表した今、オレもホッとしている一人だ。

 これからは、競輪学校で後進の指導にあたるとのこと。
第2第3の怪物滝沢二世を排出するように頑張ってもらい、再び競輪隆盛期のよき時代がくることを期待します。

 偉大な後輩滝さん、お疲れ様でした。
あこがれのバイク
2008.6.18
 カミサンに内緒でドエライ物を買ってしまった・・・!

  ナンダ?というとビックバイクなのだ。

  その昔、オレがまだ高校生だったころバイク通学をしていた。それもナナハンで・・・。

  休みの日はアルバイトでガソリン代を稼ぎ、金が貯まるとツーリングに出かけていったもんだ。
  なかでも高校3年の夏休みに10日間かけて北海道1周したのが最高の思い出だ。

  選手になっても時折欲しいとは思っていたが、カミサンに言うと「あぶないから、ゼッ〜タイにダメ!!。バイクを買うんだったらアンタとは離婚だからね」と・・。
  何回かキゲンのいいときに頼んでも、まったく受け付けず「バイクだけは、ゼッタイダメ」と判で押したような答えが返ってくるばかりだった。
 しかたなく諦めていたのだが・・・。

  去年の立川GPに兵庫の佐野裕志さんがバイクで参加していた。これを見て「オレもナントか手に入れたい」と思うようになり、今年になって何回かバイク店の方に足を運んでは眺め、話を聞いたりして帰ってくることを繰り返していた。
  ある日店員からバイクに試乗しますか?て言われ試乗しまった。
  こうなるともうダメ。我慢の限界を大きく超え、一気に畳み込むようにバイクを 買う契約を結んでしまった。

  だが、敵にはまだ話が通っていない・・・!

  言っても無駄だろうしこの際、強行突入!納車のときに大勝負!!と考えていたが…。

  ひょんなことで馬脚を現してしまった。

  というか、毎日寝床でバイクのカタログや資料を見てれば誰でも察しがつくってもんだ。
  いろいろ問い詰められたが、最後はオレの勝ち!!

  今は、昔のイメージを取り戻すためにそこら辺をビビリながら運転中でリハビリ期間。
  慣れてきたら本格的にツーリングに出かけ、旅打ちなんかいいかも・・・ヘヘヘ。
カミサンには内緒だよ
2008.6.4
 静岡の渡辺晴智選手の優勝で幕を閉じた、第59回高松宮記念杯。

 初日から車券を買い漁っていたが、どうもピンと引っかかるものがない。
「いや〜な流れだ!」と思いつつも、活動家の血がザワザワと騒ぎ止められない。

  このレースで勝負!!と決めていくと、展開の読みとは逆になってしまったり・・・。
  3日目の負け戦。加倉選手の頭で堅い!と、今までの負け分を取り返そうと勝負に行くと裏目、それも微差だったりして・・・。

  まったくどうしようもない状態が続き・・・とうとう先立つモノが底を尽き、泣きが入る!

  それでも今回はイベントとかテレビの仕事があったし、「背に腹は変えられぬ」で・・・。

  揉み手で「どうか一つ」の連呼をし、拝みたおして出演料を頂くと、人間ゲンキンなもので途端に背筋が伸び強気な姿勢になってくる。

  ホント、オレって「お金は人を変える」の典型かも・・・!

  さあ、気を取り直して最終日。背水の陣を敷いて、逆転に望みを託し朝から全開で勝負・勝負!
  いつものパターンだとナントかイーブンぐらいには立て直すのに・・。
 サッパリで大きく沈んでガックシ・・・。

  気がつけば出演料の中身はどこへやら・・。紙袋の中は、クシャクシャの伝票と数枚がむなしく残っていた・・・
  「どうしよう、またカミサンに・・・」と思ったが、帰るまでにはまだ時間がある。一計を案じ「出演料は振込みにしよう!」でいく。

  今回はこのコラムが見つからないことを祈るばかりだ。

  おしゃべりな娘よ、見ても他言無用!!今回は本当にマズイ・・・
笑いっぱなしの日
2008.5.21
 先週、兄貴から電話があり「ハマグリが揚がった」からと夫婦?で我が家に届けにきてくれた。わざわざ来てくれたので、昼飯を食いに行こうということになり出発・・・。娘も丁度いいことに休みだし、5人で連れ立って出かけてった。
 
 車中はにぎやかにワイワイガヤガヤ談笑…。話が盛り上がり佳境にはいると、娘が思い出したように「お母さんが、またやってくれたよ」と・・。運転するオレも耳がダンボになり、ナンダナンダと興味深々。

  娘いわく、スーパーの肉売り場での出来事だったと…。
  国産黒毛和牛のカンバンの前でカミサンが思案をしていると、脇からおばさんが、カミサンに声をかけ「この肉は美味しいですか?」と聞いてきた。 カミサンはそっくりそのまま、カンバンの字を音読みで「国産コク・モウ・ワ・ギュウ・だから美味しいに決まってるわよ〜」と…。
  おばさんはキョトンとした顔で、その場を無言で立ち去っていったとのこと。

  娘は娘で「ギョッとし後ずさりし、この人とは赤の他人モード」、になり距離を置きソッポを向いて知らん顔。店員はバツが悪そうにポツリと、カミさんに「それは、“くろげわぎゅう”のことですか?」と囁いた。


この話で車内は大爆笑!!

  カミサンも引きつった笑いで反論。
 「この前のケバサキの件があるでしょ!だからコク・モウ・ワ・ギュウって言ったの!!」

  「だいたい、黒毛なんてイヤラシイでしょ」と…。

  思い切り持論を唱える!聞いてる方はナンデ?そんなのちっともイヤラシないのに??」
 「コク・モウ・ワ・ギュウの方が断然いいわよ!」と譲らない…。これでまた、車内はゲラゲラと大笑い!。
  兄の連れ合いなんか、腹がツったと、転げまわる。
  笑ったおかげで腹はぺこぺこ。ガッチリ食べて、例のスーパーで買い物に付き合い帰宅。

  夕方は、『ごめんください ヒデさんです』でまたまた笑い、この日は、一日中笑いっぱなしであった。
  これでメタボもちょっとは解消かも…
いざピンチ!さあどうする?
2008.5.7
 4月30日から平塚記念展望の仕事があった。
 ゴールデンウイークの始まりとあって全国各地の行楽地へ民族大移動。大多喜のタケノコもかなり育って竹になりつつあるはず…。(すごく気になる!)
  それに5月1日にまた健坊がタケノコを掘りに来るというし…。竹になってると大変だろうと見に行くことに…。
 
  ついでに、慎太郎(福森)の両親も孫の顔を見に北海道からと出てきてるし。タケノコを食べさせようと朝から出かけていった。

  展望は夕方からなので楽勝、楽勝!!と大多喜へ。
  予想通りタケノコはだいぶ育っている。掘るのも簡単でアッという間に背負いカゴ満タン!

  「さあ、帰るぞ」と山を下り始めたら「ズル〜!グギッ・・」、「アッ、ヤバイ・・やっちまったかも」
 そう、粘土質の土に足を滑らせ、捻挫しちまった。

  夕方からの記念展望を考えると、これは非常事態!!さあどうする?

  まずはスピードチャンネルのスタッフに連絡すると、ナントかしてくれると…。
  というワケで記念展望はいつものボード解説から、オーソドックスなスタイルとなった。

  ホント、今回はスタッフの人たちに助けられ無事終了することができて、ホッと 一安心。アリガトね。

  視聴者の皆さん、関係者の皆さん、ごめんなさいでした。

  来年は、これに懲りて十分気を付けますです!!
元気な先輩たちに圧倒!
2008.4.23
 別府の東西王座戦の初日以降、行方不明だった久保千代さんが、ふるダビ弥彦で元気に復活。
  行方不明のワケを話せば、飲み屋で話が盛り上がり、小便を我慢。それがアダとなり、我慢に我慢した挙句にトイレに立ち放尿し終ったら貧血起こして転倒。打ち所が悪くあごの骨を骨折。

  と、まあこんな具合で行方不明となっていた次第…。

  弥彦でしばらくぶりにナマ千代さんに会ったが、ケガする前とまったく変わりなくひと安心。

  そこで初日の夜は千代さんの快気祝いをしようと話が決まって…。
 緒方さん、中野さん、吉岡とオレにOBのYさんも交えてにぎやかにお祝い。
 久しぶりに大盛り上がりで、オレも記憶喪失寸前まで飲み弥彦の夜を満喫…!

  翌朝、身体に残った酒をシボリ出し、頭をすっきりさせに宿の温泉に行くと、そこにはすでに3人のお年寄りが入っていた。
 よく見ると、毎年弥彦記念に呼んでもらったとき、定宿の新風楼さんで顔を合わせる3人兄弟だった。

 湯につかりながら人生の大先輩たちに話を聞けば「今年も埼玉から弥彦まで車を飛ばして競輪をやりに来た」と嬉しそうに話す。
  それぞれ歳を尋ねると上から85、81、78歳だそうで。
 それだけでもオッタマゲなのに、長男の運転で車を飛ばして来るなんて!!

  なお話が続き「競輪をやってるからボケる暇がね〜よ。それで死ぬのも忘れてるよ」とすこぶる元気。

  そこまで元気で競輪をやってくれてるなんて、ホントうれしいかぎりだね!

  それにしても「世の中には、こんなツワモノの兄弟がいるんだ!」と感心させられる…。
 と、言うよりも、オレの中ではあすこまでいってしまうと、崇拝に値する御仁たちだ。
 オレも競輪活動家などと言っている場合じゃない。
このスーパー年寄りが究極の競輪活動家であって、神様みたいな人に見えてくる。

  ちなみに次の日も朝風呂でバッタリ…。「昨日は、少しだけ儲かった、○○万円ほど」と…。なんのリキミもなく、涼しげに言ってのけた。

 オレの中では○○万円は大儲かりの金額なのに…。
 とんでもね〜ジジイらだ、まったく!!

 オレも人生の大先輩達を目標に、車券に対するリキミを捨て達人の域を目指すことにした。
(そこまで玉が続くかが、心配だが…)

いざ、タケノコ掘りへ
2008.4.9
 先月、千葉を走っていた健坊(山口健治)を応援しに行ったときのこと。
同期の現役も数少なくなり、しばらくぶりで昔話が弾む。
  「さ〜て、帰るか」と腰を上げると、「おい、今年はタケノコ掘りに行くのか?」と。
 
  「ああ、行くよ」
  「じゃ誘ってくれ」
ということで、しばらくぶりにタケノコ掘りに健坊が参加することとなった。

  いつものメンバーに連絡を取り、今月の5日に大多喜へ出発。
当日はやや肌寒いが天気も良く、これなら大猟間違いなしと車にダンボール箱と米袋を積んだが…。

  現場に着き、早速お目当てのタケノコ掘りを始めたが…。見当たらない、い や、わからない。
  いつもだとタケノコの頭が出てるのに…。

  オレらもいささか諦めかげんのところ、山の持ち主が登場し「あっコレコ レ」とあっけなくタケノコを発見。
  これを見ていた健坊が、“持ち前の負けず嫌い”に火がついて、何が何でも1つは 探すと闘志をむきだし、根性で一個をゲット。

  ポン友Mも、あきれ顔で「ヤッパ、タイトルとるのは根性が違う」と感心しきり。
  総勢10人で成果は10本あるかどうか。それもタケノコの子供みたいな小さいサイズのものばかり。

  かなり山の中を歩き回ったので腹もへり、飯を食いに、いつもここに来ると立ち寄るカラオケスナックのような食堂へ…。
  昼時なのに店内は演歌が流れ、イッパイ飲みたいばかりの連中にはたまらない。早速軽くビールで乾杯。
  このイッパイで勢いがつき山ちゃん、アイちゃんたちは焼酎に…。

  運転手のオレはここからが、忍耐力テストの始まりとなってしまった。

  連中オレが飲まないことをいいことに、オレをいじくりだしたりしてカラオケをやったりしだす始末。
  いや〜、これには参った。
  酒を飲まずに2時間以上付き合うはめになるとは…、まるで拷問にあってるよ うだった。

  この勢いだと、夜まで行ってしまうのでは…と。
  頃合いを見はからい、強引に座を締め撤収!すでに3時を回っていた…。

  佐倉に帰ってからは、昼の反動も手伝って、夜はオレの一人舞台に…V。
競輪活動家のデビュー戦
2008.3.26
 駿府ダービーがオレの競輪活動家としてのデビュー戦。
  最高の舞台設定で気合が入る!
  例によって前検日は、検車場で選手を追っかけ回し取材、それからコラムを書き終える。

  なんか初日から活動家としての真価が問われるような気がして、妙に緊張する。 (自分だけがそう思ってるだけなのに・・・。)
  出足は好調でトーチューのコラムで書いたねらい目は2日続けてパーフェクト!!ゼッコーチョ〜!となってるはずが、コラムで書いたレース以外で窮地に・・。多分、読者はオレが大儲けしてるに違いないと思ってるはずなのに・・・。

  何をトチ狂ったのか、活動家の血がそうさせるのか3日目以降は下り坂をノーブレーキで走る自転車さながら、止めることができない。
  「だっ、だれかオレを止めてくれ〜」と叫びたくなる。

  車券の成績は浮き沈み?が続き、いいところまで浮き始めるかと思うとググーッと大きく深く沈む。この繰り返しで最終日を前にとうとう・・。
  酒の果てから晩飯にいたるまで、わがトーチューの工藤先輩記者にゴチになる始末。
  ホント、我ながら情ね〜。

  やっぱりカミサンが言うとおり、競輪活動家は金がかかる、トホホ・・・。

  こんな悲惨な状況で迎えた最終日。
  禁じ手の「どうか一つ!」の奥の手で活動資金をゲット。
  これが功を奏しなんとか盛り返すことに成功。
  プラスにこそならなかったが深手を負ったキズを浅く修復。
  活動家のデビュー戦はまずまずだったかも?

  駿府ダービーは今年の勢いそのままに地元の渡辺晴智選手が、山崎の先行に乗って余裕の初V!!
  レースが終っても、場内は渡辺の勇姿を一目見て祝福しようと大勢のファンが待っていた。
  久しぶりにああいう光景を目撃し、オレも感動!
  このままいけばハルトモが今年あと何個のG戦を取るのか大いに楽しみだ。

  大会終了後、レセプションが開かれオレも呼ばれ出席。
  そこには地元の選手達に混じって他県の参加選手達も出席していた。

  戦いが終われば、みんな良き青年にもどる。
  そんな和やかな雰囲気の中、山崎を見つけ近寄り話すと 「これから帰って明日の練習の準備をします」とちょっとクヤシさをにじませており、目には青い炎をたぎらせていた。
  「アアそういえば、オレも頑張っていたころは、あんなんだったな」と懐かしく思い起こされ、また一つ山崎が脱皮して大きく変身するのではと思った。
 次回のレースはハルトモともども楽しみになってきた。  
競輪活動家、誕生!
2008.3.12
 別府の東西王座戦から、意気揚々と凱旋帰宅したのに!

 いつもだと「どうだった?儲けた!」と迫ってくるカミサンなんだが・・・。
 ナントオレの自慢話をさえぎり、「アンタはいいわね」と。
 「なにが?」と尋ねれば「毎日毎日競輪三昧で」と返してきた。
 「当たり前だろ、これが仕事なんだから!」答えると・・。

 どうやらこの一言が原因で、この日虫の居所が悪いカミサンにスイッチが入ってしまった・・・。
 「アンタ! 仕事って言うのは、お金を稼いでくることでしょ!」と・と・と。
 「アンタは仕事といいながら、いつもお金を持ち出すでしょ。」と痛いところをカウンターで突かれ、「う〜ん」と、詰まりダウン寸前。

 苦し紛れに「じゃあ今のオレってナンダ?」と尋ねると「アンタのは活動です」ときっぱり!!
 「?活動?エっ、・・活動??なんだそれ?」と・・。

 すると「お金を持っていくから活動なの。活動にはお金がかかるのよ。それと我々家族の理解と協力が必要でしょ」と・・。

 「そりゃそうだが、今回は儲けてきたけど・・・」。と少しばかり反論すると、
これがまた余分な事を言ってしまったようで、「そんなの、たまたま儲かっただけでしょ!何十回に一回でしょ、そんなの儲かったとは言わないの!」とピシャリ・・。
 ダンダン、カミサンのペースで洗脳されだしサイボーグ化していきそうになってる自分を感じ、”ハッ”と我に返り「それでもいいんだよ。競輪が好きだし、今は車券を買って競輪に恩返しをしてるところなんだから・・」と。

 「ふ〜ん、だからそれを活動と言うのよ」。で・・納得。

  そっか、オレは競輪活動家なんだ!

 自分の中ではこの「競輪活動家」という言葉が耳に心地よく気に入った。

 「競輪活動家」として、もっと活躍するには活動費を増やしてもらわねば・・。
 が、多分この部分はにかんしては、夜を徹して戦ってもカミサンから増資の見込みは薄い。
 したがってそれは諦め、自分で車券を儲けて活動費を何とかするしないと、心にしっかり誓いを立てた。

 そういえば、ゆみさんの前回のテーマは卒業。

 オレはまだ競輪活動家となったばかり。
 しばらく、競輪を卒業できそうにない。
 いや、まったく卒業する気なんかサラサラなく、一生留年するつもりだ。

 そして最終的には、猛勉強をして車券名人の単位を目指すぞ。
湯煙の町、別府にて
2008.2.27
 別府競輪場で東西王座戦が行なわれるとあって、久々にやってきた。おそらく10年ぶりぐらいだと思う。大分空港から高速バスに乗って別府に着くと、いたるところから湯煙が立ち上り硫黄の匂いがどこからか漂ってくる。  この町に着き、年がら年中あちこちで湯煙が上がるのを見ると「いつか噴火するんじゃないか?」という思いにかられる。
  「ちょっと穴を掘っただけで、どこでも温泉が出てくるんじゃないか」という錯覚に陥るぐらいの豊富な湯量だ。
  町中には無人の温泉施設が点在するし「将来食い潰れることにでもなったら、ゼ〜ッタイにここでホームレスをやろう」と思う。
  ここだったら温泉にもタダでつかれそうだし、なんとかしのげそうだし…と冗談交じりの考えをめぐらしながら競輪場へ…。

  オレの今回の目的のひとつが食べ物。有名な関さば、関あじに加え、ふぐや城下カレイと魚好きにはヨダレもののご馳走が待ち構え、今シリーズはしっかり儲けてご馳走三昧作戦と気合十分だったが…。
 
  思惑通りにはいかないのが競輪と現実。前半戦は手堅く決まっていたのに、東西戦になるとメチャクチャ。東西王座のレースは失格、落車のオンパレード。おかげで車券の方もボロボロ。選手も痛いだろうが、ファンも悔し涙もんだ。
  二日目なんかは今まで見たこともないような車立。比較的9番車が好きなオレにとって、9流しができないのは納得がいかない。
  冗談はさておいても、勝ち上がりで7車、8車のビッグレースはつまらない。だいたい初日の1着でほぼ決勝進出が確定するポイント制度ではいかがなものか。
  その昔、ダービートライアルがあったときのようなポイント制も一考かと思う。関係者も今回のこの出来事を真摯に受け止め、システムの改善を図り、選手にとってもファンにとっても納得のいくものを作ってもらいたい。

  ちなみに車券は初日、2日目までのやられ分を最終日に回収し、 少しだけ前進…。久々にグ〜!<^^>”  
 
  意気揚々と凱旋帰宅を果たしたのだが、カミサンが意外な反応を…
長い長い道のり
2008.2.13
 解説の仕事で豊橋記念に…。
 前検日の前まで車か新幹線か悩んだ挙句、カミサンの「どうせアンタは朝早いん だし、車でいけば!」の鶴の一声?で車で行くことに決定。
  朝6時に出発し、途中パーキングエリアで朝飯を食い、何度か休憩を入れながら、ようやく豊橋競輪場に到着。
 
  走行距離は350km弱、かかった時間は4時間半、いささか一人での運転だと疲れる…。
 
  前検日の取材も滞りなく終わり、久しぶりに軽くイッパイやろうと同期だった宇 佐見(豊橋競輪場内のガイダンスコーナーで働いている)へ電話すると…。
  「今日は都合が悪いから・・明日な!」と断られ、一人さみしくイッパイやって 早々に宿でバタンキュウ。
  翌日ガイダンスコーナーを覗いてみると、「いや〜、悪いー悪いー、昨日は仲間 と浜松オートまで行っとったでよ〜」と。
  「相変わらずギャンブルの好きなやつだ・・」と思いつつ(自分のことはタナに 上げ)、晩の約束を取り付け、仕事に精を出す。
 
  今シリーズの2日目なんか、めったに雪の降らない温暖の地の豊橋なのに、雪に見舞われの11Rの優秀戦が中止になり先行きが不安になるも…なんとか4日間 を無事に終了し、「さあ〜帰るか」となると350kmの道中を考えると、長過ぎ るぐらい長い。

  そこでイベントで来ていた克ちゃん(伊藤克信さん)を無理やり誘ってゲット。 もう一人ぐらいいた方がもっと楽だろうと、滝さんを誘うと 「カンベンして下 さい」と後ずさり・・。 帰り支度をしていた海老根を見つけ誘っても、返ってくる答えはクールに「勘弁してください」といなされて隙を見せない。
 
  しかたなく用を済まそうとトイレ立ち寄り出発。
  競輪場を出てまもなくすると克ちゃんが、「吉井さんがトイレに行ってる時に、 伊藤さん!逃げるんだったら今ですよ!!」と滝さんが言ってましたよ、と…。
 
  「ヒエ〜、ホントかい。やっぱ選手を辞めちまうとキビシイ〜」と大笑い。
  克ちゃんのおかげで長旅も苦にならず、楽しい道行でした。
でかした大介!
2008.1.30
 競輪祭の前検日、大介(武井)がウチに迎えに来る手はずになっていた。

 いつもなら約束の時間より早く到着するのに、いっこうに来る気配がない。

 家の外でしびれを切らして待っていたが、あんまり遅いので電話をしてみると、「寝坊してしまったので、今から出ます」と30分遅れで迎えに来た。

 「途中、渋滞にはまったら飛行機の時間に間に合わないかも・・。」と思いつつも、ナントか搭乗時間に間に合い一安心。が、「この流れだと先が思いやられるな。まさか大介3日目でお帰りになっちゃうんじゃ・・。ちゃんと最終日まで走れるのかな」と不安な気持ちにさせられるも…。


 なんと、準決勝3着で決勝に進出・・ゴール前では立ち上がり「ダイスケ〜!」と絶叫、「ヨッシャ〜」とガッツポーズ。

 いや〜ホントぶったまげながらも、ものすごく嬉しかった。

 このところ不振続きだったが、腐らず練習をしてきた成果が実った。

 春には赤ん坊も産まれることだし、これでミルク代には困らないだろうと、一安心。

 決勝戦でも持ち味を出した結果の9着だったので、師匠の立場としても納得。

 ところでオレはどうだったのかというと、ダイスケに全部ツキを持っていかれたようで、オジャンだったが・・。

 野外では前検日から久保さんの友人に誘われ、緒方さんと繁華街を徘徊し、はしゃぎまくっていた。

3日目には、ポン友のアイちゃん、ヤマちゃんが千葉からはるばる小倉へ。

「全くどうしようもない底抜けぶりだ」が、二人ともはるばる小倉まで来た甲斐があり、しっかり儲けたようだ。

 ということで、この夜は大介の決勝進出を祝い、A女史の知り合いの店で、トーチュウの工藤先輩、米内も合流し、貸し切り状態で(客が誰も来なかったので)宴会。勢いで二次会になだれ込む。お客の誰もいない店の状況も手伝って、みんなでカラオケ大会で大盛り上がり、上機嫌で宿へ帰り、意識不明の状態で寝てしまった。

 今回の競輪祭は、なんとなくすがすがしいオケラと相成りまして、ナットク・・。
今年はコツコツ!
2008.1.16
 GPの連敗を引きずって新年をむかえてしまったようで、どうもスッキリしない。
  が、そんな女々しいことをいってても始まらない。番組制度も変わったことだし、オレも気分を新たにGPへのサクセスストーリー に向かってまっしぐら・・。

  ということで5日から平塚でA級戦を解説にいった。A級1、2班戦と3班戦はチャ レンジレースに分かれる。 93期のルーキーたちがデビュー戦を向かえるということで、ルーキーたちは前検日からかなり緊張ぎみの様子。
  昔のB級戦みたいで若手同士の力の両立かと思われたが、初日からベテラン選手や92期に手痛い洗礼を受けて苦汁を飲まされていた。このチャレンジレースがオレにとって一筋の光明に見え、俄然やる気が起こる。
  なんてったって92期を軸に狙って力のあるベテランを絡めるだけでコリャ〜当てやすい。高配当は望めないが、2車単ならかなりの確立で当たる気がする。(が3連単だと流さないとしくじってしまう)。
 
  そこで今年は「チャレンジレースでコツコツ!」に作戦を変更…。
  「チリも積もれば・・・」で儲ける、つもりだが優柔不断なオレとしては、いつまでこの気持ちを維持することができるか?
 
  競輪場でオレを見かけた読者の皆さんは
「チャレンジレースでコツコツ」 を実践してるか!と一声掛けてくだされ。
今年も撃沈…グランプリ07
2008.1.2
またしてもGPで撃沈!。

  年末恒例となったケイリングランプリ07行ってきた。
  去年はボックス買いをせずに大失敗。 ハズレ車券の中にボックスなら当たってた、同じ目が佃煮にようにイッパイ入ってた。 そこで「去年の轍はゼ〜ッタイ、踏むもんか!」のカタイ決意で立川へ…。

  御用納めが終わって、山ちゃん、あいちゃんも泊りがけで立川へくると言うし…。ハルバル京都からも友達5人が立川に来るというし、「今年こそは」と燃えに燃えるオレ。

  地球温暖化の影響か、立川は例年と違い寒さに震えることもなく風も穏やか。

  今年最後の「大一番を勝負、勝負!」とばかりに連日ファンが大勢押し寄せ、場内は熱気でムンムン。 オレも初日は場内イベントで伊藤克信さんと予想会をやり、 2日目からはNHKの3Dハイビジョンの前で「解説」と言うよりも、 自分の買った車券を握り締め展開を実況…。
 ついつい自分の車券に有利なるように選手を応援するが…。
  自分の思ったとおりに選手は走ってくれず、解説はいつの間にかボヤキの実況に…。
  周りからは笑われたり、溜息なども聞かれファンと一体化してイベントは大盛り上がり。

  いつものグランプリシリーズだと荒れるレースがケッコウあったのに、今シリーズは堅く決まって本命党はホクホクだ。
  オレはというと、一進一退を続けドカンと先に進まない。

  そんなこんなでグランプリ07…。
  朝からボックスで前売りを購入していたが…。
  本番前にイベントそっちのけで買い足しに走り、気がつけば車券は花札ができるほどの枚数。
  これを握り締め最後の大勝負。
  新王者山崎に期待し渾身の大勝負!!。

  結果は無残にも…GP連敗・・><。

  挙句の果てには京都の友達から土産に貰った、いかにも美味そうな日本酒が…。
  オケラ街道に向かう途中で、ベンチにぶつけてしまいガツッと鈍い音とともに酒がポタポタとこぼれる始末…。
  「あ〜っ」と慌てて手にすくったが、酒もオレの手元からオサラバ・・残ったのは芳醇な香りだけ。
  車券も酒も今年の言葉「偽」で終わってしまった。

  オレもイロイロあった一年でしたが、皆さんも身体だけは気を付けて、 08年もこれに懲りずよろしくたのんます!!
  今年の目標・・なんとしてもGPをゲットすること!
吉井秀仁
よしいひでひと
昭和31年千葉県生まれ。
昭和51年10月、38期生として選手登録。同51年11月千葉競輪場にてデビュー戦を完全優勝で飾る。二年後の53年に新人王、翌年の競輪祭では競輪王の称号を獲得し一気にスターダムをのし上がった。55年前橋ダービー、59年西宮オールスターを優勝。通算出走数2073走、1着464回、記念競輪優勝数30回(歴代15位)。華々しい成績を残して平成14年7月現役を引退。現在は東京中日スポーツ専属解説者、テレビ、イベント等で活躍中。
吉井秀仁
Back Number
<<2009年
2008年

ことしもやっぱり…
勉強になった!
これぞ競輪選手の結婚式!
緊急・兄弟会議
武田のこれからが楽しみ
流れにあやかりたい!
ゆみさんおめでとう!
無題
楽して痩せたい!!
大介(武井)、でかした!!
消えた記憶と財布
黒潮ヒデ夏
ツーリングで放浪の虫が…
滝さん、引退
あこがれのバイク
カミサンには内緒だよ
笑いっぱなしの日
いざピンチ!さあどうする?
元気な先輩たちに圧倒!
いざ、タケノコ掘りへ
競輪活動家のデビュー戦
競輪活動家、誕生!
湯煙の町、別府にて
長い長い道のり
でかした大介!
今年はコツコツ!
今年も撃沈…グランプリ07

HOME このページのトップへ戻る


Copyright(c) 2005 Nikkan Prosports Shinbunsya kk. All rights reserved.
当サイトに掲載された全ての文章、画像について無断転載、直接リンクを禁じます。
お問い合わせは[email protected]まで