もっと『輪』くるライフ!
2009.1.7
明けましておめでとうございます。
グランプリの余韻に浸りながら、いえ、正確には、グランプリが当たらなかっ
たことをイジイジと引きずりながら、2009年を迎えました。
仕事はじめも、
打ち合わせの最中に話がすぐ脱線して、みんなで当たらなかった車券の反省大会。勝っても負けても車券談義はつきません。そうこうしている間にも新春開催が各地でスタートしており、ついに今年最初のG3、立川記念鳳凰賞典レースが始まりました。
暮れのGPシリーズから注目している顔合わせがここでも実現。
村上義弘選手と木暮安由選手です。かたや、常に自分の戦い方にこだわりつづけ多くのファンに支持されるスター選手。対するはチャレンジレースから無傷の18連勝で特別昇級。S級に上がってからも大活躍中、「狙える選手」として人
気になりつつある新鋭レーサー。
去年、91期と92期の若手選手6人と滝澤正光さんを囲んでの対談がありま
した。その中で、売り出し中の若手にとって、ビッグネームを破り金星をあげる
ことが、いかに価値あることなのかを話してもらいました。それは優勝にも匹敵
する歓喜、「ウォ〜ッ」と叫んでガッツポーズをあげたくなるほどの喜びなのだろうなあと感じました。
GPシリーズの準決勝で村上選手を相手に逃げ切った木暮選手は「相手が村上選手だったので余計に嬉しいです。自信になりました」と満面の笑みを見せていました。続く対戦は立川記念初日、このときも木暮選手が先着。
そして今日の準決勝では、今度は村上選手がまくりを許さずに先行逃げ切って歓声に応えました。敢闘門を引き上げるときにこぼれた白い歯。いい表情でしたね〜。
ときに必要以上に自分の中で勝手なドラマを作ってしまう嫌いは否めません
が、だからやっぱり競輪って面白いんだわっと思うのです。なんだか今年はすごくドラマチックな一年になりそうな予感がする・・・って、出走表みながら目をハートにしているわたしは今年も色気がないな。
競輪の仕事をはじめて、今年で干支が一周します。レースを追いかけていくう
ちに毎年あっという間に一年が経ってしまうけれど、今年は今まで以上に、ひと
つひとつのレースの中にある面白さをじっくり見ていきたいと思っています。
今年のわたしのテーマは『輪』。
仲間たちとの輪、生命の輪、自然との輪・・・さまざまな繋がりを感じながら、『輪』を大事にしていきたいです。
そしてもちろん競輪の『輪』。
できれば車券もマイナスの方に凹むのではなく、当たりでマル!といきたいも
のです。うーーん、これが一番むずかしそうだ。
皆様にとって良い一年になりますように。
今年もよろしくお願いいたします。
クリスマスの思い出
2008.12.24
まばゆいばかりのイルミネーションに彩られた東京ドームシティ内にあるSPEEDチャンネルのスタジオで、防府記念中継がスタートしました。スタジオの中にはツリーなども飾られて「そーだ、クリスマス!」な装いです。
初日の中継を終えて、翌日の資料作りをしているときに「わたしのところにサンタさんこないかしら〜」と後輩のため息。即座に「こない!そんなことより明日の並び・・・」と答えるロマンのかけらもないなわたし。そもそもスタジオのツリーにさえ、中継の途中で津田ちゃんに言われて気づいたくらいですから。
SPEEDチャンネルに入る前はステージMCが多かったので、クリスマスとGWは稼ぎ時!という生活が10年ほど続きました。そのせいでイベント事は仕事の延長、のような感覚が今も残っているのです。
とくにこの時期はクリスマスディナーショーのシーズンでしたから、歌手の方が登場する前の「前説」とよばれる、インフォメーションや雰囲気の盛り上げ役として、あっちこっちのホテルを駆け回っていました。
ある日、まさに駆け込んだことが・・・。
その日は土浦のホテルでのディナーショーでした。当時、土浦には上野から『特急ひたち』に乗っていくことがほとんどでした。行きなれているホテル、のはずだったので、とくにホームのボードを確認することもなく、上野駅の常磐線特急ホームから停車している列車に乗ったのです。「新しい車両かな。綺麗だわ〜」なんて思いながら。そこで大きな過ちに気づくべきだったのです。
乗った電車は運行がはじまったばかりの『スーパーひたち』でした。新幹線でいうところの、『ひかり』ではなく誕生したての『のぞみ』といったところでしょうか。しかも、停車駅が少ないやつ。そう、乗車してしばらくすると「次の停車駅は水戸〜。水戸〜」とアナウンスが。「えっ!?そんなことってあるの!?」一瞬で凍りつきました。直後にグウォーッとものすごい勢いで血液が逆流するような気持ちの悪さ。まだ携帯電話などない時代でしたので、列車の中についていた緑の電話からホテルに電話し、プロモーターに連絡をとって事情を話すと折り返しの列車を調べてくれて、それに乗ればなんとか間に合うことがわかり胸をなでおろしました。
しかし、ここからがたいへん。土浦・水戸の往復と水戸での待ち時間を合わせると2時間以上ものロス。普段はホテルに入ってからゆっくりお化粧し、着替えてリハーサルに臨むのですがとてもそんな余裕はありません。折り返しの列車のトイレの中でタキシード風の衣装に着替え、メイクをすませました。ちょうどトイレから出てきたときに車掌さんが通って、ぎょっとした顔をしたのが今でも忘れられません。なんてったってステージ用なので衣装もメイクも派手なのです。そういうときに限って駅前にはタクシーがおらず、およそ10分、ハイヒールでひたすら走り会場へ。
「注意一秒、ロス二時間!」
今でもクリスマスシーズンになると、いつもあのときの冷たい汗を思い出します。その割には、いまひとつ教訓として生かされておらず、いまだに逆向きの電車に乗ってしまったり、各駅と急行をまちがえたり、呑んで寝過ごしてしまうことがよくあります。あっ、それはまた別か。
そうでなくても忙しい年末、注意深い行動でよい年を迎えたいものです。
おめでとう、三宅伸選手!!がんばろうアラフォー!!
2008.12.10
今年最後のタイトル戦、全日本選抜競輪が終わりました。
優勝は三宅伸選手。デビューから19年4ヶ月でした。三宅選手は64期の卒
業記念チャンピオン。在校時には学校記録もつくり、デビュー後も輝きを放ち、
いくたびもG1決勝に勝ち上がりながらもなかなか手にすることができなかったタ
イトル。
過去に大怪我があったと聞きましたが、そのときも「神様が与えてくれた試練
だと思って前向きに考えた。実際、ひとつの試練をのりこえると、そのあとには
いいことが待っていることが多かった」と常にポジティブにがんばりながらも、
なかなか後輩が育たなかったり、徐々に決勝に進むことも少なくなったりと、忍
耐とともにここまでこられたのではと想像しています。
レース後、「実感がわかない。本当だったら泣くのに、涙が出ないですね」っ
ておっしゃっていましたが、長年三宅選手を見続けてきた記者の方たちや、石丸
寛之選手の方が瞳を濡らしていたようです。
岡山に10年ぶりにもたらしたタイトル。小橋正義選手が移籍する前の
1998年寛仁親王牌以来です。現在は岡山にタイトルホルダー不在の中での快
挙。しかも大舞台での岡山ワンツー、すばらしいですね!
「今年のしめくくりのつもりで、精一杯走る」とギアを上げて臨んだ決勝戦で
した。結果、30日に本当の意味で2008年を締めくくる大舞台が用意されました。今年も前夜祭はタキシードかしら。三宅選手、似合うだろうな。
全日本選抜はいろいろなドラマがありますね。
賞金争いの渦中にあった選手の多くが次々と敗れ、それでもあきらめずに気迫あふれるレースを見せてくれた紫原政文選手。最後の最後に今年のGP出場の夢は潰えてしまいましたが、まさに今年の流行語大賞になった「アラフォー」の星でした。
そして、かわってその出場権を最後に手にした三宅選手もアラフォー世代の39歳。12年ぶりのGP、わたしたちアラフォーの夢を追い風にがんばってほしいです。
三宅選手が影響を受けたという『我慢する木に花が咲く』という言葉、いいですねえ。仕事でも、人生でも、なにかと我慢が多くなるアラフォーたちに大きな勇気と力を与えてくれるような気がします。
そういえばインタビューで、「ふけないように、見た目は大事ですから。太らない努力とか、服装なんかも気をつけています」って。
我慢と努力・・・そうだよなあ、枕のあとが顔から消えにくくなっている自分に我慢しつつ、お肌のお手入れちゃんとやろーっと。
O型の説明書
2008.11.26
先日、伊東温泉記念に行ってきました。
ほとんどの場合、現地のスタジオから中継しているときにも、実際のレースは
モニター映像でみているのですが、スタンドの歓声や叱咤激励はリアルタイムに
聞こえてきます。
人気に応えられなくて怒られてるなあとか、好走した選手に大きな拍手がおく
られているなあとか。金網越しに見ていてこそ味わえる興奮をできるだけテレビ
をみてくださっている方にも伝えたいなあといつも思っています。それにはまず
出演者も大いにレースや雰囲気を楽しまなくちゃ!ですよね。
今回のレギュラー出演は吉井秀仁さん、井上茂徳さん、江藤みきちゃん、そし
てわたし。全員O型。こんなこともめずらしいですね。最初に気づいたのはみき
ちゃんでした。そうと知って俄然ラインの結束力も高まり昼夜ばっちり連係。楽
しかったです。
そもそもO型というのは「仲間が大事」「みんなでガンバローぜぃ!みたいな
ノリが好き」なんだそうです。なるほど納得。
実はこれ、『O型自分の説明書』(Jamais Jamais著/文芸社)からの引用で
す。このシリーズ、今年売れに売れたらしいですね。人間を四つの血液型で分け
ることなんて愚の骨頂、と斜に構えながらも、実はその手のものが大好きなわた
し。ついに我慢しきれなくなって買ってきてしまいました。
おもしろいです!
O型の特徴と思われる短い説明文がたくさん箇条書きになっていて、あてはま
ると思うものをチェックし、完成したものを「これがわたしの説明書でーす」と
誰かに見せるのです。説明文が実によくできています。意外なところをつかれた
りして、かなりツボに入って笑えます。
実際、この本のおかげで、相手のがまんできなかった短所はあくまでも血液型
のせいなんだとあきらめることができて離婚を免れた夫婦もいるとテレビでやっ
ていました。
というわけで、我が家でも末永く円満な家庭を築くために取り組んでいる最中
です。みなさんもぜひお試しあれ。
そうそう、説明文に「体をぶつけやすい」というのがありました。そうなんで
す。本当によくあちこちにぶつかります。つまずくことも多いし。伊東でもホテ
ルの前の平らなところで突然ベタッと前に転んで皆さんに心配していただきまし
たが・・・決して私の足元がおぼつかなかったわけではなく、これも血液型の為
せるわざなのでしょう。。。
そういえば、吉井さんもタケノコ山でグキッとやってたもんなあ。。。
今日は何の日
2008.11.12
コラムの原稿を書いている今日は11月11日。
以前ラジオのパーソナリティーやイベントの仕事が多かったときには、『今日は何の日』ネタをよく仕込んでいきました。調べてみるとかなりいろいろあります。なかには「これはどうだろう?」と首を傾げたくなるような無理なこじつけもあったりして面白いです。
ちなみに11月11日は世界平和記念日。第一次世界大戦が終結した歴史的な日だそうです。ヨーロッパでは祝日になっている国も多いようです。
そのほかには、『もやしの日』にもなっていて、これは“1111”がもやしを四本並べたようにみえるから。同じ理由で『煙突の日』『きりたんぽの日』にもなっていました。この発想でいくとなんでもいけちゃいそうですよね。
でも一番ピン!とくるのは1111で完全優勝!ですね。この一年、四日制のレースで完全優勝した選手に賞をあげたらもりあがるかも?
そういえば、11月8日は語呂合わせで『いい歯の日』になっていて、「いい歯でいい笑顔」をテーマにスマイル・オブ・ザ・イヤー2008の授賞式が行われたそうです。北京オリンピック ソフトボールで金メダルを獲得した女子ソフトボールの上野由岐子投手が特別賞に選ばれていました。あのガッツポーズと笑顔は日本中を歓喜させましたものね。
あるテレビ番組で、上野投手は高校時代から食事の際に、右利きなのにわざと左手を使って食べるようにしていたと話していました。左右のバランスを良くするのが目的だそうです。
そういえば競輪界のオリンピックアスリート伏見俊昭選手もあえてバンクを逆に回る練習をすると聞いたことがあります。やはり体のバランスを保つためなのだとか。一緒に練習をした選手の話だと、逆に回るのはかなり難しいそうです。ゆっくり走るならともかく、カントを使い、スピードにのせて走った場合、コーナーリングや微妙な体のバランスなど、いろいろなところに変化があらわれるのだろうなあと想像しました。
さて、上野投手、番組の司会者から「左手を使ってどんな効果がありましたか?」と聞かれ「記憶力がよくなりました」と答えていました。なるほど、左手を使うと右脳が鍛えられるわけです。右脳を活性することでは記憶力や直観力が高まると聞いたことがあります。むむ?直観力??それって車券があたるってことじゃないの???
明日からわたしは左手で食事をすることにします。
グランプリまで一気に黒星街道をすすみ、明るい2009年を迎えたいと思います。ってそんなに早く効果がでるのかしら。。。
ワールドグランプリ08
2008.10.29
千葉記念9・第一回滝澤正光杯、解説で出演されていた吉井さん、車券どうだったんでしょうねぇ。アイちゃん、山ちゃんコンビの勝敗の行方も大いに気になります。
決勝は、金子貴志選手が、京王閣のワールドグランプリ08第一戦につづき、ここも二番手をきっちりものにして優勝でしたね。
一時は調整などになやみ、ややスランプ気味だったそうですが、ここへきて流れもよくなって、これからの金子選手の活躍、楽しみですね〜。
さて、千葉記念でもワールドグランプリ08第二戦が行われました。
石橋慎太郎選手の捲りがきまって京王閣で行われた第一戦につづき、日本勢の優勝。
今回は来日したのが3選手だけでしたし、短期決戦で多勢に無勢、外国人勢には不利な点も多かったかもしれませんが、それでもやっぱり単純に日本勢が優勝してくれて嬉しかったです。
とくに第一戦で永井清史選手がシェーン・ケリー選手を出させない気迫の走りをみせたときには、テレビにむかって(当日夜は展望だったので自宅で観戦していました)大騒ぎ。ご近所のみなさま、すみません。
ワールドグランプリ08の記者会見の際、久しぶりに永井選手に会いましたが、表情がいいですねぇ!ケイリンの銅メダルがいい意味での重みになっているのではと思いました。
レース後「グランプリに向けてしあげていきたい」と頼もしいコメントも聞かれました。となると、このあとのふるさとダービー広島は何を見据えて走るのか、、、「逃げて魅せる」レースをしてくれそうと、注目しています。
それにしても、今年はテオ・ボス選手と、今や無敵のクリス・ホイ選手が欠場になって本当に残念でした。
個人的にはブルガン様に来てほしかったわあ。フランスのミカエル・ブルガン選手、初来日のときに、レースとまるで関係ない「白ワインと赤ワイン、どちらが好きですか?」というわたしのくだらない質問に丁寧に答えてもらっていらいの大ファンなのです。
もうすぐワールドカップ第一戦が始まります。
欧米では熱狂的ファンが多い自転車のトラック競技。
競輪も熱いけど、こちらも面白い!世界選、オリンピックのおかげで今やすっかり夢中です。
賭けられれば、もっと面白いんだけどなあ。
リバウンドの秋
2008.10.15
肥ゆる秋がやってまいりました。
毎年のことですが、夏と冬では体重がだいたい3kg違います。
寒くなると途端に動かなくなるのです。夏物の衣替えのときには「あら、ちょっときついかも」と思った服が徐々にジャストサイズになるころに冬の衣替え。「あら、ちょっとゆるいかも」と思ったこれまた徐々にフィットしてしまうわけです。
ここでふんばれば、いいのですけれど・・・。
去年はトライアスロン完走後、パタッとトレーニングをさぼり、今年はセンチュリーライド完走後、さっぱり運動していないという体たらく。せっかく春・夏とせっせとがんばったトレーニングの成果を無駄にしないように、今年こそキープしたいと意気込みだけはあるのですが・・・。
なんとか日常に「動くこと」を取り入れようと、自転車通勤を始めてみました。我が家からスピードチャンネルのスタジオまでは5km弱。20分くらいの距離です。たいした運動ではないけれど、塵もつもればなんとやら。
が、それすらも「今日は雨が降りそうだわ〜」とか「今日は飲み会だしぃ〜」とさぼりがち。しかもこれからどんどん寒くなっていくし、、、、「寒いからやーめよ」とあっさりくじける気配が濃厚です。
なんとかせねば。
そんなときに友人から「来年富士山のヒルクライムの大会に出てみない?」という誘い。
ヒルクライムというのは、ひたすら坂を上り続ける自転車のレースです。距離こそ24kmと短いですが、とにかくひたすら踏み続ける忍耐と脚力を要します。
上り坂、だいっきらい。。。
「苦手を克服すると、もっと走ることが楽しくなるよ。いろんなところが走れるよ」
という友人の殺し文句。
そっかあ、出てみようかな。
だんだんその気になってきた。
富士ヒルクライムは6月頭にあるらしい。ということは、衣替えの前にしっかり鍛えておかなければ上りきるのは難しそう。これを目指して冬もしっかりトレーニングすれば、今年はリバウンドせずにキープできるかもしれません。ふぅむ、やってみるかぁ。
というわけで、すでにリバウンドしはじめた体を再度鍛えようと気持ちもあらたにしている今日この頃です。
寒いのが苦手なみなさん!今年は一緒にがんばりましょう!!(って自分を励ましてる)
吉井さん、貴重なアドバイスをありがとうございます。吉井さんご夫妻をみならってしっかり主導権にぎれるようにがんばりまーす!ん?違う??
ホノルルセンチュリーライド
2008.10.1
ハワイイに来ています。といってもあと数時間後には成田に向かう飛行機に乗らなければならないのですが・・・。
以前コラムで出走表明をした『ホノルルセンチュリーライド』自転車での100マイル(160km)走に挑戦。おかげさまで完走することができました。予想以上にアップダウンは多く、急で長い登り坂では何度か心が折れそうになりましたが、自転車から降りることなく、なんとか踏み切ることができました。
今回参加させていただいた中野浩一さんのツアーには、いろいろな方がいらっしゃいました。
一年ほどまえから自転車にのりはじめ、滋賀のヒルクライムに出場。「坂なんかどこにあったかわからへんかった」とにこやかに笑うつわもの。 普段は仕事が忙しく休暇をとることもままならないのに、この日のために遅めの夏休みをとり、二年連続で参加した方。そして、かつてはロードレースをやっていたそうで、練習走行では『世界の中野』にぴったりマークで脚力をみせつけた方。
いずれもわたしよりも年配と思われるおじさまたち!すごいです。
微笑ましかったのは、二日前にハワイイで結婚式をあげたというカップル。自転車通勤をする奥様に影響されてご主人も自転車に乗り始めたんだとか。奥様はロードレーサーではなく、クロスバイクでしたが、なんと制限時間ぎりぎりの11時間近くかけて、ご主人と力を合わせて160kmを走り切ったのです。すばらしい。
打ち上げではお二人にレイのプレゼントのサプライズも。感激されていました。見ているこちらもとても微笑ましくて、感動してしまいました。
ちなみにご主人は加藤慎平選手にそっくり。「よく似ているといわれるんですけど、僕のほうが年上なので、慎平選手が僕に似ているんですよ」って、話し方や声までそっくりで、とても初対面とは思えぬ親近感が。このご夫婦、競輪もお好きだそうです。ダブルで嬉しくなっちゃいました。
ホノルルセンチュリーライド。走路の悪さや、交通規制や安全面の問題など、課題はあるものの、これからよりよい大会に発展することを願っています。
3000人を超す参加者がいろいろな思いで走ったハワイイの道。ハワイイの風を感じ、多くの人たちと「熱い思い」と「楽しい思い出」を共有できる素晴らしい160kmでした。
まもなく帰国します。
追悼、そしてありがとう
2008.9.17
最終日、一宮競輪場に行ってきました。
正門から入ってすぐのところに、不慮の事故で命を落とした内田慶選手の献花台がありました。花に囲まれた遺影を見て、やっぱり本当のことだったのだとあらためて思い知らされました。花を手向け手を合わせながら、それでもまだ「嘘にしてほしい」と思わずにはいられませんでした。
事故からずっと、すぐにぼんやりとしてしまいます。ほとんど何も手につかず、霞のかかったようなただ時間が流れていきました。
直前までともにすごした選手のみなさんの心痛は測り知れません。その中で闘い抜いた選手達の走りに、熱いものがこみ上げました。
特に準決勝の5つのレースはしびれました。これぞトップレーサーという走りだったと思います。一着権利の準決勝Bを勝って700勝を達成した神山雄一郎選手が敢闘門に引きあげるさいに、フレームに巻いてある喪章をずっと握り締めていたのが印象的でした。
優勝した伏見俊昭選手も、レース後「内田慶選手とずっと一緒に走っていた。ウイニングランのときもそのことばかりを考えていた」と語っていました。
大きな悲しみの中で、選手たちがみせた集中力と精神力に、本当の強さを教えられた気がします。
いつもきらきらした笑顔をみせてくれた内田慶選手。その瞳は笑顔以上に輝いていました。とても自転車が大好きで、競輪に対する情熱もなみなみならぬものがあったと。どんなときも最後まであきらめずにゴールをめざす勇姿。永遠に仲間たちの、そしてファンの皆さんの心の中で生き続けていきますね。
内田選手にがっかりされないように、競輪がより多くのファンの方に愛されるものになりますようにと願ってやみません。
そして、生前の内田選手のように、ここに在る自分を輝かせられるように、この瞬間をしっかり生きていこうとあらためて強く思いました。
優勝した伏見選手のあの言葉はすべての人の思いとつながっているのではないでしょうか。
内田慶選手、本当にどうもありがとう。
100マイルまで・・・
2008.9.3
9月です。
ここへ来て夏が戻ってきました。8月の終わりはあんなに涼しかったの
に。海
水浴もあきらめて、昼からビールを飲んで過ごしてしまったわたし
の休日を返し
てほしい。いや、それはそれで楽しかったのですが・・・。
さて、センチュリーライド挑戦までついにひと月をきりました。
練習しているようなしていないような、時間があってもお天気が悪かっ
たり、
そうこうしているうちに忙しくなってしまったり、なかなかコンスタント
には乗
り込めませんでしたが、長く乗るコツが少しだけつかめてきたよう
な気がします。
大事なのは「気持ち」と「ごはん」。
ペダルは気持ちで踏むものだから・・・お世話になっているショップのオ
ー
ナーの言葉。その意味がわかるようになってきました。
最近では80kmくらいなら、それほど苦にせず乗れるようになりました。
で
も、たとえば選んだ道がよくなかったり、気がかりなことがあったり、ちょ
っと
したことでもモチベーションが下がっていると、いつもより数倍ペダル
が重く感
じるのです。反対に、向かい風が強くても、気持ちが乗っている
ときはぐんぐん
踏めたり。
そして、もうひとつ忘れてならないのが燃料補給です。エンジンが脚だと
した
ら、ガソリンは食べ物。気をつけなくちゃいけないのは、ガソリンと違
って、入
れてもすぐにエネルギーにはなりません。おにぎりなどだと食べ
てから1時間く
らい、吸収のよいゼリー類でも30分くらいしないと燃えな
いそうです。「おな
かがへったあ」と思ったときにはすでに遅く、途端にび
っくりするほどへばって
きます。「お腹がすきそう」くらいのタイミングでこま
めにパクパク食べること
が大事みたい。
月末にひかえた本番を前に、ついに100kmオーバーライドに挑戦して
きまし
た。同行者はロードレーサーに乗り始めてまだ二年目なのに、富士
山ヒルクライ
ム(ひたすら坂を上るレース)と銚子センチュリーライドを完
走し、今ではすっ
かり自転車もばらせるほどの『本格派自転車乗り』にな
った友人。といってもス
ピード命で走るタイプではなく、「楽しく走る」を信
条にしているので、まさに
願ってもないコーチなのです。
選んでくれたのは埼玉県の秋ヶ瀬公園から森林公園までサイクリング
ロードを
ひた走り、一般道を経由して越生方面へ抜け、軽めの峠を越え
て戻ってくるコース。
目からうろこでした。
森林公園までのサイクリングロードは、途中二度ほど大きな道路を渡ら
なけれ
ばなりませんが、ほぼ完璧な自転車専用道路。おまけに景色もい
い!ペダルを漕
ぐのが楽しくなりました。
途中、車の往来の多い一般道では「びびり走り」で神経を使いましたが、
そこ
を抜けてたどりついた田舎道はトトロが出てきそうな場所。いつ来る
のかわから
ない電車を待っている単線と並んで走ったり、時折ふと薫る
金木犀に秋の気配を
感じたり、いつまでも走っていたくなるような道でし
た。
楽しい気持ちで踏んだペダルはくるくる回り、気がつけばメーターは12
8km。
100マイル=160kmまであと32km。
160km走破してからいくよりも、未知の32kmを残していったほうが楽
しいかもしれません。完走できるかな。今から早くもどきどきしています。
その
どきどきも楽しみながら、がんばりたいと思います。
がんばった、ニッポン!
2008.8.20
土曜の夜、焼きとん屋でホッピーを飲みながら、忙しく携帯電話でインターネット検索。カウンター越しに怪訝な顔をするお店のご主人。そして、ついに見つけました!『ケイリン 永井 銅メダル獲得』の文字を。
「おおおおおおーーーーーーーっ、永井選手がっ、銅メダルぅ!!!!」
せまい焼きとん屋にひびきわたる私の声。
そこからは大忙し。注文した焼きとんをせっせと口に運びながら、あちこちにメールをしたり、電話をかけたり、あげく、ニュースが気になってカウンターに落ち着いて座ってなどおられず、早々に帰宅。
民放各社をザッピングしながら、永井選手の登場をいまかいまかと待ち焦がれました。各局、ちらほらと結果は伝えられるものの、肝心のレース映像と永井選手がなかなか映りません。眠い目をこすりながら粘ること3時間、ようやく国営放送で決勝レースと永井選手のスタジオ出演を見ることができたのです。
永井選手のはにかみながらも充実した表情で話すインタビューをきっと多くの人が誇らしく思って見ていたに違いありません。悲願のケイリンでのメダルですものね。
永井選手は前回アテネオリンピックのときに直前で選考から外れ、出場できませんでした。気持ちがきれてしまったこともあったようです。でも、加藤慎平選手率いる闘心会の仲間の励ましや、フレデリック・マニエ監督からの「ナショナルチームにもどってこい」という言葉で、再びオリンピックを目指してここまで頑張ってきたと聞いています。
ついにケイリンで日本にメダルをもたらしてくれた永井選手、おめでとうございます。そして、私たちに歓喜と感動をありがとうございます。
そして、そのメダルの陰になくてはならなかったものが伏見俊昭選手の存在です。前回のアテネではケイリンに一人しか出場できませんでしたが、今回は、ワールドカップ、そして世界選手権のケイリンで伏見選手が戦ってきたその結果、ケイリンの出場枠を二つ獲得することができました。それがこの輝かしい銅メダルにつながりました。
引き続きロンドンを目指す渡邉一成選手や北津留翼選手、オリンピックに向けて多くの話題を提供し注目度を高めてくれた長塚智広選手、ポイントレースではベテラン飯島誠選手がこれまでのオリンピックで最高の8位入賞を果たしました。
マニエジャパンの歴史は始まったばかり。次のオリンピックでは自転車トラック競技がもっともっと注目されることを楽しみにしています!
がんばった、ニッポン!お疲れ様でした。
WWOOF
2008.8.6
嬉しい再会がありました。
以前、御蔵島でイルカのガイドをやっていた人で、ちょうどわたしが御蔵島に
半年間住み込んでいた年を最後に、彼女も島を出たと聞きました。イルカと遊ぶ
のが上手で、はじけるような笑顔が素敵な女性でした。結婚して、保母になり、
ご主人の実家がある奈良に戻ったということでした。
が、、、やっぱりね、、、大人しく落ち着いているとは思えなかったのです
が、案の定、ご主人と二人で一年半も海外を旅していたそうです。
「WWOOF(ウーフ)やねん」
てなんやねん。
WWOOF=Willing Workers On Organic Farms
「有機農場で働きたいと思っている人たち」という意味。
具体的には、労働力とひきかえに宿泊場所と食事を提供してもらうしくみで、
働く人たちをウーファー、受け入れる人をホストと呼ぶそうです。
海外だけではなく、どちらかというと国内が主流なんだとか。バックパッカー
のような若者たちが多いのかと思いきや、意外と中高年の方もいるようです。
ウーファーの目的は、今までにはなかった体験をしたい、なるべくお金をかけず
に旅をしたい、というものから、リタイヤして趣味で有機農業をやってみたいの
だけれどその勉強をしたい、とうものまでさまざま。
面白いですね〜。
観光ではなく、そこで働き生活することで見えてくるものってたくさんあります
ものね。
でも、国内ならともかく、海外で見ず知らずのお宅でいきなり働くって勇気がい
るよなあ。文化も違えば生活習慣も違うし、相手がどんな人かもわからずに寝泊りするんですものね。
ちなみに彼女たちも、ものすごい経験をしたようです。ホスト宅についたとたん
にホストの方がトラブルに巻き込まれ、生活苦になり、それを見捨てていくわけ
にも行かなくなって、運転手をしたり、わずかな収穫の野菜を町で売り歩いた
り、、、食べるものもなく、ひもじくて雑草を抜いてそれを食べたそうです。ま
さにサバイバル。
「いや〜、はじめての経験やったわ」
ってそりゃそうでしょ。
かつてライフラインがとまった経験のあるわたしでさえ、雑草を食べたことは
なかったもの。
そんな二人は先日帰国し、今は東京で新居をかまえました。
彼女たちにとっては、東京の雑踏の方がサバイバルで電車に乗るのもこわいとか。
そう話す変わらぬ笑顔にたくさんの元気をもらって帰ってきたのでした。
真夏の街道練習
2008.7.23
梅雨明け宣言を待たずに、とっくにはじまっていた今年の猛暑。外に出るとじっとしていても玉のような汗が出てきます。こんな日にはクーラーの効いた部屋でじっとしているに限・・・らないんだなぁ。
吉井さんはオートバイで風をきってツーリング。うらやましい〜。そういえば最近お目にかかっていませんが、その後は無事にお過ごしなのでしょうか?
さて、実はわたしもツーリングに行ってきました。といってもこちらは自転車です。
ひょんなはずみからトライアスロンに出てしまい、へろんへろんになりながら、ワースト4で歓喜のゴールテープを切ったのがちょうど一年前。
「もうつらいことはやめよう。残りの人生は無駄な汗を流さず、休みの日は昼ビールで、ゆる〜く、らくに楽しもう!」
と、悟りをひらいたはずだったのですが・・・
今度はうっかりセンチュリーライドに出ることになってしまったのです。
私が出ようとしているのはホノルルの大会で、いわゆるレースではなく「みんなで自転車を楽しみましょう!」というアットホームな雰囲気のもの。コースも20マイル(32km)から、いろいろあります。最初は、40マイル(64km)くらいのものにでも出場しようと安易に考えていたのですが・・・
「どうせでるなら100マイルでしょ、もちろん!」 といわれ、つい「そ、そうですね」と。
100マイル=160kmです。
無理。出るといってしまった自分を罵り、後悔しております。
でもねぇ、乗りかかった船ならぬ自転車、こうなったら行けるところまで行ってみますか。
というわけで、まずは吉井師匠とともに走った思い出のフラワーラインに再び出向き、私の中では未知の80kmに挑んでまいりました。
海沿いは景色もよく、車も少なくて、ポタリングならさぞかし楽しいだろうなあ!という道。実際には、ポタリングとさして変わらないようなスピードなんですけど、それでもかなり必死。とくに70km過ぎた辺りから、太腿が急激に痛くなってきました。「むむ、乳酸め、きよったな!」
ちょうどそのとき、背後から高校生くらいのさわやかな青年が「こんにちは」と挨拶をしながら、まさに風のようにわたしを抜き去っていったのです。どこかのユニホームっぽい練習着。こんな炎天下に、ひとりで練習?もしかして、競輪選手をめざしている若人かもしれません。そう思ったらなんだか嬉しくなってしまって、「こんにひわぁ〜(こんにちは)」と空元気をふりしぼって答え、ペダルを回す太腿に力が漲りはじめた・・・のは気のせいだったようで、瞬く間に彼は見えなくなってしまいました。
6時半頃にホテルを出発し、館山と和田の二つのフラワーラインを走り、野島崎灯台のふもとで海鮮丼をたらふく食べ、海の幸を満喫。途中休憩を入れながら82kmを走破し、ホテルにもどったのが12時頃。実質走行時間は3時間45分弱でしたが、休みすぎ。とくに『海鮮丼』所要時間が長かったようです。反省。
しかし、本番はこれの倍の距離だと思うと意識が遠のきそう。
伝説の200kmロード練習をしていた滝澤正光さんの偉大さを身をもって感じたのであります。
そういえば、海老根恵太選手も選手を目指した当初、毎日館山まで往復して200kmを乗り込んだって言ってたなあ。すごい、すごすぎる。。。
真夏の街道練習はまだまだ続く・・・予定です。
ちなみにこの日の午後は、たっぷりプールサイドでビール、夕方はお散歩ついでに浜辺でビール、と燃料補給もおこたらないのでありました。
競輪の神様
2008.7.9
第17回寛仁親王牌は山崎芳仁選手の優勝でした。
G1のときにはいつも、バンク内での優勝インタビュー・表彰式が終わると共同記者会見が開かれます。さらにそのあと、各番組や雑誌ごとにインタビューをとらせてもらいます。優勝選手はそう簡単に帰してはもらえないのです。
今回優勝した山崎選手は車で来ていたので大丈夫でしたが、飛行機や新幹線の時間がギリギリで大慌てになったり、ということもよくあります。
はじめてタイトルをとった選手は、そのインタビューの多さに戸惑うことも多いようですが、山崎選手はさすが慣れたもの。しっかりとした語り口で、次々とインタビュアーの質問に答えていきます。
わたしもスピードチャンネルのニュース&トピックス用のインタビューでスタンバイ。
山崎選手がこんなことを言っていました。
「自分は競輪の神様に助けられれていると思います」って。
ちょっと意外でした。力で押し切り、他をねじふせ、まさに自分の力で勝利をつかみとっているというイメージが強かったですから。
「いや、べつになにか宗教をやってるわけじゃなくて」と笑ってましたけど。
でも、そういう神様ってたしかにいるなって思うのです。
自分の中の神様っていうのかな。
きっとすべての人にちゃんとついていてくれて、でもその力を発揮してもらうためには何かが必要なんですよね。それが山崎選手のよくいう「無心」なのでしょうか。自分がやってきたことを信じて、あとは無心でそれに臨む・・・これが本当はすごく難しいですよね。
逆にいうと無心になれるほど自信が持てるだけのことをしっかりとやっている、ということでもありますよね。
中年期に入り、これからの人生をどうしていこうか、なーんて、ビール片手に真剣に(そもそもそれが不謹慎?)考えることも多くなった今日この頃。今回の山崎選手の言葉に大きなヒントをもらったような気がしました。
山崎選手、ここまで四つのタイトルをとっていますが、どれも違うタイトル。しかも、今回はご本人がはっきり苦手とおっしゃっているバンクでのタイトル。「ラインがあればこその優勝でした」と。
そういうところで獲れるというのが山崎選手のすごさです。グランドスラム、見えてきましたね。
6月をもって引退された福島の名伯楽・添田広福さんも、頼もしい弟子の活躍を喜んでいらっしゃるでしょうね。
さて、初日好スタートをきったわたしの親王牌車券勝負。徐々に失速し、最終日にはポテンヒットがあったものの、いつものように振り切られてジ・エンド。欲に目がくらんでいるからかなあ・・・なかなか車券の神様は振り向いてくれないようです。
湘南バンクでラストラン
2008.6.25
「ビール片手に競輪三昧」
平塚ナイター“湘南ミルキーウェイレース”のキャッチコピーです。
今年もまた湘南バンクのナイター開催が始まりました。
競輪通のおじさまたちはじめ、カップル、若者、家族連れ、とにかく平塚ナイターは客層が幅広いのです。
今年最初の開催、最終日は土曜日ということもあって、場内は賑わっていました。
開門して間もなく、場内には花束を手にした人たちの姿が・・・。
実はこの日は、平塚をホームバンクにする神奈川の木内隆哉さんのラストラン。
数年前、落車で頸椎を損傷。カムバックが危ぶまれるほどの大怪我でしたが、
「自分が納得できるまでがんばりたい、もう一度S級に復帰したい」
怪我と闘いながら走り続けてきました。
しかし、今年に入ってから、このシリーズで引退しようと決意したのだそうです。
どんなに気持ちを強く持っていても、
必ずしも体がついてくるわけではなく、
心技体が充実している時間というのは、
個人差はあるにせよ、決して長くはありません。
そのすべてにおいて高いポテンシャルを求められるのがプロアスリート。
厳しい世界です。
しかも、それがギャンブルレーサーならなおさらだと思うのです。
バンクで走り続けたい思い・・・
それをたちきる決意・・・
木内さんとは、数年前にイベントでご一緒したのをきっかけに、現場で会うといろいろな話しをするようになりました。
とても面倒見の良い方で、周りへの気遣いも細やか。でも弟子たちには厳しく指導することもあったようです。とくに、競輪に関してのメンタル的な部分では妥協してほしくないという熱い想い=木内イズムを持っていました。
ラストランはそんな弟子たちと、選手仲間、そしてたくさんのファンの方に見送られて、一着でした。
これまでいろいろな方の引退をみてきましたが、最後に一着をとれることはめったにありません。有終の美を飾れたのは本当に素晴らしいことだと思います。
「選手をやめても熱いハートだけは持ち続けてがんばっていきます」と話してくれた木内さん。
20年間の現役生活本当におつかれさまでした。
第二の人生も、優しさとガッツでがんばってくださいね!
タトゥの心は母心
2008.6.11
もうすぐ夏・・・。愛しい海の季節がすぐそこまでやってきています。
仕事以外のときにはほとんどお化粧をしないわたし。ただひとつ、肌身離さず持ち歩いているのは『アイブロウ(眉毛を描くもの)』です。元の眉毛が下がり気味で、情けない顔になるので、いつも半分くらい剃って、のこりはアイブロウで描いています。でも、夏はたいへん。海に入らずとも、「汗とともに去りぬ」・・・気がつくと、まろ眉になっていたり、ところどころ眉毛が切れていたり・・・格好悪いことに。
問題解決には流行の眉毛タトゥしかないかしら。でもなあ、痛いっていうしなあ。
ちょうどそんなときでした。
「ねーねー、みてみて!」と自慢そうな母。「これ、眉毛のたと〜、やっちゃったあ!」
「たと〜? タトゥ〜ね、えっ? アートメイク、やったの?」
母の古くからの友人が、アートメイクを勉強して仕事でやりだしたそうなのです。
「ねー、あんたもやったら〜?」
「えーっ、だって痛いんでしょ?」
「だいじょーぶよぉ。ちょっとチクッてするぐらいよぉ」
しかも、母の部屋で出張サービスをしてくれると言うのです。
・・・・そ、そんなに言うなら・・・・
そして迎えた運命の日。母のベッドに横たわるわたし。ニヤリとしながら針を手に持つ母の友人。
「はいります!」
ブスッ
「いっ、いっ、いったぁ〜いっ!!!!!」
「はいはい、そりゃ痛いわよ」
「ま、麻酔とかないわけ?」
「ない」
正確には、今日はない、ということらしい・・・。
「も、もういいです」
「まだまだっ!あと三刺し!!」
ブスブスブスッ、、、嘘つき、20回くらい刺してる。
ヘタに動いて変なところを刺されたら困るから、なんとか顔は動かさないようにしながらも首から下はのたうち、暴れるわたし。
「もう、だめ〜」
「43歳にもなってなにジタバタしているの、はいあと少し!!」
ブスブスブスッ、、、43歳にもなってって、そういう問題なのか。
「終ったら冷やし中華作ってあげるからね〜」とケタケタ笑う母。
もしかして、これは日ごろ不義理にしている娘への復讐なのだろうか。
耐えることおよそ30分。わたしの顔には汗にも水にも負けない、美しい眉毛が誕生したのでありました。
「あらいいじゃない、ばっちりよ。ときどき眉毛が消えてたもんねえ。泳いでも酔っ払っても大丈夫!よかったわね。それにしても痛いわよね。わたしもそうだったんだけど、それを言ったらあんたやらないっていうだろうから。まっ、結果よければすべてよし、よね。ほほほ」
恐るべし、母の愛。
解毒
2008.5.28 館山に来ています。
二年前、このコラムの企画でダービー王とともにフラワーラインを走って以来、久しぶりです。
今回の同行者はハワイ在住の親子。母は生粋の日本人、身長155センチ。娘は父親似のハーフ、身長180センチ。どこにいてもすぐわかる、目立つのです。とりわけ母が元気!わたしより少しだけお姉さんなのですが、いつだって前向きで、テンション高め。ここ数年風邪もひかず、肩こり腰痛もなし。心身ともにとびきり健康。
それもそのはず、彼女は自他共に認める健康オタク。ハワイで暮らしながらも、伝統的な日本の健康法を中心に、食事や生活などかなりのこだわりを持っています。
その彼女が大絶賛しているのが『びわ』。
「とくに種にはね、アミグラリンというのが含まれていてね、これを漬けたエキスは飲んでよし、塗ってよし、とにかく万能薬なのよ!」
以前は日本の友人からかきあつめたびわの種でびわ酒を作ったりしていましたが、今では、どこから見つけてきたのか、ハワイで苗を購入し、自宅の庭にびわを植えるほど。
「ひさしぶりの日本だから、ハワイではできないことを楽しみたいわ〜」
というリクエストにお応えして、『いざ、びわ狩り』をしに館山にやってきたのです。
宿泊先は最近はやりの温泉付きリゾートホテル。エステや岩盤浴もあり、今回のプランには最適です。
「健康のためにはね、やっぱり徹底したデトックスが大事なのよ。解毒につきるわよ」
たしかに解毒しなくちゃならないものが体の中にはたくさんありそうだわ。たとえば昨日の焼酎とか。
実は岩盤浴は初体験。低温サウナのような部屋にある、あたためられた石の上にバスタオルを敷いてその上に横になります。
娘、タオルから足がはみ出ている・・・。
五分もしないうちにじんわりと汗が出始め、なかなかいい感じ。20分ほどで出ようとするわたしに
「あまい、あと10分!」
さすが解毒の先輩。
幸いわたしたち三人しかいなかったので、ぺちゃくちゃおしゃべりをしながら、さらに汗を出し、すっきりさわやか。
もちろん体から毒素を出したあとは、そのスペースに新鮮なビールをたっぷりと入れて、ぐっすり眠ったのです。
くせになりそうだわ、解毒。
新番組
2008.5.14
朝が苦手なわたし。
仕事がなければ、お昼くらいまで平気で寝てしまいます。決して夜型というわけではなく、早寝遅起きなのです。睡眠12時間でやっと「良く寝たかなあ」とい具合。でも、実はたのもしい目覚ましが・・・。フジテレビで7時50分頃に放送になる『今日のわんこ』。毎朝わんこ見たさに必死の思いで起きるのです。
そのあとはワイドショーをはしごしながら、ざっくりと世の中の流れをつかみ、スピードチャンネルに変えるというのがいつものパターン。最近はすっかり流行の民放テレビ番組にはうとくて、人気上昇中のタレントを知らず、顰蹙を買うこともしばしばです。
そんなわたしが毎週欠かさずに見ている番組が二つあります。『ポチたま』と『ごくせん』です。とくに『ごくせん』は最初のシリーズから一話もかかしたことがありません。
「うっ、結構くさくてくだらない番組」
というのが率直な印象で、自分で見ながら言うのもなんですが、こんなに人気が出るとは思っていませんでした。
今や高視聴率No.1ドラマ。あの大河ドラマを上回ったとか。
その秘密はいつでも同じセリフまわしで、ある意味安心できるキャストの皆さんの熱演と、水戸黄門のような勧善懲悪のわかりやすさと、決して視聴者を裏切らない、つまり意外な展開がないことかもしれません。
主人公が「わたしはこいつらの担任の先生だよ」というあのシーンは、助さん格さんが印籠を出して「ひかえおろ〜」とやるのと良く似てて、「ああこれで悪い人たちはやっつけられちゃうのね」となるわけですが、わかっていてもわくわくして、「いいぞ、やんくみ、がんばれ!」とテレビに向かって応援してしまいます。
やっぱりわかりやすいのが一番です。
最後はとにかくハッピーエンドがいいのです。
やんくみが人気になるのだから世の中まだまだ捨てたものではないと、妙に感心している今日この頃です。
そんな中、自局の宣伝で申し訳ないのですが、スピードチャンネルの新番組で『ごめんください ヒデさんです』が始まりました。吉井さんの親方姿、似合ってましたね〜。みなさんもうご覧になりましたか?
こちらもごくせんに負けずおとらず、わかりやすくて実に面白い。ただ、残念ながら必ずしもハッピーエンドではないようですが、今後の展開を楽しみに見たいと思っています。
それにしても、どうしてもつい『ごめんなすって ヒデさんです』って言っちゃうだよなあ。「仁義きってるんじゃねえんだから」と怒られそうですが、そっちも似合うと思うんだけどなあ。
ながーい道のり
2008.4.30
武雄競輪場に行ってきました。
これまでは東京からの中継だったので現地は初めて。
緑が多く、空が広くて・・・新緑の風が心地よかったです。
憧れていた樹齢三千年を越す大楠を見てきました。
見事、という以上に畏敬の念を感じました。
三千年、悠久の時を生き続けてきた生命と対峙すると
なんと自分は小さい存在なのかと思うのです。
人の命は短いなあ。
だからこそ、時にじたばたあがきながら
短い時間に何かをやろうと頑張りたくなるんだよなあ。
競輪の仕事をしていると、強くなろうともがく人、アクシデントに負けずに立ち上がろうとする人、頂上にたつために歯を食いしばる人、、、そんな選手たちの姿を身近に感じ、常に刺激をもらいます。
前回書いたすごい中年たちの影響もあって・・・
久しぶりに私も大汗かいてじたばたしてみたくなりました。
トライアスロン挑戦から早9ヶ月。
休養も体脂肪もたっぷり蓄えましたので
このへんでまた始動しようと考えています。
今回の目標はセンチュリーライド100マイル。
ロードレーサーでの160km走破です。
そんなわけで先日、ひさしぶりに土手で街道?練習。40kmほどのっただけで・・・おしりいた〜い。
本番はこの四倍だと思うと、気が遠くなりそう・・・。
まずは持久力アップとおしりの強化が課題かも。
いや、そのまえにサドルを変えてみようかな。
フラワーライン合宿でお世話になった師匠・吉井さんいわく
「長距離は理屈じゃないから、とにかくのることだなあ」
と。はい、ダービー王の言葉は重みがあります。
なかなか思うように時間がとれず、それだけによけいにじたばたしそうですが、そんなあれこれも楽しみながら、がんばってみたいと思います。
それにしても、滝澤正光選手はかつて毎日200kmもの街道練習をこなしていたとか。日々センチュリーライド以上!すごすぎます!!
偉大なレーサーはこうした長く苦しい道のりによって誕生したのですね。
<すごい中年たち>
2008.4.16
このところ、あらゆるスポーツでベテランの活躍が目立っています。
競輪界では40歳の紫原政文選手の大躍進。
テニスでは12年ぶりに現役復帰を発表した伊達公子さん。
そして野球では1000日ぶりにメジャー復帰をなしとげた野茂英雄投手。
すごいなあ。
これは中年世代のきら星ですよね。
30代後半からの衰えの加速はいっきにすすみ、維持するだけで大変。そこから上積みをつくるのは並大抵のことではないと素人ながらに身を持って実感。進化しつづける38歳の小嶋敬二選手など、まさにモンスターです。
しかも数日、数ヶ月ではなく、数年のブランクを経て第一線に戻るということは奇跡のようなことだとすら思えます。
そんな中、日本の女子フリーダイビングの第一人者である松元恵さんが、先日バハマで行われた大会の三種目で日本記録を更新したという知らせが届きました。
松元さんとは少し面識があります。
正確な年齢はわかりませんが、わたしより先輩ですので40代半ばであることは間違いありません。
体調面がすぐれず、二年間のスランプを経てのトップ返り咲きでした。
すごいなあ。
本来ならば男性以上に、女性は年齢的なさまざまな支障が出てきます。
それを克服するって本当にすごい。
とくにフリーダイビングは精神と肉体を極限においこまなければいけない
競技・・・ある意味解脱が必要というか・・・。
これは大きな大きな励みになりました。
単純な私は自分の体力も省みずまたもや分不相応な計画を企てようとしています。
そのお話はまたこんど。
マンチェスターに行ってきました
2008.4.2
2008世界自転車選手権トラック。オリンピックイヤーということもあり、今回はほぼすべての競技をスピードチャンネルでライブ中継しました。
とにかくびっくりしたのが女子のレベルの高さです。ハロンで11秒をきる選手もいます。スプリントもケイリンも、好勝負ばかり。250mの室内バンクということもあるのでしょうが、ものすごい迫力です。
男子ではとにかくクリス・ホイ選手の強さが際立っていました。日本の国際競輪にも来ていましたよね。そのときの印象とは随分ちがっていましたが、自国開催ということも追い風になっているのでしょうが、むちゃくちゃ強い。今回はスプリントとケイリンで二冠。とくにケイリンは向かうところ敵なしといった感じです。
アジアでは中国やマレーシアが強くなってきたみたいです。中国女子はスプリントやケイリンでも上位に食い込んでいます。お隣の国が強くなっているということは、日本もがんばれば将来その可能性があるのではと期待してしまいます。
その日本も伏見俊昭選手が競輪で5年ぶりの決勝進出を果たし5位入賞するなど、北京オリンピックへ向けて楽しみが増えました!
さて、噂には聞いていましたがイギリスは青空が少ない!だいたいいつも曇り空で、小雨が降っています。到着した日とその翌日は冷え込みも厳しくて雪でした。
ただ、現地の人は年中そんな天気なので面倒くさがって傘をささないそうです。たしかに雨の中、街で傘をさしている人はほとんど見かけませんでした。競技場にくる人も、ちょっと気になるときはパーカーのフードをかぶるくらいで、雨などまったく気にしない様子。
「郷に入っては郷に従え」
結局私も、スーツケースに入れた傘は一回も使わないままでした。もっとも、移動はすべてスタッフの人が運転するレンタカーでしたけれど。
そのまま青空を見ずに帰国することになるかと思ったのですが、観光せずに仕事に専念していたご褒美か・・・最終日は朝から晴れ。通訳をしてくれていたマンチェスターの大学院に通う学生さんも「こんな日は珍しいですよ」と。
折りしも、お天気に誘われたわけではないのでしょうが、スタッフの人が高速道路の出口を間違えてしまい、そのあとしばらく出口がなくて延々と広野を走る羽目に。もどるときは下道になってしまったので、雄大な景色をみながら束の間ドライブを楽しむことができました。曇り空のときはあまり気づきませんでしたが、晴れているときにあらためて見ると、とても景色の良い美しい場所でした。
一般道路で普通に乗馬をしている人がいたり、ピーター・ラビットのような可愛らしい野うさぎがすぐ近くを跳ねていたり、ロードレーサーにのって風の強い坂道をもがいている?人も結構多かったなあ。
そうそう、街の何箇所かで桜も見ましたよ。
イギリス勢の大躍進もあって連日場内は大盛況。いつの日か、こんな光景を日本でも見たいと切に思いながら帰国の途についたのでありました。
しばらくは日本の桜と日本食を堪能しよっと。
バンバンで万々歳!?
2008.3.19
静岡に来ています。四年ぶりの駿府ダービーが開幕しました。
前回の駿府ダービー優勝は伏見俊昭選手。今年と同じくオリンピックイヤーでした。ダービーを制し、そのあとのオリンピックで銀メダルをとったんですよね。
その前は神山雄一郎選手がグランドスラムを達成。世代交代を象徴するように、初代グランドスラマー井上茂徳さんが引退されました。
ダービーにはドラマがあるなあ。
私がダービーを初めて見たのは1997年の第50回大会です。そう考えるとまだまだひよっこ。競輪歴数十年の方々に比べたら小学生のようなものです。
競輪用語にはずいぶん詳しくなったつもりだったけど、つい先日新しい言葉を覚えました。
バンバン。
二番手同士の車券の組み合わせ。
実は先週、スピードチャンネルのニュース&トピックス『ダービー直前情報』に静岡で予想屋をされている競輪コンサルタントの方にご出演いただきました。バンクを熟知している方のコメントは説得力ばっちり。
静岡バンクは風の影響もあって、先行選手が残りそうで残らない。
「車券の狙いはバンバンです」
バンバン・・・番手と番手・・・なるほど・・・。
この言葉の響きがなんだか楽しくて、「静岡はバンバン」とあちらこちらで云い回ってきました。
実際、ダービー初日、バンバン車券が二レース出て中穴配当に。
「とった、とった。バンバン!」
友人からのメール。おおっ、よかった。って人のことを喜んでいる場合ではありません。私もバンバンをバンバン当てて、しっかり儲けてみたいと思います。
ところで、元ダービー王、現競輪活動家の吉井さんの活動資金集めはどうなのかなあ?
卒業の季節
2008.3.5
風がゆるんできました。ようやく首をすくめずに鼻歌交じりで歩けるようになりました。
三月といえば卒業式。
新しい生活がスタートすることへの期待と、友達をはじめ、それまで馴染んださまざまなものたちとの別れの淋しさ。春のやわらかさが余計に切なさをつのらせたりして。
♪春なのにぃ〜 おわかーれですねぇ〜
花粉よけのマスクの中で、思い出をめぐらせながら口ずさんでしまうのです。
出てくるのは懐メロばかり。
♪制服のぉ〜 胸のボタンを〜
そういえば、私も中学のとき、憧れの先輩に制服のボタンをもらったなぁ。
もちろん、しっかり第二ボタンです!こういうときに頼りになるのは友達ですね。引っ張られるようにして先輩の教室にいき、「ボタンください」と言ってくれたのは友達でした。
あのときの心臓が飛び出るほどのドキドキと、ボタンをもらった嬉しさは忘れられません。ふふ、私って結構純情だったわ。
私の中学は、私達が一年生になるときに出来た新しい学校でした。当時、制服の王道は学ランとセーラー服だったのですが、従来のものとは変えようということで、男女ともにブレザーとネクタイになりました。
中学生になったらセーラー服が着られると思っていた私はがっかり。別の中学に通う友達がうらやましくて仕方ありませんでした。
男子も、おなじように学ランにあこがれていた人が多かったようです。
先輩たちは他の学校から移ってきているので制服はそのまま。だから余計に学ラン姿がかっこよく見えちゃったのかもしれないなぁ。
ちなみに高校は私服だったので、結局セーラー服を着る機会はありませんでした。
最近は制服の主流がブレザーになったようですね。学ランもセーラー服もめったに見かけなくなりました。なんだか寂しい気がします。
さて、ブレザーに坊主頭といえば・・・そう、競輪学校です。
第94回生卒業記念レースが今月25、26日に行われます。一年間の厳しい訓練を経て、ありったけの思いをこめてバンクで走る生徒。大声援を送る家族や師匠、先輩たち。卒業記念レースは感動がいっぱいです。
今回私は別の仕事のため見に行けないのですが、お時間のある方はぜひ!ちょうど静岡でのダービー直後ですから、応援に駆けつけるトップレーサーたちの姿も見られるかもしれませんね。
今こそ温泉
2008.2.20
もうすぐ東西王座戦。現地から中継します。
別府競輪場ははじめてです。楽しみだなぁ!
今年は東京を離れることが多く、二ケ月足らずのうちにずいぶん飛行機に乗りました。チケットの手配はインターネットでポチッ。すでに情報が登録されているのでただポチッ、ポチッと押しているだけであっという間に手続き完了。
アナログの名残のある私は、こんなんで本当に大丈夫なんだろうかと毎回空港でドキドキしながらチェックイン。いまのところトラブルは一回もなし。すごい世の中になりました。おまけに最近はおサイフ携帯でシャリ〜ンですから。
どんどん便利になっていく世の中。
宅配産業も盛んになっていて、最近はびっくりするようなサービスがあるそうです。
ちょっと前からお掃除サービスというのはありましたが、今は洗濯サービスが人気上昇中。指定されたバッグにつめるだけつめて、ほいっと預けると、洗濯・乾燥・折りたたみまでして届けてくれるんだとか。ただし「消毒が必要なものはご遠慮ください」だそうです。これに下着などは含まれるのか、なんて変に気を揉んでしまいます。
こういうのが流行るっていうのはちょっとどうかと思う私は、やっぱりどこか古い人間なんだろうなぁ。
ボードの上に乗って疑似体験するゲームなんかも、あれで満足してしまって、風や本物の音を感じずにすんでしまう人が増えてしまうのがちょっと怖いと思ってしまうのです。
便利さ手軽さと脆さは紙一重なのかも。
そんな中、いつの世も変わらず人を癒し続けるのが温泉。
『山は富士 海は瀬戸内 湯は別府』
東西王座でリアルな熱い戦いを満喫し、名実ともに世界一の誉れの高い別府温泉でこれまた「あっちっち」の地球の息吹を体感しようではありませんか!
いざ、別府へ。
失われた記憶
2008.2.6
かれこれ一昔半ほど前、若気の至りという言葉がまだ私に許された頃のことです。
ある夏の暑い日、私の誕生祝いにかこつけて仲間が集合。ぐびーっと気持ちよくビールを何杯かいただいたあと、当時流行っていたアルコール度数の高いガツンと効くバーボンをこくこく飲み、かなり仕上がった頃に、調子に乗ってそれじゃぁもう一軒!とはしご酒。
こともあろうか次の店でどぶろくをすすめられ、強烈なちゃんぽん。夜がふける頃にパタッと記憶を失ったことがあります。
気がつけば我が家の玄関。
靴を履いたまま朝を迎えていました。
飲んで記憶を失くしたのは初めてでした。そのときのショックと喪失感はとても筆には表せません。スポッと頭から切り取られた空白の数時間。何がどうしてどうなったのか、私は人様に迷惑をかけなかっただろうか、醜態をさらさなかっただろうか、体中の血がゴォーッと流れ、必死に記憶を呼び戻そうとするものの、まるで手がかりなし。おそるおそる一緒に飲んでいた友人数人に電話をかけて事情聴取。どうやら家の前までタクシーで帰ってきて、車中の友人に「それじゃぁね」とにこやかに手を振ってマンションの入り口に入っていったとの証言を得てひと安心。
これを教訓に無茶な飲み方はするまい、と固く心に誓ったのです。
時は流れて不惑を過ぎ、最近は無茶をせずともときどき途中から記憶が怪しかったり、うっかりすると寝てしまうことがあります。これはまずい。おおいに不安を感じる今日この頃。
が、私だけではなかった、のです。
「あれ? わたし、なんでゆみんちにいるの?」
我が家で目覚めた友人の第一声。
前夜、女四人でかしましさを通り越してにぎにぎしく閉店まで粘り、気がつけばすっかり終電もなし。遠くに住んでいる友人をうちに泊めることにし、酔った勢いで女二人、腕など組みながら仲良く我が家へ。布団を見たとたん、そこに倒れこみ彼女は寝息を立てていました。まるで記憶にないらしい。
一方、残った二人組はらーめんを食べるの食べないのと騒いだ末に美容を優先してそれぞれの家におとなしく帰宅・・・したはずでした。
ところが翌日、そのうちの一人が神妙な声で告白。
「なくなってたの、カップラーメン」
家を出るまではたしかに台所においてあったという二つのカップラーメン。ひとつは蓋が開いたまま放置され、「食べたい、でもやめよう」と葛藤した痕跡があるとのこと。ところが、もうひとつのカップラーメンがそっくりそのまま無くなっているというのです。どこを探してもない、もちろんゴミ箱にも。まさか食べたあとで殻を外に放り投げたわけでもあるまいし・・・。
失われた記憶とカップラーメンはどこに行ってしまったのか。謎は深まるばかり。
酒は飲んでも飲まれるな。わかっちゃいるけどやめられない。
よかった。みんな似たりよったりね。なんだかほっとしたわ。
こうして愛しき友人たちとの『懲りない飲み会』は繰り返されてゆくのです。
成人式に思う
2008.1.23
今年はお正月の高松に始まって、先週は玉野、そして明日から小倉と遠征が続いています。
その間にマイルで沖縄逃亡をしたりして・・・今年に入ってから家で寝たのは数えるほど。
張り切って飾った鏡餅も開かずじまいですっかり忘れていました。鏡餅といっても、実は鏡餅の形をしたパックのなかに真空パックの切り餅がはいっている「なんちゃってもの」でしたが、ようやく中を開けてお雑煮に。でも、これぞまさに鏡開き、です。
一月はいろいろとおめでたい行事も多いですが、ちょうど沖縄に行っていたときに成人式がありました。沖縄の成人式は毎年のように騒ぎになってニュースでとりあげられますが、今年はどうだったんでしょう?実は、私がいたのは沖縄でも本島から船で二時間ほど離れたところにある座間味という島。毎年冬にザトウクジラが帰ってくる綺麗な海に囲まれた、長閑な島です。同じ沖縄でも本島とはまるで違う時間が流れています。お世話になった宿にはテレビがなくて、新聞もなかったので、滞在中はニュースを見ずにすごしていたのです。成人式のこともすっかり忘れていました。
宿の近くのお弁当屋さんの店先にテーブルがあって、そこで沖縄そばとオリオンビールを注文してのんびりしていたら、エイサーの太鼓の音が・・・。なんだなんだ、と音につられていってみると、公民館のようなところで成人式が行われていました。座間味と近隣の島の若者たち、全部併せても20人もいなかったかな。舞台でエイサーを披露する子供たちに笑顔で拍手を送っていました。
いいなぁ、こういう成人式。
一緒にずっと見ていたかったけど、よそ者がお邪魔してはいけない気がして、そっと会場をあとにしました。
私の両親は新潟出身ですが、私は埼玉で生まれ、その後埼玉と東京を転々としましたので、故郷というものがありません。20歳のときに住んでいたところから成人式の通知は来ましたが、地元ではないので参加せず、記念に振袖だけ着て飲みに行ったのを覚えています。
気がつけばもうふた昔以上も前だわ。
外回りは確実に20余年分の経過が刻まれていますが、なんだか中身はあまり成長してないかもしれないなぁ・・・。気持ちに体が置いていかれないように、若者と飲みにいける体力だけは持ち続けたいと決意も新たにしている今日この頃でございます。
今年のテーマ
2008.1.9
明けましておめでとうございます。
バンクでは2008年の戦いがスタートしていますが・・・吉井さんも早くもGPでの勝利をめざして新年のスタートを切ったようですね。今年も悲喜こもごもの車券勝負で楽しませてくれそうですね。この一年は“喜”の方が多くなるように、陰ながらお祈り申し上げます。
かくゆう私は・・・おかげさまでGPの車券を獲らせていただきました!めったにないことなので自慢しちゃおう。今年の競輪界をリードした小嶋選手と山崎選手の二点を本線に、「伏見選手なら山崎選手を抜けるかも!」というMr.競輪や鬼脚の見解を参考にして伏見選手から流しました。しかも枠単。これがつきました。単枠のときによくある逆転現象。二車単よりも配当がいいのです。これはきっと2008年はいいことありそう!!と新年への期待に胸をふくらませたのでした。
GP熱でのぼせた頭のまま紅白を見て、カップそばで年越し。元旦から出張で高松へ。空港から競輪場へ向かうタクシーの中で、ダッシュボードにかざってある小さな鏡餅を見て、かすかにお正月気分。
と同時に、「そういえばかろうじて部屋に鏡餅を飾っただけで、今年はなにもしなかったなぁ。正月のお飾り手抜きだなぁ」となんだかざわざわ胸騒ぎ。とくにしめ飾りには災いを防ぐと同時に旧年中の邪悪や不浄を清めるという意味もあるそうで、邪念と煩悩だらけのわが身を振り返り、いまさらながら飾ればよかったと大いに反省。
しかし一晩寝ればそんなこともすっかり忘れて元気に中継スタート。
開催初日、これは!と思ったレースをひとレースだけ勝負して運だめし。これが見事に的中。今年は早々からブレイクだわっ、と低い鼻が天まで届きそうな勢い。
ところが、すっかり気が大きくなってしまった私は残りの二日間で、清算していただいた交通費はどこにいったのかわからなくなるほどに撃沈。手元に飛行機のチケットがあってよかった。あとはスイカで帰れるわ、と考えながら、思わず吉井さんの顔が頭に浮かんだのでした。
やっぱりお正月飾りのばちがあたったのかなぁ。年を越しても煩悩まみれだもんなぁ。
ひとつの勝利に浮かれずに、奢ることなかれ。
何事も謙虚に。
今年はこれをテーマに日々精進してまいりたいと思います。2008年もどうぞよろしくお願いいたします!
皆様にとって『大当たり』続出の楽しい一年になりますように☆
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