待ってました!!
2006.12.27
ハァ〜。ようやくXmasが終わりましたねぇ。なんだかちょっとホッとしています。
11月に入った途端に街のあちこちでXmasソングが流れ始め、二ヶ月近くも聞かされればいい加減飽きちゃいます。それでも11月中は心なしか控えめだったのに、12月に入ったら“自信をもって大音量!”でガンガン。マライヤ・キャリーもワムも山下達郎も、大好きなジョン・レノンでさえも、もう当分聞きたくない気分。イルミネーションのピッカピッカも手伝って
「浮かれなさ〜い。出かけなさ〜い。買い物しなさ〜い」
悪魔の消費三段活用のささやき。
SPEEDチャンネルがある東京ドームシティはカップルの巣窟と化し、どこも人で溢れかえり、仕事の後のお楽しみビールすら飲んで帰れない有様。“負け犬の遠吠え”だと言われても、
「お願い私にビールを飲ませて」
あっ、ちがう・・・
「お願いXmasよ早く終わって」
と願ってしまうのでした。
明けて26日、スーパーに行ったらXmasグッズにとってかわってお正月用品が勢ぞろい!昨日の晩は入れ替えで店員さんたちはXmasどころではなかっただろなぁ。ちなみに店内のBGMは
「♪ゆーきやコンコン、あられやコンコン」
でした。
Xmasでは盛り上がらずも、どうにも心が逸るのが『KEIRINグランプリ』です!いよいよですねぇ。刻一刻とその瞬間が近づいています!!皆さんもワクワクしながら予想に余念がないのではないでしょうか?
先日、SPEEDチャンネルでGPの特番がありました。その中でSPEEDチャンネル専門解説でおなじみの中川洋護さんとA女史こと雨宮祥子さんのトークバトルがありました。普段の予想の中ではなかなか聞けない本音も飛び出し興味深かったのですが・・・お二人が出した予想の目には9番車がありませんでした。ふぅむ。
GP関連のイベントなどでいろいろな方とお目にかかったのですが、やはり皆さんどちらかというと1番とか、4番とか、6番とか、穴では7番!などを狙いたいという方が多いようですねぇ。ふぅぅぅむ。
でもねぇ・・・。
さて、今回は平野末吉杯F1とYGPの番組司会を担当します。実はバーチャルスタジオで、背景がすべてCGになります。昔、電波少年でやっていたようなやつです。実際のスタジオはブルーバックの殺風景なものになるのですが、青や背景のブルーが映りこみそうな光るもの、白いものなどはダメなど、衣装にはいろいろな制約があるのです。
そこでスタイリストさんがついて衣装を決めてくれました。思わずその色にも反応してしまうワタシ。
暮れの大一番!これで正月飾りの豪華さとお雑煮の具が変わるのです。
「当てたい!当てよう!当ててこそ!!」
GP三段活用。皆さん、がんばりましょう!よいお年を!!
年末はグランプリ!!
2006.12.13
2006年も残り僅かになりましたね。早くから鳴り響いているXmasソングにはほとんど反応せずも、グランプリメンバーが決まると途端に年末なのだという気ぜわしさが募ってきます。
小倉選手の競輪祭2回目のVで幕を開けた今年の競輪界。吉岡選手のダービー優勝に感涙。高松宮記念杯でG1初優勝した山崎選手の強さに新時代を予感。寛仁親王牌で奮起した後閑選手の地元の意地と底力。オールスターで魅せた銀メダリスト井上選手の輝きとスピード。そして全日本選抜では今年後半グランプリ出場をめぐる賞金争いの渦中にあった合志選手が見事な差し足でタイトルをとってついにグランプリの出場権を手中に収めました。
いろいろあった今年の競輪界、皆さんが選ぶベストレースはどのレースでしょうか?
先日スピードチャンネルで、本番終了後に翌日の準備をしながらニュースをみていたら 『今年の漢字』が発表されていました。これは日本漢字協会が一年を象徴する漢字一字を公募し、最も多かったものをその年の漢字として発表しているものだそうです。
2006年の漢字は・・・
「命」
一緒に見ていた緒方浩一さんがすかさず「あっ、村本だ」と一言。
思わずコーヒーを噴きだしそうになりました。
そういえば今年は村本選手の「命」を見ていないなぁ。グランプリユニフォームを着たこの一年、心身ともに大きな重責を背負い様々なプレッシャーの中で闘っていたのだろうなぁと想像しています。
昨年のグランプリチャンピオン加藤慎平選手もしかり。チャンピオンとしての責任、結果を出さなければと自分を追い込み、最後の最後まで「グランプリの舞台に戻る」ためにヘトヘトになるまで走り続けて・・・。
グランプリへの道は険しく過酷で、だからこそ他にはない栄誉と華やかさがある。そして一度その舞台に立ったものたちはどんなに苦しくても必ずやまたそこへ戻りたいと必死にペダルを漕ぐ。トップレーサーを夢中にさせ、全国のファンを魅了するグランプリの魔力。1億円というビッグマネーをかけた一発勝負、そしてNo.1を決めるレース、でもそれだけではない魔力がグランプリにはあるような気がします。
今回は9人中5人が初出場。うち80期代が3人。意外にも中部近畿勢がいません。これは実に1991年以来15年ぶりのことです。替わって昨年は誰も出場できなかった九州からは3人。いずれもタイトルをとっての出場です。顔ぶれががらりと替わりました。コンディションが心配される選手もいますが、それぞれの選手に悔いのないレースをして欲しいです。そして予想も悔いのないように・・・がんばらなくちゃ!!
もうすでに選手たちにとっても私たちにとってもグランプリは始まっています。まずは21日の記者会見と前夜祭、グランプリメンバーがどんな表情で私たちの前に登場するのか・・・。
素晴らしいレースを期待させる晴れやかな姿が見られるのを楽しみにしています。
クイールの写真展
2006.11.29
先日仕事の打ち合わせのために市ヶ谷にある日本自転車振興会に行ってきました。
あら? なんだかいつもと雰囲気がちがう。
ロビーに入ってすぐ目に飛び込んできたのはモノクロ写真のラブラドール犬。普段は自転車やポスターなどが飾られているイベントスペースで、ドラマや映画で有名になった盲導犬クイールの写真展が開催されていたのです。母犬の出産に立ち会ったのをきっかけに、クイールの一生を撮りつづけたカメラマン・秋元良平さんの作品です。
その中に、クイールを車の中で後からとった写真があります。一緒にすごした家族と離れ車で連れて行かれるクイール。その表情は見えませんが、リヤガラス越しに見送る家族をみつめる後姿に涙。はぁ〜、こういうの弱いんですよね〜。毎週ポチタマを見て、柴田理恵と同じくらい泣いてますから。
小さい頃から動物が大好きで、とくに犬に夢中だった私。物心ついたときには常に犬のぬいぐるみを抱えていました。母は「きっとアンタは死んだチロの生まれ変わりにちがいない」とよく言っていました。小学生になってからも学校から帰ると真っ先にいくのが近所で飼われていた犬のところ・・・。
そんな我が家にシェットランド・シープドッグがやってきたのは私が小学校5年生のとき。もう嬉しくて嬉しくて。当時はまだラッシーが有名でそのミニチュアのような可愛い犬が自慢でした。名前はピコ。たまたま前夜父が映画『セルピコ』を見てえらく感動したそうで、私の意見を無視してそこから名前がつけられました。シェットランド・シープドッグはその名のとおり牧羊犬。動くものをみると追う習性が他の犬種よりも強いようで、原っぱなどで離して遊んでいるときにオートバイが通ると猛ダッシュで追いかけていってしまい見失うことも・・・。「ピコがいなくなった」とベソを掻いて家に戻ったらピコが先に帰ってきて待っていた、なんてこともありましたね〜。
その頃の私は犬に関する知識が乏しく子供で、また他の家族はあまり犬に興味がなかったため病気の予防接種などがおざなりになり、ピコはたった4年でフィラリアにかかって死んでしまいました。これまでの私の人生で5本の指に入る悲しい出来事でした。いつも傍にいてくれた愛するものを失う・・・ということを初めて体験しました。
犬は社会性の強い動物ですから、余計に一緒に暮らす喜びが大きいのでしょうね。犬たちがくれるかけがえのない愛情は、ともすれば見失いがちな何かに気づかせてくれるんだよなぁ・・・クイールの写真を見ながらそんなことを考えていました。
<秋元良平写真展>盲導犬クイールのまなざし
12月22日までの平日10:00〜16:00日本自転車振興会1階で開催されています。入場無料。戌年のしめくくりにぜひ!
鼻うがいの極意
2006.11.15
ふるさとダービー防府が終わり記念競輪開催ラッシュ。その先陣をきって行われた伊東温泉記念は武井大介選手の記念初優勝でした。同地区の選手から胴上げの祝福をうけていた武井選手。嬉しそうでしたねぇ。でもご本人以上に宙に舞うような思いだったのはもしかしたら師匠の吉井さんだったかもしれないですね。本当におめでとうございます!!
それにしても寒くなりましたね。伊東温泉記念最終日は関東地方も北風ビュービューで木枯らし一号となりました。シーズンオフのない競輪、選手の皆さんも、車券を買う私たちもまずは体調管理が大切。
なんとかは風邪をひかないということか、ここ二年ほど風邪らしい風邪を引いていません。風邪に負けないためにはなんといっても早め早めの予防が肝心。ゾクッときたら葛根湯!となりでコンコンしている人がいたらやはり即座に葛根湯!!ちなみに葛根湯は風邪を引いてしまってから飲んでもあまり効果はないそうです。
あとは徹底した手洗いとうがいです。とくに大事なのが鼻うがい。これをやるとかなりの確率で風邪が予防できるようです。鼻うがいのきっかけは小柳ルミ子さん。自分と芸に厳しく、徹底した自己管理をされています。歌手の方にとって風邪をひかないこと、ノドを守ることは仕事の一部だと。その小柳さんが欠かさずにやっているのが鼻うがいだそうです。ディナーショーの仕事などを多くやっていたころ、マネージャーの方にうかがって真似をしてみたのですが・・・最初は痛くて痛くて、頭はズキズキ、目から涙はジョバジョバ、鼻からは口にぬけなかった水がダラダラ・・・
「わたしにはむりぃ〜」
と敬遠していたのですが、その後試行錯誤をくりかえしついに発見しました。その秘密は塩にあり!真水でもぬるま湯でもお茶でも、とにかくコップ一杯につき小さじ一杯弱の塩を入れ、海水に近い濃度の塩水で鼻うがいをすると・・・あ〜ら不思議・・・あまり痛くないのです。もっとも効果があるのはぬるい緑茶と塩のコラボレーション!!ちょっと多めにつくって、喉うがいと鼻うがい、さらに飲んでもよし。風邪の引きはじめのノドの痛みなどはかなりの確率でとれます。鼻うがい効果のおかげもあってか一時はひどかった花粉症も昨年はほとんど出ませんでした。ムズムズしても鼻うがいをすると、スーッととれるんですよね〜。
うがいの仕方は、コップをかたむけ片方の鼻をおさえてもう片方から吸い込んで口から出す。このとき、鼻に水をいれて喉うがいのように上をむいて鼻でブクブクしようとする方がいらっしゃるようですが、これはただむやみに水を顔と洗面台に撒き散らすだけで効果はありませんのでご注意ください!
まぁ、いずれにせよ口からも鼻からも水が出て、決して人様にはみられたくない姿なのですが、これも健康のため。一目を忍んでこっそりコツコツ・・・。鼻うがいで元気に冬をのりきりましょー!!
積み重ね
2006.11.1
今年最後のG2、ふるさとダービー防府がいよいよスタート。今回は現地で司会を担当させていただきます。
グランプリの出場権をかけた賞金争いが大注目となりそうですね。10月31日現在のボーダーラインとされている選手たちの賞金は・・・手島選手が6642万円、加藤選手が6606万円でその差わずか36万円!続く合志選手・市田選手も6000万円代。ちなみに当確では?とされる佐藤慎太郎選手は8163万円。ふるさとダービーで優勝し、さらに全日本選抜2着になるとおよそ3000万円上積みされるので、逆転の可能性もアリ!?これまたやっぱり目が離せませんねぇ。市田選手は今回出場しませんので、他の人たちの賞金の上積みが気になるだろうなぁ。
これからしばらくは私たちも「他人の大きなお財布」をアレコレ気にかけながらひとレースごとに電卓を叩き、グランプリ出場メンバーを予想する日々が続きそうです。
さて、先日ふるさとダービー開催に先駆けて、一足早く防府に行ってきました。 SPEEDチャンネル『競輪ウォーカー』のロケです。この番組は友川かずきさんと一緒に競輪場の周りを散策したり観光したり、途中競輪場でガチンコ車券勝負をして、最後は勝っても負けてもその土地の美味しいものを食べて飲む!というもの。
今回は山口県だけに「ふぐかしら〜」と期待していたのですが、、、『スッポン』でした。防府市内に流れる佐波川からとれる天然モノ。全国各地から多くのコラーゲンハンターたちがここのスッポンを食べにやってくるのだとか。
スッポンワインなる生き血からはじまるスッポン懐石。刺身・焼きもの・生肝・スープ・雑炊・・・とあらゆるスッポン料理が出てきます。
実は友川さん、ああみえて(失礼)デリケートな方でして、あまり得意ではなかったようです。生肝を飲むシーンで本当に泣いていたもの。(テレビではカットになっていました) しかしながらワタクシは非常に丈夫にできておりますので、どれもこれも美味しくいただきました。だって!なんてったってコラーゲンですもの!!翌日のお肌はさぞかしプルプルのツヤツヤだろうと期待していたのですが・・・いつもと同じように枕の後がついている。おかしい。スタッフにもあげずに欲張って食べたのに。
そういえば、同級生からの「コラーゲンたっぷり」の甘い言葉にさそわれて、“鶏肉を扱っていない焼き鳥屋”に生ホルモンを食べに行った翌日も、プールから出たあとの水中メガネあとがなかなか消えなかった・・・。
調べてみました・・・『コラーゲン』。そこには恐ろしい事実がっ!お肌の老化はコラーゲンの新陳代謝が衰えてしまうためにおこるとか。新陳代謝が悪くなれば当然元気なコラーゲンくんたちは減っていくわけでして、その体内量は20代までがピーク。それ以降はどんどん減り、40代では半分になってしまうそうです。あ〜、なんというむごい事!30歳すぎから日々減り続けたコラーゲンはスッポンや生ホルモンを一回や二回欲張って食べたところで回復するわけはないのです。
「コラーゲンは一日にしてならず」
しかーし「チリも積もれば山となる」ですよ。摂りつづけるとだいたい二週間くらいでなんとなぁーく効果があらわれるらしい。毎日スッポンはムリだけど、肉や魚の皮や骨・軟骨・内臓、あとはなまこの酢の物などもよろしいらしい。日々食卓にコラーゲンを!
賞金もコラーゲンも日々の積み重ねがあればこそ!ですね。
ハワイで地震!
2006.10.18
びっくりしましたね〜、ハワイの地震。常夏の楽園、あ〜あこがれのハワイ航路って・・・古いな。「ハワイは地震がない」と言われていますが、ハワイ島には活発な活動を続ける活火山があり、小さな地震は結構あるようです。また過去には1868年にM7.9、1975年にM7.2の地震があり、津波など大きな被害が出たとか。今回の地震では建物や道路の破損、がけ崩れなどはあったようですが、人命にかかわるような大きな被害がでずに本当によかった。
震源地の近く、カイルア・コナはリゾートホテルも多く日本人にも人気の場所ですが、トライアスロンの聖地でもあり、アイアンマンの最高峰ワールドチャンピオンシップが開催されるところです。実は今月21日土曜日が大会開催日になっています。無事にスタートできるのでしょうか?
一日も早い復旧を心から願っています。
一方、観光客でにぎわうワイキキのあるオアフ島ではほとんど揺れを感じるような地震はないらしく、無警戒だっただけにパニックになったようですね。島の9割で停電。復旧までに12時間以上かかったところもあったみたい。オアフ島には友人が多いので心配。少し時間を置いてから電話をしてみました。プルプル・・・「Hello」、あっ、繋がった!!
郊外の一戸建てにすむ友人は
「まぁ震度3ってとこかなぁ。日本で生活していた人だったらあまり驚かないくらいの揺れよー。ぜーんぜん大丈夫。でもねぇ、ハワイは災害に弱いよねぇ。停電してなかなか復旧しなくてこまったよぉ」
ワイキキの高層マンションに住む友人は
「揺れたよー。下のほうはきっとそうでもないんだろうけどね。いや、それにしても水も出ないし、電気もとまっちゃうしさー。情報が入ってこないんだよね。どうなの、ハワイの様子?どんな風に報道されているの?」
そうか、現地の人は情報を入手する術がないのね。ラジオもテレビもインターネットも繋がらない・・・逆取材を受けてしまいました。
もともとがのんびり、おおらかな気質の人が多いところ。災害に対する危機感もないようで停電や断水に対する備えなどもほとんど無かったようです。きっとしばらくはオアフ島でも防災グッズが売れるんだろうなぁ。
地震といえば、先日平塚F1中継の司会で平塚に泊まっていたときのこと。朝、ジョギングに行こうと靴を履き終わったその瞬間・・・
ズンッ!
タテに振動が・・・タテ揺れのあとには大きな地震・・・???中腰姿勢で手を広げたよくわからない構えをしてしばらく静止。と、やはりグラグラッと来ました。慌ててNHKをつけて地震情報をチェック。その間もよくわからない中腰ポーズをキープ。人間咄嗟のときはどうしていいかわからないんですね。自己分析すると、とりあえずすぐに動けるように、バレーボールでサーブレシーブに入る前のような構えをしてみた、というところでしょうか。(もとバレー部です・・・)
結局平塚は震度3の揺れでした。念のため津波情報をしっかり確認してから、しきりなおしてジョギングに出かけました。海岸線を走っていて津波に飲み込まれたら番組を当日欠場になっちゃいますから!
いつ何が、どこで起こるかわかりませんね。備えあれば憂いなし。この前かろうじて防災用アルミリュックを買いましたが、いまのところ中身は空っぽ。早急に災害グッズをそろえることにしようと、肝に銘じたのでありました。
「シンガポール」
2006.10.4
シンガポールに行ってきました。治安もよく、また『グリーンシティ』と呼ばれるだけあって、緑が多くゴミのないとても美しい国でした。この国ではゴミのポイ捨ては罰金。かなり高いそうですよ。初犯でS$1000(8万円弱)、二回目は2倍、三回目は5倍!ひそかに監視員が街のいたるところに張り込んでいてチェックをしているとか。観光客でも容赦はないそうです。ちなみに『公共の場で故意に体液を放出するのも同罪』・・・いわゆる立ち○ョ○とか、ペッ、というのもダメだそうです。徹底した街の美化が治安の良さにもつながっているのかもしれないですね〜。
シンガポールは本島とそのまわりにある63の小さな島々から成る国で、総面積は滋賀県の琵琶湖とほぼ同じだそうです。そこに430万人もの人々が暮らしています。中国系が8割近く、あとは殆どがマレー系かインド系。各国の文化や宗教を尊重しながら仲良く暮らしている、そんな印象を受けました。かつてはイギリスの植民地だったこともあり、かの有名なラッフルズホテルをはじめ英国式の建物も多いのですが、やはり中国文化の影響が一番大きいようです。ほとんどの建物に中国風水が取り入れられています。特に多く見かけたのがビルの入り口にある噴水。日本でもときどき見かけますが、玄関先に水の流れをつくるのは金運アップにつながるのだそうです。
またこの時期、中国の秋のお祭りにあわせて街には月餅が溢れていました。前回のコラムで仲秋の名月の話を書きましたが、そもそもその始まりは中国。月見を楽しみながら家族で月餅を食べ健康と幸せを祈るお祭りで、中国ではお正月のお祝いについで大事な行事なのだそうです。
店頭に並ぶ月餅、たーっぷり試食してきました!
ただ中国と大きく違うのは自転車がぜーーんぜん走っていないこと。暑いし、スコールもあるし、路上などに置いておくことはできないので逆に不便なんだとか。かわりにMRTというコンピュータ制御で運行されている電車やバス・タクシーが発達していて料金も安いため自転車は必要ないそうです。
でもね、いるんです!プロの自転車乗りが!!自転車の横にサイドカーをつけた通称・輪タク。その名の通り自転車タクシーです。
「多勢がおもちろい。ボーソーゾクね。ゼッタイおちゅちゅめ!!」
と力説するガイドさんの迫力に気圧されて、他の観光客の方たちと一緒に乗ってみることに。20人位いたかな。一台に一人ずつですから、かなり長い列になります。音楽を大音量で流し、パフーパフーとホーンを鳴らしながらチャイナタウン、リトルインディア、アラブストリート、泥棒市場と呼ばれるフリーマーケットの中、そしてオカマストリート・・・細い路地から片側三車線の車道に至るまで、ガンガン走るのです。しかも端っこではなく真ん中!!シンガポールでは認知されているらしく、車が避けて道をあけてくれます。右折も左折も思いのまま。まさに縦横無尽に車道を駆け抜け、一台たりとも隊列を乱さず見事なフォーメーション!!私は後ろから二台目に乗っていたので、その鮮やかな迷惑走行ぶりを充分に観察、楽しむことができました。ちなみに20台は少ない方で多いときには40台50台で連なって走ることもあるそうです。
なお街角で怪しげに客待ちをしている輪タクは、どこにつれていかれるかわららず、高額な請求をされることもあるらしいので要注意!
今回は隣国インドネシア・ビンタン島にも足をのばして遅めの夏休みを満喫。たっぷり充電してきました。
さぁ、このあとは共同通信社杯。暮れのグランプリに向けて一気に加速していきそうですね〜。私も気合を入れてがんばりますよー!もちろん仕事も車券も!!
「9月をのりきれ」
2006.9.20
9月最大の楽しみといえばオールスター競輪。またもやニュータイトルホルダーの誕生となりました。やはり確実に世代交代の流れは勢いを増しているようですね。それにしても今回の車券は難しかったです。2走してのポイント制、1着権利の準決勝B、戦う選手たちの苦悩と厳しさが車券に反映されたような印象を受けました。吉井さんの嗅覚と勝負強さはさすが!!『逆転ジャン』ぜひ参考にさせていただきます。
そのオールスターの終わりとともに一気に秋も深まったようです。季節ごとにベースカラーが変わる車のナビはブルーからベージュ色に彩られ、デパ地下には栗やらさつまいもやらのお菓子が幅を利かせるようになり、「涼しくなりましたね」が合言葉、ふと見上げた空は日に日に高くなっていく・・・。ハァ〜とため息。
9月はキライ。自他共に認める夏人間の私。10月になればもういい加減諦めもつくのですが、時折夏の暑さを蘇らせながら
「夏が終わるわよぉぉ。もう終わりなのよぉぉぉ。終わっちゃったのよぉぉぉぉ」
とジワジワヒタヒタと秋の気配を濃くしていく9月が一年中で一番切ないのです。
ハァ〜。
だめ、ため息つくと婚期を逃がす・・・じゃなかった、幸せが逃げていくんだわ。なんとかしなくちゃ!9月の楽しみを見つけなくちゃ!!
でもね、9月って中途半端なんですよねっ。秋の味覚といっても秋刀魚や戻り鰹が一番美味しいのは10月だし、スポーツの秋にしては雨も多いし、そうかと思えば暑かったり、台風だったり。読書は秋より冬がいい。
おっ、仲秋の名月はどうでしょ?
調べてみました。『仲秋の名月』は旧暦8月15日、古くからこの日に月を愛でる習慣があったそうです。ちょうど秋の収穫期にもあたることから、収穫物を月にお供えしたそうですが、それがいつのまにかお団子になったとか。必ずしも満月の日ではなく、あくまでも『旧暦の8月15日』。
去年は9月18日、一昨年は9月28日、そのまえが9月11日・・・そうか、9月だ・・・花より団子でお月見だっ!
ところが今年に限って旧暦の8月15日は10月6日だそうです。これもダメだわ。
なんとしてでも今年の9月は楽しみたい!
そこで、夏をあきらめきれない私はこの期に及んでジタバタと夏をとりもどす計画を立てたのです。
いざ!南国リゾートへ!!
あまり長いお休みはとれなかったので、そこそこ近場のシンガポールとビンタン島に行ってきます。セクシー美人看護婦さんと行く女二人の“夏を取り戻す秋休み”・・・そのご報告はまた次回!
「夏の思い出」
2006.9.5
9月、残暑は厳しくもすでに秋の気配がちらほら。あぁ、夏が終わってしまう。淋しいですねー。海に行ったのは一回だけ。その割には焼けてる!?そうなんです、吸収率がいいんです。あっという間に真っ黒、かつ持続力もバッチリ。そんな私のこの夏一番の思い出は『筑波8時間耐久レース』参戦でした。
『夏の8耐』―――響きがいいでしょ? オートバイ好きだった私にとって“夏の8耐”(鈴鹿)は憧れの大会。筑波8耐は自転車レースですが、“夏の8耐に出ちゃう!”ということがそもそもワクワクなわけです。しかも筑波サーキットはオートバイに乗っていた頃に試走会などで走った思い出の場所。懐かしのダンロップゲート!
レースは8時間で何周できるかを競うもの。1チーム3〜6名で18回以上の交代が義務付けられています。出場チームは300以上。本気モードの強豪チームから、ゆるゆるママチャリチーム、お揃いのウエアが微笑ましいファミリーチームまで老若男女入り乱れて走ります。競輪のユニフォーム姿も発見。他チームながら応援したくなっちゃいました!他にもヘルメットに飾りをつけたりコスプレをしたり、お祭りムードも満点です。
我がチーム『MEDALIST.bd』は私が最年少かつ紅一点という中年チームですが、MEDALISTに後援していただいているのでとにかくユニフォームがかっこいい!ユニフォームだけなら上位入賞間違いなし!!メンバーの中には秋に富士スピードウェイで行われる200kmレースに参加する人もいますが、今回の目標設定は低く?「ほどよく頑張って完走しよう!」 「アンカーはゆみちゃんに!」 へっ?
「いいの、いいの。順位は二の次なんだから。フィナーレは感動するから、走った方がいいよ!でも早いチームがガンガンとばしてくるから怪我だけはしないようにね」 というわけで初出場でアンカーに大抜擢。
レース終了30分前からピットロードが閉鎖、ここからは交代なしでアンカーにチームの成績と完走が託されます。強豪チームは最後のスパート、いくつもの集団が形成され駆け引きとデッドヒートが繰り広げられます。
時々「♪さーいくりーんぐ、さーいくりーんぐ、やっほー!やっほー!」と歌声が聞こえそうなノンビリとした人もいますが、トップの人たちとのスピードがあまりにも違うので気をつけないと大事故につながります。
実際、残り30分を過ぎてから急にサーキットのいたるところで落車が頻発。救急車も出動。ビビるワタシ。
「気をつけなくちゃ。皆の気持ちを無駄にしないように、チームが完走できるように、絶対に最後まで走らなくちゃ」
集団に巻き込まれないように、邪魔にならないように、常に後方を警戒。運良く速い人たちがいないときにはスピードにのせて自分のラインをとって気持ちよくコーナーを踏む。日が暮れライトに照らされた思い出の筑波サーキット。今回は自転車で・・・風の音、車輪の音、自分の息づかい・・・オートバイの時には味わえなかった感覚。
「きもちいい!」
なんて自己陶酔していると、後ろから強豪集団がドォーッとやってきてゴォーッと抜いていきます。こわっ。抜いた数少々、抜かれた数大量。そうこうしているうちに青のフラッグがふられ残り一周。
「終ってしまうのが淋しい。最後迄しっかりと脚を回してがんばろう!」
そして、着はともかく感動のゴールフラッグ!一応“ハンドル投げ”をしてみました(笑)。
楽しかったなぁ!中年になってからもこんな風に“少年(???)のような時間”を持てるって最高。クセになりそうです。一緒に走ってくれたメンバーたち、どうもありがとう!
みなさんのこの夏の思い出はいかがでしたか?
「ザ・トライアスロン」
2006.8.23
ついつい勢いにのって“42歳の思い出作りにトライアスロン挑戦”を宣言しちゃったワタシ。
周りの第一声は、もれなく 「マジっ?」。
そのあとに続くのは
「いいじゃん、いいじゃーん、頑張りなよ〜ぉ」の推進派7割、
「もう若くないんだからさぁ、やめとけばぁ〜」の反対派3割、
といったところでしょうか。
さすがIT時代、このコラムや私のブログを見てくださっている方も多いようで、いきなり「トライアスロンやるんだってぇ!」とか「大会はいつ?」なんて声をかけられることも・・・もう、あとにはひけない・・・。
トライアスロンの誕生は1974年、まだ30年ちょっとと歴史の浅い競技です。水泳・自転車・ランニングの三種目を連続して行いゴールを目指すことから、ラテン語で“3つ”という意味の『トライ』と“競技”という意味の『アスロン』をたして『トライアスロン』と名づけられたそうです。
距離の設定は大会によって大きく違うようで、アイアンマンとよばれる水泳3.8km・自転車180km・ランニング42,2kmの超ハードなものから、水泳0.4km・自転車20km・ランニング5kmの軽めのものまでさまざまです。
私が挑戦する(予定)なのは、オリンピック・ディスタンス「ザ・トライアスロン」とよばれ世界大会などでも主流になりつつある水泳1.5km・自転車40km・ランニング10km=合計51.5kmのレースです。
実はトライアスロン界にもスキーの故・三浦敬三さんのようなスーパーおじいちゃんがいました。
中尾友一さん 83歳 (8月26日で84歳!)。現役のプロ・トライアスリートです。60歳で胃がんのため胃の2/3を摘出、64歳でトライアスロンに挑戦、81歳でプロ契約。
ちなみにはじめて参加した大会では水泳種目でおぼれてリタイアしたそうです。それでも挑戦を続け、73歳のときにはアイアンマンに近い距離のロングレースも完走しています。すごいっ!!当然徹底した自己管理とトレーニング・食事方法など、なかなか凡人には真似できない生活を続けられているからこそなのですが。
でもね、結構還暦を機にトライアスロンに挑戦しているフツウの方たちも多いようです。アイアンマンはムリにしても「ザ・トライアスロン」くらいなら、なんとかなっていくものらしいです。
そんなわけで、練習方法もわからず手探りながら少しずつトレーニングを始めました。まずはゆっくりとでいいからそれぞれの種目で設定距離を完走(完泳)できるようになること。そのあとはあわせ技のクロストレーニングをして徐々に持久力をつけていくこと。“地道にコツコツ”が苦手な私がどこまで頑張れるか、ついついサボりたくなる気持ちをどこまで奮い立たせられるか、そして不規則な生活の中でいかにトレーニング時間をつくっていくかが課題ですねぇ。
トライアスロンを決心させて下さった方の一言。
「プロじゃないんだから、楽しく走って美味しいビール!キーワードはコレ」
んっ、きっとできるにちがいないっ!!
「42歳の挑戦!?」
2006.8.9
ふるさとダービ富山が終了。優勝は平原康多選手でした。初めてのビッグレース決勝戦での優勝。思い切り良くしかけた度胸がガッツポーズにつながったんでしょうねぇ。87期24歳、若きニューチャンピオンの誕生は嬉しいですね。184cmと長身で笑顔も爽やかなイケメンレーサー平原選手、確か独身じゃなかったかしら?これを機に一気にブレイクしてもらって女性ファンをたくさん競輪場に連れてきてほしいなぁ(笑)。
さて世代交代が加速している競輪界、若手の活躍は本当に楽しみで喜ばしいですが、一方でがんばり続けるベテラン選手の走りには毎回勇気づけられます。
ふるさとダービー富山にも出場していた坂本勉選手や佐々木龍也選手、 そして先日私の番組でとりあげさせていただいた徹底先行で頑張る43歳のS級レーサー小島壽昭選手・・・皆さん本当にスゴイ!まさに中年の星です。
かくゆう私も先日また一つ歳を重ね、はれて42歳になりました!
小学生の頃ノストラダムスの大予言が大流行し、1999年=35歳でこの世は終わりだと思っていたので、それより7年も長く生きていることになります。ラッキー。こうなったら競輪キャスターの長寿記録をきわめてやるっ!?
実際20代30代を経て、いま40代でいることがとても楽しいと思っています。確かに寝起きの枕の跡や水泳あとのゴーグル跡がとれるまで、たっぷり時間がかかるようにはなってきたのですが・・・、衰える肌あれば増える知識あり。人生は歳を重ねるごとに楽しくなっていく!
そんな私の挑戦・・・次の誕生日を迎える前にトライアスロンに出ようと思っています。きゃぁーっ、無謀!! マラソンなんて中学でも高校でも完走したことがないし、いまだってジョギングしたところでせいぜい5km。それなのに1.5km泳いで40km自転車で走って、そのあとに20kmも走れるのかぁ??? ムリムリっ・・・と諦めていたんですが、考えてみればもともとは水泳も苦手で30歳近くまでは25m泳ぐのが精一杯だった私。それがイルカちゃんたちのおかげで泳げるようになり、今では指の間に水掻きがついているんじゃないの?と言われるようにまでなりました。
「そーか、そう思えばやってやれないことはない。挑戦することに意義アリ」
レースと似ているのかもしれないな。結果を考えすぎちゃうと思うように動けないけれど、「えーいっ!やっちゃえっ!!」という思い切りのよさが大事なのかも。年々いろいろなことを学び、スキルは身についていくとしても、徐々に思い切りが悪くなってしまう・・・だからこそ無謀な挑戦をしてみることにしてみました(笑)。さぁ!結果はいかに!?
手始めに?今月末に筑波サーキットで行われる自転車の8時間耐久レースにチーム『Medarist.bd II』からエントリー、参戦してきます。久し振りのレース。しかもオートバイで何度も走った思い出の筑波サーキット・・・楽しんできまーす!!
「北の大地で初心忘るべからず」
2006.7.26
今年は梅雨明けが遅いですね。せっかく夏休みに入ったのに関東の海水浴場では閑古鳥が鳴いていて海の家がこまっているとか。夏はやっぱり暑くなくちゃ!海・スイカ・花火大会・・・と、ビール!!ですよね〜。
さて、競輪界の新しい夏の風物詩になりつつあるG2 『サマーナイトフェスティバル』、今年の開催地は函館競輪場でした。私は東京のスタジオで前夜版展望番組を担当していたのですが、最終日には仕事がなかったので思い切って旅打ちに行ってきました。函館に着いて予想以上の寒さにビックリ。慌てて洋服屋を探し、パーカーとジャケットを購入。これで寒さ対策はバッチリ。さぁ、無料バスを探していざ競輪場へ・・・。
するとターミナルで"北島三郎顔写真入りバス"を発見。そういえば函館には『北島三郎記念館』があります。きっとそこへ向かう観光客をのせていたのでしょうねぇ。
演歌歌手の皆さんの多くは自分の舞台のために専属の司会者を連れています。かつて北島さんの専属をされていたのは故・及川洋さんという名司会者でした。幾度かお目にかかったことがありますが、芸事に厳しく、しかし後輩の面倒見のよい素晴らしい方で、多くの司会者から慕われていました。巧みな話術と職人的なイントロナレーションで主役・北島三郎を大いに盛り立て、及川洋なくてはサブちゃんのステージなし、とまで言われた方です。
(イントロ)
北の波止場に男がひとり、
背中でかもめが泣いている、○×△■☆、、、、
ご存知、さぶちゃんが歌います! はこだてのひとぉ〜っ!!
(本人登場)
♪はぁ〜るばるぅ 来たぜ はぁ〜こだぁてぇ〜
(場内大喝采!!)
と、なるわけです。ちなみにコレは勝手に私がアレンジしたもので及川先生の名台詞ではありません。あしからず。
「舞台と主役を生かすも殺すも司会者の力量一つ」
「初心忘るべからず、努力惜しむべからず」
まだ駆け出しの私には及川先生の言葉ひとつひとつがとても重たかったなぁ。最近私は舞台に立つ機会がぐっと減ってしまいましたが、でもテレビの司会も基本は同じ。サブちゃんが微笑むバスをみながらふと感慨にふけったのでした。
函館の町を眺めながらバスにゆられること15分。競輪場は寒さなんて関係なーい、「アロハでハッスル!」で盛り上がっていました。全レースメインスタンドで観戦!今日は私も金網勝負っ!!
場内で皆さんと一緒にレースを見ていると、選手のどんな動きに興奮し、またガッカリするのか、そしてどんなパフォーマンスを喜んでくれるのかなど、一喜一憂がとてもよくわかります。
「初心忘るるべからず、努力惜しむべからず」
及川先生の言葉を忘れずに、主役・競輪を盛り上げられるようにがんばろーっと!
優勝は市田佳寿浩選手。これまで幾度も病気や怪我に苦しみ、それを乗り越えがんばってきた市田選手のビッグ初優勝は、多くのファンや近畿の選手たちの励みになったことと思います。おめでとうございます。次はタイトルに向かって頑張ってくださいね!!
「2006国際競輪レース」
2006.7.12
先日富山でロケをしていた時のこと。昼食をとるために入ったお店で久し振りに女性週刊誌を読みました。と・・・なんとテオ様ことテオ・ボス選手の記事が!おぉぅ、そうこなっくっちゃ!!なんてったって世界を代表するイケメンレーサーなんですからっ。“テオ様にはここで会える”なーんて感じで出場予定の競輪場も紹介されていました。
テオ様のプロフィールには“身長190cm、体重85kg、股下100cm”と書いてありました。えぇっ?股下が身長の半分以上!?素敵!すばらしい!!と感嘆しつつ、太腿ではなく股下を載せているあたりが女性週刊誌だなぁと(笑)。こういう機会にどんどん盛り上がってもらって女性ファンを増やして欲しいです。
今年の国際競輪、テオ・ボス選手とともに注目されているのがミカエル・ブルガン選手。世界選手権でチームスプリント優勝、また世界のトップレーサーを集めて行われるインターナショナルケイリンイベントでニ連覇していす。
先月行われた国際競輪レース共同記者会見の懇親会でブルガン選手とお話ししちゃいました。といってもブルガン選手はフランス人。当然フランス語など話せる訳もなく、たどたどしい英語で勇気を振り絞って、「初めての日本はどうですか?」と。
「とても綺麗な国で気に入っています」というようなこと英語で答えてくれた・・・と思います。そのあとは冷や汗を書きながら
「フランスのどこに住んでいるのですか?」とか
「白ワインと赤ワインはどっちが好きか?」とか
くだらない質問を続ける私に嫌な顔ひとつせず、丁寧に丁寧に答えてくれました。その睫毛の長さにウットリ。そこへ通訳の方が慌てて来てくださったので、一番聞きたかった練習方法や競輪学校でのトレーニングについてなど、ようやく競輪キャスターらしい質問をすることができました。
外国人選手にとって、国際競輪での第一関門は競輪学校でのトレーニングだと聞きます。連日、ルール・自転車の整備・競走訓練と短期間にビッシリとメニューをこなさなければいけません。
「大変じゃなかったですか?」と聞いてみたところ
「僕は日本での競輪を学ぶことを楽しみにしてきました。次から次へと新しいことを覚えることができてとても充実していました。貴重な時間を過ごせました」と。
その誠実さが伺える受け答えの表情と、しつこいですがクルンとカールした睫毛の長さに、私はすっかりブルガンファンになってしまいました(笑)。
初参戦の奈良では優勝。続く花月園では連勝で勝ち上がったものの優勝できませんでしたが、今年はブルガン旋風を巻き起こして欲しいです!
さて、今年外国人選手たちに“もっとも対戦したい相手”として指名されたのが小嶋敬二選手です。昨年のWGPでの強さが印象的でしたものね。外国勢を一気にまくった小嶋選手のパワー、素晴らしかったです。中継しながら拍手喝采でした。ちなみに小嶋選手VSボス選手、股下はともかく太腿の太さでは小嶋選手の勝利!まさに世界一の太腿です。7月17日からの川崎競輪で直接対決が実現しそうです。さぁ、どちらに軍配が上がるのでしょうか?楽しみです!!
「御蔵島にて」
2006.6.28
御蔵島に来ています。前回のコラムで少し触れた『イルカと泳げる巨樹の島』です。
御蔵島は東京・竹芝桟橋から船に乗って南へ約200km下ったところにあります。太平洋上に緑色のおわんをポコンと逆さまにかぶせたような島で、砂浜などはなく、周囲はすべて崖。港以外で海におりられる場所はほとんどありません。
とにかく風の強い島。周りの海は潮の流れが早く荒れることも多くて、年中かなりのハードコンディションです。
私が御蔵島に通いだした頃は、竹芝からの直行便は週に1便のみ。しかも港が今よりもさらに小さくてほとんど接岸できず、大体は三宅島でのりかえて小さな定期船で島に渡っていました。それでも海況が悪くて欠航することもしばしば。ここ数年は毎日竹芝から直行便が就航されるようになり、港も大きくなって接岸率も大幅にアップしましたが、それでもやはり台風がきたり、秋・冬の季節になると月に数回しか船がつかないときもあります。
今回島で会った男性は、「一昨年は海が荒れたときにぶつかってしまって船が着かず、それでもどうしても御蔵島に行きたかったので、三往復(竹芝から終着港の八丈島まで)、つまり三日間ずっと船に乗りっぱなしでした。それでもつかなくてあきらめました。ちょうどアテネ五輪をやっていたので船の中でずっと見ていました」と。あの私達を歓喜させた“ニッポン、チームスプリントで銅メダル!”の快挙は船の中で知ったそうです。
御蔵島には自転車がありません。人口270人の小さな島。島の周囲は16.4km、中央の山の標高は850.8m。島自体が急峻なひとつの山のようになっているのです。島中ほとんど坂道ばかり。いや、坂道しかないと言ったほうがいいかもしれません。しかも競輪学校の登板走路のような急坂がたくさんあります。自転車で登る分には充分なトレーニングになるのでしょうが、下ったら最後、ブレーキはきかないし、カーブでは曲がれないし・・・それこそ崖にむかってまっしぐらです。それでも昔は自転車にのって坂を上り下りしていたツワモノどもがいたそうです。彼らを競輪界にスカウトしていたら、トップレーサーになっていたかも。
昔は、小学校の運動会で50m走のコースをつくるのもギリギリで、最後まで走り抜けるとそのままフェンスに激突したそうです。今では小・中学校の校庭は広く整備されていますので、島の子供たちは校庭で自転車に乗る練習をしているのだとか。いざ島を出たときに自転車に乗れないと困るからだそうです。
この島とこの島に住む人々、そしてイルカたちに魅せられて11年。
人は自然の力には抗えないのだと戒められ、一方ではその自然に癒され続けています。人の力などなんと弱いものか、そこで逞しく暮らす人たちに励まされています。
『人は弱くない、競輪』
という感じでしょうか。
このコラムが更新される頃、たぶん私は東京へ戻る船の中にいます。無事に船が着きますように。
「武雄記念」
2006.6.14
梅雨の最中とは思えないような好天にめぐまれ、絶好のコンディションの中で行なわれた今年の武雄記念。さすがに鬼脚・井上茂徳さんを育てたバンクだけあって三日目はタテの勝負もヨコの勝負も大激戦になりました。
そして最終日、決勝戦は前場所の落車で鼻骨を骨折しながらも記念競輪決勝初進出の北津留翼選手、なにがなんでも優勝したい地元の荒井崇博選手、勝つときにはどこにいても勝つ!パワー上位の小嶋敬二選手の三分戦でした。北津留選手が逃げて中団から荒井選手が捲り、小嶋選手のパワーがこれをねじ伏せるか!?などなど戦前の予想は飛び交っておりましたが・・・「出る杭は叩け!」とばかりに小嶋選手が北津留選手にレースをさせずにドーンと先行。優勝はその二番手の浜口選手でした。ひさしぶりの記念優勝。いつものように控えめながらも『浜ちゃんスマイル』が輝いていましたね〜。おめでとうございます!!
二着は3C後方だったにもかかわらず伸び脚鋭い兵藤選手。さすがです。この好調さを維持していけば・・・親王牌が楽しみです。
中団になってしまった北津留選手は落ち着いてうまく仕掛けられたらゴール勝負にからめたかもと思うのですが・・・何事も経験。ぜひぜひこの決勝を「悔しい!」と強くなるためのステップにして欲しいです。
また地元記念制覇に並々ならぬ想いをもつ荒井選手。優勝はまたしてもお預けになってしまいましたが、大外を伸びてきた渾身のハンドル投げはきっと次につながるのではと思います。気持ちをきらさずに頑張ってください!
今回は東京のスタジオから中継の進行を担当させていただきました。実は武雄競輪場にはまだ行ったことがありません。1300年の歴史を誇る武雄温泉は宮本武蔵や伊達政宗、伊能忠敬など名だたる名士が入浴したそうです。美肌効果も抜群とか。これは是非一度入りにいかなくちゃ!
また武雄市には樹齢3000年以上の巨樹・太古の楠もあるそうです。見てみたいなぁ。
そもそも巨樹というのは地上1.3m地点の幹周りが3mを越えるものを言うそうですが、武雄市内の大楠はケタが違います。
『川古の大楠』は日本で第三位、『武雄の大楠』が第六位、いずれも幹周りは20m以上です。
ちなみに日本一は鹿児島にある『蒲生の大楠』で24.22m。そう考えると本当にすごいですよねー!!
さて巨樹といえば・・・ベスト10ランキングからは外れますが、日本一大きいスダジイが御蔵島という島にあります。幹周りおよそ14m。この島は人口300人に満たない小さな島ですが、自然環境が厳しいゆえにほとんど人が入ることのなかった手付かずの太古の森が島の多くを覆っています。今から15年ほど前に「巨樹の会」の調査が入り、以来続々と巨樹が見つかっているのです。
この島の周囲には野生のイルカたちが生息していて、ここ数年「イルカと泳げる島」として人気を集めています。そう!2001年、私が半年間特別休暇をもらってイルカと一緒に?棲みついていた島です。島にほとんどないCSのアンテナをつけてもらい太平洋に浮かぶ孤島でボブ・ディランを聞きながらせっせと電話投票をしていたのが懐かしいなぁ。
今月末、ひさしぶりに御蔵島に行く予定です。そのお話はまた次回・・・。
ヨガ
2006.5.31
5月になるとスポーツクラブが繁盛するそうです。雑誌ものきなみダイエット特集。『夏までに3kgやせる』とか『今年こそビキニの似合うボディになる』とか『今なら間に合う』とかそんな見出しがズラリ。
そういえばマッスル自慢?の佐藤慎太郎選手も「夏のビーチに向けてウエイトがんばっています」と言ってましたっけ。
以前もちょっと書きましたが、何を隠そう私は20代の頃あらゆるダイエットに手を出し、流行モノはほとんど試しました。 効果てきめんだったのは『リンゴダイエット』とか『寒天ダイエット』。リンゴ、もしくは寒天だけを食べるとうもので、面白いくらい体重が落ちていきました。でもね、体に悪い。栄養不足だもの。結局食事を元にもどしたらあっという間に体重も元にもどります。
逆にまるで効果がなかったのは『絆創膏ダイエット』。おへそのしたにあるツボに絆創膏を貼っておくと、ツボが刺激されてスリムになる!というようなものでしたが、世の中そんなに甘くない。一向に体重は減らず、絆創膏負けしてお腹がかぶれて真っ赤。それこそビキニどころか皮膚科のお世話になる始末・・・。
あれこれ失敗した結果、マメに運動することが一番!との結論に達し現在にいたっております。
今巷ではヨガが流行っているようです。以前は『インドの修行者が人間離れしたポーズをするあやしいもの』というイメージがありましたが、今ではすっかり『ハリウッド女優に大人気のセレブのエクササイズ』に変身! その名も“ハリウッドヨガ”と呼ばれるものや“パワーヨガ”“ホットヨガ”などいろいろなバリエーションがあるようです。
私が通っているスポーツクラブでもヨガプログラムは大人気でいつも満員御礼。そのほとんどは女性ですが、中にはおじさまも混ざっていて、ちょっと邪魔なお腹の肉に悪戦苦闘しながらポーズにチャレンジする涙ぐましい姿は多くの人の励みになっているにちがいありません。
1年ほど前から本格的にヨガを始めた友人いわく「変化はゆっくりだけれど確実に代謝がよくなっていくので、コツコツ続けていけばちゃんと効果があらわれるし、集中力アップにもいいみたい」 ちなみに彼女は1年間でウエストが5センチも減少したそうです。
私は小さい頃から体が硬く、なかなかヨガのアクロバチックなポーズが完成させられませんが、「ウエスト5センチ減」の甘い響きにさそわれてときどき挑戦しています。
ヨガのいいところは体とも心とも向き合えることにあるような気がします。
フリーダイビングの第一人者“故ジャック・マイヨール”や有名なハワイ出身のサーファー“ジェリー・ロペス”もヨガや禅のメソッドを取り入れていました。呼吸法を体得することで、自分の肉体と精神状態をコントロールしやすくなるそうです。
最近は競輪選手でもマインドトレーニングをしている人が多いようですが、そのうちヨガが流行ったりするかも・・・。でもあのたくましい太腿ではなかなかポーズができないかもしれないですねぇ。
もうすぐ高松宮記念杯の開幕です。先日、競輪場の周りをご紹介するSPEEDチャンネル『競輪ウォーカー』という番組のロケで大津に行ってきました。実はその中で修行寺として名高い比叡山延暦寺で座禅を初体験。座禅とヨガの呼吸法は共通するところが多いようです。しっかりと精神集中して車券をゲット!といきたいものです。
ねぇ、吉井さん!!
そぉいえば・・・吉井さんもいろいろなダイエットやってましたよねぇ・・・。
流行はちょい悪?
2006.5.17
先日ひさしぶりに高校時代の友人たちと飲みました。その中の一人が妙にスッキリ引き締まったスリムボディに変身していました!
「実はさ、オレ、体ちょい悪おやじになっちゃってさ〜。糖尿って言われちゃったんだよね・・・。で、食事に気をつけながらジムに通っているんだぁ」
そうだよね〜。もうみんな中年だもんね〜。あっちこっち『ちょい悪』にもなるよね〜。残念ながら体の『ちょい悪』はモテないけどね〜。でも彼の場合、体ちょい悪がきっかけになってジム通いでイケてる体型に変身! モテおやじになっちゃうかも。
いつまでも気持ちは変わらず若い(成長していない?)つもりだけど、所詮40代の集い。ヤレ人間ドックだの、老眼だの、メタボリックシンドロームを回避するためには・・・だの、ちょっと冴えない話題が終始とびかっておりました。皆それぞれ雑誌やTVで情報収集し健康に気を使っているようです。特にみのもんたさんの影響力は絶大みたい。
私は医者嫌い。フリーで仕事をしているので当然定期健康診断なども受けたことはありません。そろそろ人間ドッグに入ったほうがいいよと助言をいただくのですが、そもそも具合が悪いわけでもないのに病院に行くなんてまっぴらごめん。もしかしたらちょい悪予備軍かもしれないけれど、いや『知らぬが仏』ということもある・・・。未だに勇気がなくてドックには行ったことがありません。ただもともとマリンスポーツや自転車など、体を動かすことが好きなので『動ける体を維持する努力』はしています。といってもなるべく時間を作ってプールで泳いだり、ジョギングをしたりという程度ですが・・・。
競輪界には40代でも第一線で活躍するベテラン選手がたくさんいます。そういえば一見強面のちょい悪おやじ風が多いかも。実際にお話を伺うと、皆さん練習方法や体の調整方法を研究し絶えず努力されていて本当に尊敬しちゃいます。強くあり続けるということは維持するだけではなく、歳を重ねる分さらに頑張らなくてはならない・・・すごいことですよね。若手の活躍はワクワクしますが、ベテランの活躍はそれにも増してカッコイイ!!
そうそう去年、ちょい悪おやじコーディネーターのジローラモさんとトークショーをしました。ちょい悪モテおやじへの第一歩は?と伺ったら
「シャツの下にTシャツや下着を着ないこと。あとは靴下をはかないこと。これが大人の男の魅力をひきだします。オシャレにワイルドにね」
なるほど、見ると確かにジローラモさんは素足に革靴。
「足、むれて臭くならないですか?」
と聞いてみたら、ちょっとムッとされてしまいました。だってねぇ、それこそ足に悪そうだもの。ちなみに体に気を使う選手たちは五本指ソックスの愛用者が多いようです。
イタリア系伊達男のジローラモさんもたしかに素敵だったけど、戦い続ける五本指ソックス&太腿ワイルドのちょい悪おやじレーサーたちの方がやっぱり素敵にみえちゃうなぁ。
新・競輪CM
2006.4.19
遅ればせながら映画『ALWAYS三丁目の夕日』を観てきました。昨年から同世代の友人や先輩たちに「絶対におすすめ」と言われずっと気になっていたのですが、冬場は風邪予防のためにカラオケBOXと映画館を封印しているのです。春の訪れとともに映画も解禁!ようやく観ることができました。
懐かしさと切なさとやわらかくてあたたかな感動が自分の内側からひたひたと滲み、溢れて出てくるような映画でした。不思議な感覚でした。いい映画はたくさんあります。「わぁ〜、スゴイ」とか「かっこいい」とか「かわいそう」「泣けちゃった〜」とか、その多くは自分とは違う世界への憧れや想像から生れるもののような気がします。でもこの映画はそうではなく、自分の中にあった、そう心の中にあった大事なものを思い出させてくれる、そんな感じなのです。舞台は昭和33年の東京。まだ生れていませんでしたがギリギリ昭和30年代生まれの私にとっても郷愁を感じる作品でした。もっと後に生れた人たちにはこの映画はどんな風に映るのかしら。
今月から放送されている競輪の新しいCM、音楽担当は『ALWAYS三丁目の夕日』で日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞された佐藤直樹さん。音楽の持つ力ってすごいです。映画でも幾度となくフワフワッと湧いてきた感動が音楽によって一気に高まり泣かされてしまいました。今回の競輪のCMでも♪チャ〜ンッ、チャラララ〜ン・・・というあの音楽でキュッと心を?まれてしまいますよね。
光栄にもこのCMの記者発表会で司会をお手伝いさせていただきました。話題の井筒和幸監督、佐藤直樹さん、出演した武田豊樹選手、そして日本自転車振興会の下重暁子会長をステージにお迎えしいろいろなお話を伺うことができました。
ゴールシーンは武田選手の目線からとらえたもの。勝利への道、コースは開いたけれど勝ったのは誰? ちなみに右の一番車は吉川誠選手、左の三番車は藤田竜矢選手です。井筒監督は「厳しい勝負の世界だからこそ、勝ち負けだけではない、人のもつドラマを描きたかった」とおっしゃっていました。レーサーを塩で清め次のレースに向かう武田選手。その心によぎるものは・・・勝ち上がったのか、それとも悔しさを胸に秘め再びバンクに向かうのか、わずかな時間のCMの中にいろいろな物語を想像することができます。そして私たちもそこから自分たちの心の中にある何かをみつけることができるのかも。“人は弱くない”。
ここで撮影の内緒話をひとつ・・・。 実は武田選手、普段はあんなにたくさんの塩はかけないそうです。実際レース前に塩を使う選手はたくさんいますが、大体はサッサッとふりかけるようにしています。今回の武田選手はドサッと水戸泉並みのかけっぷり!武田選手にお話を聞いたら「ついついかけすぎちゃって・・・かけすぎでしたかね?」と笑っていました。
塩で清める。祈る。一歩間違えば大怪我をも招きかねない厳しく激しいレース。頼りは自らの肉体と、共に走るレーサー。戦いの場に挑む選手たちの姿をみているとこちらのほうが息苦しくなってしまうこともあります。でもだからこそカッコイイ!!
「今度の競輪のCM素敵ね。選手ってすごいね」そんな風に友人から言われるととても嬉しくなってしまいます。
頑張れ競輪! 頑張れ選手たち!!
はじめての仕事
2006.4.5
桜前線北上中。関東では見ごろのピークを過ぎましたが、北の方ではこれからですね。東京にも有名なお花見スポットがたくさんありますが、青山墓地も知る人ぞ知るお花見の名所。私も一度だけ青山墓地の桜の宴に参加したことがあります。
「あのね、○○さんのお墓を右にまがって50mくらい行ったところにある××さんのお墓の前よ」
不謹慎ながら待ち合わせには意外と便利で、しかも土地柄か近くにはイベント関係の事務所がたくさんあるようで、そこここで本格的な電飾などが持ち込まれ、かなり本気の宴会が繰り広げられます。日本中が桜でうかれる季節ですから、きっと墓地に眠る方々も一緒に楽しんでいるのではと勝手な解釈で盛り上がりました。
東京で桜吹雪が吹き荒れた今年度最初の月曜日、全国各地各社で入社式が行なわれたようです。スーツ姿も初々しい新社会人の皆さん、これからしばらくは“はじめての仕事”に緊張と期待が入り混じったドキドキワクワクの日々を過ごすのでしょうね。
私がはじめてカメラの前でしゃべったのは某農協の社内番組のリポートでした。牛小屋からの中継なのに何故かスーツ姿で、ヘアメイクさんにサザエさんのような頭をセットしてもらいバッチリメイクでカメラの前へ。マイクを持つ手にも力が入ります。台本もしっかり暗記したし、大丈夫!
スタジオからの呼びかけ・・・
「○○牧場のさとうさーん!」
さぁ!いよいよ出番、緊張の第一声です。
「はーい。わたしは今、牛小屋の中にいます。ごらんください、どうですか?まるまる太った牛でしょう!?」
スーツにハイヒールで「まるまる太った牛」って・・・。TPOなんて言葉は当時の私の辞書にはなかったのです。カメラの前に立つのだからちゃんとした服装で、台本のセリフをきちんと喋らなくてはと精一杯頑張ったわけです。あの日からかれこれ17年・・・よくぞ無事にここまできたものです。これも根気強く見守り仕事をさせてくれたスタッフや先輩たちのお陰。頭を抱えたくなるような恥ずかしい失敗もたくさんありましたが、ガムシャラに頑張った経験は今の私の宝物です。
他の学校から少し遅れ、日本競輪学校第91回生もついに卒業。一年間の厳しい訓練を終え、それぞれの登録地にもどりプロデビューに向けて個々の練習が始まります。先輩選手たちは、学校での成績もさることながら卒業後にいかに頑張るかが重要だと口を揃えて言います。最近は「クールなことがかっこいい」という風潮があるようですが、昔ながらの「努力と根性」も大事!“とにかく頑張る”ことは絶対に力に変わっていくと思います。
91回生のはじめてのお仕事、プロデビューは7月。その勇姿が見られるのは少し先になりますが、新人レーサー達の登場が楽しみですね。
ダービー・勝利の女神
2006.3.22
桜の便りよりも待ち遠しい日本選手権競輪・ダービーが開幕しました。
“ダービー”の名のとおり、特別競輪の中にあっても最も特別な大会・・・ワクワクしますねぇ。
記念競輪が四日制の一節開催になり、G2開催も増えてからは
「トップ選手の顔合わせが珍しいものではなくなったので特別競輪のありがたみがなくなった」
などという声も聞こえてきますが、やはり選手の意気込みを考えると特別競輪ならではの緊張感の中、ここに照準をしぼってきた選手たちの激闘が繰り広げられるわけですから、自ずとこちら側の力も入ってしまいます。
折しもダービー初日、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本が最初の世界チャンピオンになりました。勝利の女神はドラマ好きのようです。きっとスムーズに日本が勝ちあがっていたらここまで日本中が熱狂しなかったのではないかと思うのです。あのアメリカ戦での理不尽なジャッジ、望みをつなげた韓国戦での敗戦、まさかまさかの準決進出から韓国戦三度目にしての勝利。そして優勝!一気に日本中がヒートアップし、ここ数年の野球不人気を吹き飛ばす熱狂ぶりでした。
世界のイチローに
「(韓国に敗れ)野球人生で最も屈辱的な日」
とまで言わせ、また
「(世界)チャンピオンになったことは僕の野球人生の中で最も大きい」
とも言わせたWBC・・・勝利の女神の気まぐれに翻弄されながらも、見事チャンピオンになった日本チームはまさに日本中に大きな喜びと感動を与えてくれました。
「ありがとぉニッポン!私もがんばるわぁ!!」
特別競輪の勝利の女神も一筋縄ではいかないようです。調子抜群の選手に“展開の綾”という試練を与えたり、苦しさを乗り越えて頑張る選手に復活の舞台をつくったり、新しいヒーローを誕生させたり・・・。ファンの歓声をため息にかえ、そしてまた熱狂させ・・・。
でもね、お願い女神様!今年のダービーではWBCで日本中を歓喜させたような興奮と感動を私たち競輪ファンにも与えてくださいね!! そう願わずにはいられません。もちろん車券で歓喜するのがなによりですが、
「ありがとぉダービー!熱いぜぇ〜!!競輪さいこぉ〜」
とウルウルしたいのです。
今年の舞台は立川。直線が長いバンクなのでかなりシビアな戦いになるかもしれません。“脚を溜めた選手が有利”なのは分かっているのですが、“戦った選手”が喝采を受ける、そんなレースが見たいなぁ。
『人が走るから競輪』
だからこそ頑張ったヒーローに女神が微笑みますように!!
三寒四温
2006.3.8
春一番が吹きました。でもそのあとは北風になることが多いそうです。三寒四温・・・行ったり来たりしながらも季節は確実に春へ。早咲きの桜の便りが届き、ほのかに沈丁花の香りも漂いはじめました。一足飛びに暖かくならないからこそ、春への歩みを楽しみながら少しずつ心の蕾もふくらんでいくのでしょうね。
先日、日本画の中村宗弘画伯とお話しする機会がありました。文化勲章を受章した祖父・中村岳陵に手ほどきを受け、その後東山魁夷へ師事。公式にはただ一人のお弟子さんです。師匠・東山魁夷から得たことは技法ではなく“心”、絵画を通して表現していく術を禅問答のようにして学ばれたそうです。中村画伯いわく、洋画と日本画の一番の違いは風景画と山水画の違い。風景画というのは“そこにある風景を即物的に写実したもの”であり、山水画というのは“その風景をもとに描かれる自然の普遍的な姿”。その姿を描くために同じ場所の同じ景色を四季に渡り訪ね、時には何年もかけて見続け、もっとも強く残った心象を描くのだそうです。まさに日本人ならではの情緒の世界ですね。
お弟子さんはおとりにならないのですかと伺ったところ 「最近は誰かに師事するというのではなく、芸術学校で技術を学び画家になる人が多いのです。回り道をするよりも分かりやすい階段を登るほうがいいのでしょう」とちょっと淋しそうにおっしゃっていました。もしかしたら少しずつ、洋画やデザイン画はかけても本当の日本画を描ける人は少なくなっていくのかもしれませんね。
最近は競輪界でも師匠を持たなくてもよいと考える若い選手が増えてきたようです。確かにまず第一は身体能力であり脚力ですから、力があればそれでもいいのかもしれません。でも、競輪の魅力は『人が走るから競輪』という言葉に集約されているのではないでしょうか?思うようにならない展開の綾、メンタル部分、そして競輪道・・・それらを学べるのは、バンクで戦い続けてきた先輩選手たちの姿からではないかと思うのです。
先日熊本競輪場でルーキーチャンピオンレースが行なわれました。注目された唯一人のS級レーサー・北津留翼選手、勝負どころでしかけられずに悔しい思いをしたことでしょう。結果3着となりましたが、絶体絶命の展開から最後にいっきに外を追い込んで3着になったあの強さはまさに大型新人!です。一朝一夕には大成できない厳しい世界ですが、思うようにならないことこそが強くなるためのバネになると思います。九州には素晴らしい先輩たちがたくさんいますから、きっとこれから競輪界を盛り上げるニューウェーブを作ってくれると期待します。
80期代ニューウェーブの旗手・加藤慎平選手も、新人王の後ややお休み?した時期もあったようですが、練習に目覚め昨年の競輪祭で2着、期待されたダービーでは落車負傷したものの苦悶をのりきって全日本とグランプリで優勝、いっきにスターダムに駆け上がりました。
一見脳天気に見える私も日常の雑多な出来事の中で落ち込むことが多々ありますが、「ついてないな、くやしいな、あぁまた北風だぁ・・・でも前をむいて踏み続ければ必ず春がくるんだな」と、選手たちの姿に励まされております。
そういえば・・・ダイエットも三寒四温、一朝一夕にあらず。実は私、数々のダイエット経験を持っています。一ケ月に5キロ落としたこともありますが、そのときはすぐにリバウンドしましたねぇ。ちょうど一年前、久し振りに奮起してダイエットを敢行!今回はじっくりコツコツ落としていきました。おかげさまでここ数ヶ月、自分のベスト体重をキープ、体調も良好です。ふふふ。
初めての東南アジア
2006.2.22
先日、タイ・プーケットとカンボジア・アンコール遺跡を旅してきました。
旅の楽しみのひとつはその土地のビールを味わうこと。東南アジアのビールはどれも軽くてしかもコクがあって美味しかったです。中でも一番のお気に入りはカンボジアの『アンコールビール』。到着してすぐの食事で目ざとく見つけて注文。コロナのような小さなボトルを想像していたのですが、日本でいう大瓶サイズがどーんと出てきました。ラベルにはアンコールワットのイラスト。しっかりとした味わいで値段はおよそ300円。安い!旨い!デカイ!禁酒中(続いているのでしょうか?)の吉井さんの分もしっかり飲んできました。
タイとカンボジアはお隣同士ですが、双方相手国のことをあまりよく思っていないようです。タイのガイドさんには「ふーーーん、このあとカンボジアに行くんだぁ」とガッカリしたように言われ、カンボジアのガイドさんには「あぁ、タイに行ってから来たんですね」とそっけなく言われてしまいました。はるか昔アンコール王朝の頃から繰り広げられた領土争いの名残がいまも国民感情の中にあるようでした。
タイとカンボジアでは道路事情もかなり違います。タイは日本と同じで車は左側通行、カンボジアはアメリカと同じ右側通行です。 びっくりしたのはタイ(といってもプーケットに限ってかもしれませんが)では殆ど自転車を見ないこと。ガイドさんに聞いてみたら「自転車は遅いからカッコ悪いでしょ。だからみんなあまり乗らないの」と。それを聞いて私はちょっと憮然としてしまいました。自転車はカッコいいんだからっ!!
一方、カンボジアの自転車人口はかなりのものです。通学や通勤は勿論、自転車で客車をひっぱって観光したりもしています。さすがにロードレーサーは見ませんでしたが・・・。
共通しているのはスクーターの多さ。しかも二人三人は当たり前!乗れるだけ乗ってしまっていいのだそうです。最高で“子供込み5人乗り”を目撃しました。
タイでは運転者がヘルメットをしていないと捕まるそうですが乗員制限はありません。そっちのほうがよっぽど危ないと思うんだけどなぁ。更に驚いたことにカンボジアではバイクの免許は不要。交通法などないも同然!同じ車線で前から走ってきたり、道路を横切ったり・・・縦横無尽走行です。街の交差点は、そこに自転車も入り乱れてものすごい喧騒です。譲り合ったりしませんから『ヨコに厳しく』かつ『タテの脚』もないと目的地に辿りつけません。さすがにドライブ好きの私もカンボジアで運転したいとは思いませんでした。
カンボジアでは遺跡の荘厳さもさることながら、人々から感じたエネルギーに圧倒されました。未だ内戦の傷跡の残る場所で、日々の生活を営むことことこそが全て。でもその瞳には強い光が宿っていました。豊なものに囲まれて、それゆえに“生きること”を見失いがちな人が増えたわが国とは大きく違います。自分のおかれている恵まれた環境に感謝しながら、それに甘えていてはいけないなと自戒してみたりもして。
久し振りの旅行でたっぷり充電して西王座戦へ。東南アジア帰りの身に奈良の寒さは堪えましたが、33バンクでの熱戦にヒートアップ。車券の方はアップアップでしたが、なんとか4コーナーで踏み直し無事に新幹線で帰ってこれました。
9年ぶりのビッグ優勝となった澤田義和選手は本当に嬉しそうで、お話を聞いているこちらも幸せな気持ちになってしまいました。
それにしても決勝戦での村上選手と金子選手の先行争いは凄かったですね!
共に確定板にはあがれませんでしたが、皆が期待し、見たいと思ったレースを魅せてくれました。赤と黒のユニフォームが最終ホームで一歩も引かずに戦っているあの姿、鮮明に焼き付きました。いいレースが見られてよかったぁ!私は現地にいながらも控室でモニター観戦でしたが、できることならスタンドで生のレースをみたかったです。くやしい!
次は東王座です。所変わっても、またまた33バンク。成長著しい若手も多いし、力勝負のレースも多いはず。期待しちゃいます!!
春恋し
2006.2.8
暦が春を告げたとたんに寒気に覆われた日本列島・・・あぁ寒くてもうダメ。年とともにめっきり寒さに弱くなっています。そんな中、全国各地ではレースが目白押し。もちろん選手の皆さんは一年を通してシーズンに関係なく練習と競走の日々を過ごされているわけで、凄いなぁと心底尊敬してしまいます。
それにしても『吉井さん宅・賊に入られる』事件、びっくりしました。ご家族の皆様がご無事で何よりでしたが、心からお見舞い申し上げます。 私は博才はないかわりに強運には恵まれているらしく、生れてこのかた“犯罪”というものに巻き込まれたことがありません。以前ハワイで車上荒らしにあったことがありますが、トランクに入れておいた荷物は全て無事、車の損傷も全て保険で賄えたため痛手はなし。
あっ・・・そういえば・・・かつて一度だけ“盗難未遂事件”がありました。 今を遡ること22年前。自動二輪免許を取得し念願のオートバイを入手。当時の私は某有名百貨店で会計担当のOLならぬDL(いわゆるデパガ=デパートガールというやつです)をしていました。月給10万円の安月給の中から決死のローンを組み、カスタムバイクで有名だった某ショップにお願いしたカスタムペイントのVT250F(知ってる?)を購入。フルカウルのロードレーサー全盛期、パールホワイトに輝く我が愛車のカウルが何よりの自慢でした。
胸騒ぎというのは実際にあるらしく、その夜いつになく風が強くてオートバイにかけていたカバーが気にかかり、ふと駐輪場に行ってみると・・・ぬぅゎんとっ!私のオートバイのサイドカバーを外そうとしている強面のおにぃさんが二人。
「コワイっ」の前に怒りで血が逆流し 「ちょぉっとぉっ!!アタシのバイクになにしてんのよぉっっっ!!!」 と叫びながら、ドロップキックを決めかねない勢いで走り出していました。
私の剣幕に圧倒されたらしくおにぃさん二人は慌てて逃げ出しましたが、今から思えば私が無事でよかった。ちなみにその夜は賊撃退用の傘を抱えてオートバイの隣で一夜を明かしました。私にとっては何よりも大事な宝物でしたから。
最近スピードチャンネルのスタッフの間でもオートバイが流行っているらしく“ツーリング同好会”なるものが結成されたようです。私も関東の峠(くねくねした山道)は殆ど制覇する勢いであちらこちらオートバイで走り回っていました。
『ピースサインの輪』ってご存知ですか?ツーリングなどで対向車線のオートバイとすれ違うとき、お互いに手でピース(V)サインを交換し合うというもの。最初の頃はドキドキしながら相手の手ばかりを見ていました。ピースを出してくれたときは嬉しかったなぁ!“オートバイに乗っている”というだけで連帯感のようなものが生まれ、実際たくさんの方と知り合うことができました。真夏の炎天下も、真冬の寒風ふきすさぶ中も、いつでもオートバイと一緒。それがものすごく心地よかった。
しかしながら、ムキになって走ってしまう私の性格を見据えてか、現在『危険回避』の名目で事務所からオートバイ禁止令を言い渡されております。
そんな中、初めて自転車のロードレーサーに乗ったとき、オートバイで風を切るあの快感に近いものを感じたのです。流れる景色、季節の匂い。しかも原動力は自分の脚!排気ガスも出ないし、地球にやさしいではないですか。そう、これからは自転車の時代です。
あとひと月もすれば風が少しずつやわらかくなって、春の香りがそこここに漂い始めます。この春はかの有名なフラワーラインを走ってこようと思っています。吉井さんにコース攻略法を伝授してもらわなくちゃ。よろしくお願いしまーす!
がんばれルーキー!
2006.1.25
2006年前期がスタートしてはや半月。昨年夏にデビューしたルーキーたちもプロ生活二期目を迎えています。
90期で真っ先にS級レーサーの仲間入りを果たしたのは福岡の北津留翼選手。アマチュア時代に輝かしい成績を残した北津留選手はデビュー前から注目されていましたが、昨年暮れに期待通り三場所連続完全優勝で特別昇級。S級初戦の立川でも決勝まで勝ち進みました。
また今年に入って早々に、オランダ・ロッテルダムで開かれた六日間レースに参加。この“六日間レース”というのは自転車競技がさかんなヨーロッパ各地で行われる六日間開催のショーアップされたレースで連日会場が超満員になる盛況ぶりだとか。その大会でテオ・ボス選手ら世界の強豪たちを相手に善戦し、北都留人気は急上昇!なんでも場内では「日本から来たお尻のキュートなケイリンライダー」と紹介され、子供たちからサインをねだられるほどだったそうです(詳しくは『競輪らんど』で紹介されています)。帰国後、競輪祭前に小倉で行なわれた九州勢の合宿に参加し、上り200mで10秒65を出すなどトップ選手たちも舌をまく走りをしていたと、取材にあたった井上茂徳さんがおっしゃっていました。
国内でも国外でも物怖じしない強心臓と若さで北津留旋風を巻き起こしてほしいですね!
もう一人、デビュー前から期待されていたのが『吉岡稔真選手の弟子』として注目を集めた小川勇介選手です。実は一昨年のお正月に吉岡選手の取材で道場にお邪魔した時にお茶をだしてくれたのが、競輪学校入学を控えた小川選手でした。「なんて礼儀正しい若者だろう!」と感心したのを覚えています。あれから二年、“大スターの弟子”というプレッシャーにも負けず競輪学校をトップの成績で卒業し、昨年は4度の優勝、連対率77%と奮闘。心身ともに一回りも二回りも大きくなったようです。
デビュー後あらためて取材に伺ったときに、小川選手のお母様と私が同い年だとわかり、思わず手に取ったコーヒーをこぼしそうになりましたが・・・。
そうなんですよねぇ。自分では「姉」くらいの気持ちでいるのですが、年齢的には「母」になることもしばしばで、余計にルーキーたちの活躍をハラハラドキドキしながら見守っているのです。
そんな90期の現トップ9が激突するルーキーチャンピオンレースのメンバーが発表になりました。選手数の少ない山梨で気を吐き新風を吹き込んでくれている志村太賀・古屋琢晶両選手、甲子園球児だった阿竹智史選手、武田豊樹選手らと取手バンクで汗を流している松田優一選手、デビュー後優勝一番乗りをした菊谷信一選手、開催地・地元熊本の松岡貴久選手、そして・・・実は個人的に卒業記念レースのときから期待していた芦澤大輔選手の名前もありました。
どの選手も日を追い、レースを経験していくごとに「がむしゃらに頑張る若者の顔」から「プロの顔」に変わっていきます。それぞれの“歩み”と“走り”を見続けるのも今の私の大きな楽しみです。
今年からまた競輪学校が1年間2期制にかわります。年間およそ150名のルーキーが誕生します。『90期代の時代』と呼ばれる日もそう遠くはないのかもしれません。その先陣を切って・・・がんばれ90回生たちっ!
新春開催
2006.1.11
年明け早々、全国の競輪場では開催ラッシュ。
やはり新春開催は賑わいますよね〜。
スピードチャンネルが開局して初めてのお正月、「新春開催は盛り上がるらしいよ〜」ということで、 江藤みきちゃんと二人で京王閣競輪場に遊びに行ったことがあります。
当時は私たちが競輪の仕事をしていることなど全く知られておらず、「おっ、ねぇちゃんたちが競輪場に来ている。めずらしいなぁ」というカンジ。
京王閣はまだ改修前で、歴史を感じさせる・・・ハッキリ言っちゃうとダーティーな雰囲気でした。
初めての競輪場、初めてのライブで見るレース。すべてが新鮮! でも何をどうしていいかわからずドキドキでした。
そんな中、女子トイレに並んでいたら中からおじさまが出てきてビックリ!
普通に「おぅ、お待たせ!」と手を上げて会釈され、
思わず「はぁ」とつられて頭を下げてしまいました。
かと思えば、予想紙とにらめっこしながら慣れない手つきで車券を買っていたら
「コレをおさえた方がいいよ」
と隣のおじさまからのアドバイス。
素直にそれに従って、めでたく初めての“当たり”をゲットできたのです。
“ちょっとビビッたけど競輪場って楽しい!”
今でも忘れられない思い出です。
最近は競輪場に行くと、
「ゆみちゃん!スピード見てるよ!」
と声をかけていただけるようになりました。嬉しいですねぇ。
車券を買おうと並んでいると「何を買うの?」と聞かれるようにもなりました。
残念ながらいまだに的中率は低くあまり貢献できていないのですが、ファンの方との競輪談義はとても楽しいです。
今ではすっかり綺麗になった京王閣競輪場。恒例の新春開催で、往年の名選手・尾崎雅彦さんの引退セレモニーが行われました。吉井秀仁さんをはじめ、山口国男さん・健治選手、清嶋彰一選手ら、共にフラワー軍団で戦った皆さんの涙・涙におくられているのを見て、つられて私も泣いちゃいました。
仏門に入る尾崎さんに吉井さんが
「一緒に車券を買って、なまぐさ坊主になってくれ!」
とおっしゃっていましたが、なんとも吉井さんらしい激励ですね。
さて、今年のお正月は宇都宮、熊本で立て続けに三連単の200万車券が出ましたね。100万とは言いません!夢は10万車券ゲット。
今年こそは!と勢いこんでおります。
もうすぐ競輪祭!
2006年を幸福に過ごすためにもがんばらなくちゃ!ねっ、吉井さん!
新年明けましておめでとうございます
2006.1.1
2005年のフィナーレ、皆様いかがでしたでしょうか?
暮れの大一番KEIRINグランプリ05、当日の平塚競輪場は来場者数二万人を超え大盛況。普段からファミリー向けのイベントを行なっている平塚ならではでしょうか、家族連れも目立ちました。前半のレースから、まるでウルトラマンショーのように「がんばれ〜っ」「負けるなぁ〜」と可愛い声援が飛び交っていました。そして中嶋啓江さんの国歌斉唱が終わりグランプリメンバーが発走台に着く頃には場内のボルテージも最高潮に!スタジオの私たちも手のひらに汗をかきながら固唾をのんで号砲の瞬間を待ちました。
大声援の中ゴールを真っ先に駆け抜けたのは、俊敏なコースどりと渾身の追い込みを見せた加藤慎平選手。バンクに詰め掛けたファンとハイタッチをしながら表彰台に駆け上がり華やかな笑顔をみせたニューヒーローの姿は爽やかでしたね。
全日本選抜競輪に続いての優勝。12月の月収は実におよそ1億3000万円!!一気に賞金王です。このまま80期代をひっぱって2006年も暴れてくれそうです。新年最初の『SPEEDニュース&トピックス』のゲストにお迎えする予定です。グランプリ優勝記念アルバムの収録曲もしっかりリサーチしておきますね。
さてグランプリの翌日、京都に飛んで(新幹線ですが)村上義弘選手の取材に行ってきました。午前中は京都の選手たちが集まって選手控室と道場の大掃除、そして午後は寒風の中での練習。村上選手の練習量の多さは有名ですが、今年のお正月は家族旅行に行くそうです。「村上選手でもお休みするのね・・・」と思ったら、やはりレーサー持参で練習を欠かさないとか。のんびりとした交通量の少ない場所で奥様の誘導する車に娘さんたちも乗り込んで家族でにぎやかに練習のようです。村上選手らしいですね。グランプリに“魂の先行で魅せる”村上選手の姿がないのは淋しいですよね。2006年は必ず先行日本一の看板を取り戻しグランプリの舞台に戻ると意気込みを語ってくれました。
さぁ、ここからまた新たなるグランプリへの闘いがスタートです。実力者たちの頑張り、若手の台頭、とにかく今年も目が離せません!!今年もまた中継に取材にと全国を飛び回って頑張ります。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
2006年が皆様にとって素晴らしい年になりますように!!
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さとうゆみ
1964.8.7
アナウンサー歴17年
クラシック・オペラなどの各種コンサートから式典・トークショー・バラエティーの司会やTVリポーター、ラジオのパーソナリティー、ナレーターなど仕事のジャンルは多岐にわたる。
1998年よりSPEEDチャンネルキャスターとして輪界デビュー。
趣味はイルカと泳ぐこと、ボディボード、サイクリング、ドライブ。
イルカとの関わり
1998年第7回国際イルカ・クジラ会議のボランティアスタッフを経験。人と海・イルカ達、そして自然との関わり方を模索しつつ、それらをライフワークとし、自分に何がしていけるかを探索中。
2001年4月より半年間、無理やり特別休暇をとり、御蔵島でドルフィンスイムガイドなどの修行(?)をする。
現在は本業に励みつつ、時々イルカと泳いでいる。
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